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COSMOS—「100億年の歴史が、今も身体に流れてる」


まずは、黙ってこの曲を聴いてみてほしい。

これは、2000年に混声三部合唱曲として編曲されて以来、多くの小・中学校で歌われるようになった曲だ。私の中学では、2年生の合唱コンクールの時に隣のクラスが歌っていた。選曲のとき、この曲が隣のクラスに決まったと聞いて悔しかったことを憶えている。

『君のぬくもりは 宇宙が燃えていた 遠い時代の名残 君は宇宙』
『百億年の歴史が 今も身体に流れてる』
私は、1番サビ前のこの歌詞に魅かれた。


"cosmos"とは、ギリシア語を語源とし、秩序立って調和のとれた「宇宙」を意味する。対義語には、同じくギリシア語を語源とする"chaos"があり、天地創造前の「無秩序」「混沌」を意味する。
一方、ラテン語を語源とし、森羅万象の全てを含めた「宇宙」を意味する"universe"という言葉もある。

"cosmos"と"universe"は、どう違うのだろうか。


宇宙には、無数の天体がある。
自ら燃えることで光り輝く「恒星」
恒星の周囲を公転し、その光を反射することで輝く「惑星」
惑星になりきれなかった「準惑星」
準惑星よりもさらに小さな「小惑星」
惑星の周りを公転する「衛星」
しかし、人間にはその全て―"universe"を知り尽くすことなど出来ない。

そこで生まれたのが「星座」だ。
古代メソポタミアやギリシャの人々は、夜空に光り輝く恒星を線で結び、伝説の中の英雄や動物になぞらえて物語を作った。それら星座は、季節の移り変わりや農作業の時期、方角などを知るための手がかりとなった。
大航海時代には、南半球の星空にも星座が見出されるようになり、星座が乱立して天文学者の間で議論となった。その結果、現在では88星座に統一され、世界共通の「宇宙の地図」とされている。
いわば、星座は人間が宇宙を認識するために創り出した秩序—"cosmos"なのだと、私は思う。

学校で教わる「宇宙」は"cosmos"だ。小学4年生の秋、理科の授業で星座早見表が配られ、カシオペヤ座を探す宿題が出たことを今でも覚えている。
星座を辿っていると、肉眼で見えない無数の星たちが存在することを見落としてしまう。都会の夜空に見える一等星などほんの僅かなのに、あたかも恒星だけが宇宙を作っているというような認識に陥ってしまう。



歴史学は"cosmos"を創り出すことだと気付いたのは、大学でそれを少しだけ齧っていた2年前のことだ。ずっと、それを伝えたかった。


ある日、別の出版社から出された世界史の教科書を5冊ほどが、勢いよく机の上に置かれた。
「これ、ゴミ捨て場にあったんだけど!教科書捨てるとか有り得なくない!?宝の山なのに!……要らないなら私が貰うからって拾ってきた!」
訳が分からず一緒に教科書を開いた。目を輝かせながら付箋を貼る歴史学者の姿を前に、1年生だった私は話を合わせるのに精一杯だったが、何か楽しそうだということだけは分かった。

歴史の中には、沢山の「人」が居た。
私たちが学校で教わってきた歴史は、宇宙でいう"cosmos"だ。
教科書に太字で記される有名な人物を、「恒星」に喩えてみよう。
一等星を中心に、二等星から六等星まで多くの恒星が存在する。彼らを時系列で結ぶことで紡がれた物語が「歴史」であるとするならば、それは「星座」に喩えられる。
宇宙という空間を認識する手掛かりが「星座」であるならば、「歴史」は人間が生きてきた時間を認識する手掛かりであろう。
しかし、世界共通として決められた88星座とは違い、歴史は国や語り手が違えば異なる物語になり、どれが真実かを突き止めるのは容易ではない。


そして、歴史の中に生きているのは、教科書に載っている有名な人物だけではない。宇宙には、恒星の光を反射しながらその周りを公転する「惑星」や、肉眼で見えないほど小さい「小惑星」が無数に存在するように、教科書や歴史書に書かれておらずとも、静かに、確かに生きていた人間は星の数ほど居る。
惑星は恒星の周りを公転しながら、その引力に引き寄せられ、翻弄され、時に焼き尽くされることもある。恒星が死んでブラックホールになれば、いとも簡単に取り込まれてしまう。多くの人間は、自分が惑星に過ぎないと知っている。それでも、恒星の輝きにしか目を向けられない。
無数の惑星たちの存在に気付かせてくれたのは、ゴミ箱から教科書を拾ってきて山積みにしていた、あの歴史学者だった。

歴史学者は、"universe"の中に飛び込んでゆく。その中に埋もれている人々を見つけ、その物語を書くことで、"cosmos"の中に位置づけようとする。時間と空間で構成された"universe"の中から新しい星座を創り出すことが、歴史学者の担う御役目だ。その手の中にあるのは、宇宙。


夜空に輝く恒星の姿は遠い昔のものだ。
おおいぬ座のシリウスは8.6年前、わし座のアルタイルは17年前、北極星は430年前、オリオン座のベテルギウスは450年前の姿でそこに在る。ベテルギウスがある日急に爆発して、赤い輝きが見えなくなるかもしれないというのは有名な話だ。
太陽の何倍もの質量を持つ恒星ならば、超新星爆発を起こして華々しく散る。その様子は、地球にも記録として残されるかもしれない。しかし、平均的な重さの構成は白色矮星となり、ゆっくりと静かに冷え、輝きを失ってゆく。多くの人間は、その姿まで観測しようとは思わないだろう。白色矮星の最期まで辛抱強く見届けるのが、歴史学者という存在だ。


その姿をほんの1年見ていたに過ぎない私は、"universe"に飛び込む覚悟も、機会も、"cosmos"を創り出す力量も持ち得なかった。選べたかもしれない未来だった。それでも、同じ道を進むことは、きっともうない。

"cosmos"を追い求める歴史学者へ、心からの敬意を込めて、黒いコスモスの花を贈る。
私は別の道を行く。"universe"を"universe"のままで、ここに残し続ける。

だから、今週か来週あたり、私に新しい星座の名を教えてほしい。


https://www.diamondv.jp/article/dCvuxL2EtG7rbiJrYBxJA2?

https://global.canon/ja/technology/kids/mystery/m_01_17.html




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