25年後の空も
25年後の空も、同じ色で同じ機能で同じ癒しを与えてくれるだろうか。
25年後の空も、私の瞳に綺麗に写ってくれるだろうか。
空はきっと相変わらず綺麗だろうけど、問題は私の瞳が透き通っているかどうかだ。
25年後の空も、すべての感情をそのままにして受け止めてくれるだろうか。
笑いたいときは笑い、泣きたいときは泣く。
そんな当たり前の人間の、感情の所作を捻じ曲げずにそのままにしてくれるだろうか。
25年後の空も、ただただ美しい空でいてくれるだろうか。
誰のものでもなく、誰が見ても安らぎ、見る人によって印象が変わる空でいてくれるだろうか。
25年後の私は、その時の空を受け入れ、美しいと思い、情景にどう落とし込むか思案しているだろうか。
空に時間的な概念が欠けていたら、きっとなんの変化もないのだろう。
しかしそんなことはないと思うから、毎日、今日の空は麗らかだなとか、爽やかだなとか、激昂しているなとか、意識を空に投げ込もう。
いつか今のような感性が失われても、空に溜まった私の意識たちが雨と共に降り注いで思い出させてくれることを願って。
fin
こちらのお題で書きました!

