見出し画像

1970年、日本一周自転車の旅へ(8/11)-新潟へ

8月11日(第5日目)

はれ、いい天気だ

かなりよくじゅくすいできた。夜中に目をさますことはなかったような気がする。いろいろな夢を見た。上川からきたという3人組のサイクルパーティにあったり、この鯉重の朝礼に出たり、またいろいろな夢を見た。かなりつかれていたのだろう。

全身、肩と言わず、腰といわず、痛くてならない。じゅうなん体そうをしようにも、痛くて、そして、体力がもたない。

起床 6:50
発信 松原吉幸、藤原久美子、S子、佐藤一也、社長、社員一同

今日はいろんなものを見たし、経験した。
今回のツアーにおいてはじめての野ぐそをした。
また、鯉がたくさんいて池のはじに立つだけで、いっぱいあつまってくる。あつまりすぎて、水面上に押し上げられるのもいる。もう、これだけあつまると、気分の悪ささえ感じてしまうのは、俺だけじゃないと思う。

そば屋のオヤジに教えてもらった裏道にはまいった。確かにオヤジの言う通り車は少ないし、ほそうはされている。だけど1本道だけあってカーブと坂の上り下りの多いのはどうしようもない。オヤジの言う通り、車ではずうっと早いであろう。車で早いからと言って、俺のクルマまで早いとはかぎらないのだ。
でも、良かったことは、国道を走ってみては決してみることのできない農村- 働く農民の姿 - を見ることができたことである。なつかしくもあり、いろいろと思うことがあったが、ここに書けないのは、やはり文学者にはなれない、俺の姿なのだろう。

渋川を出てからずっと上りばかり。沼田につくまでののぼんの少しが下りであとはほとんど全てが三国峠まで上り。
まいった。実にまいったが、歩いた割には疲れがないような気がする。これも、今朝ほどの食事のせいか。

沼田で知り合った男(N)と三国峠を一緒に登る。歩いたりわずかのったり。へん平足だから、ダメかと思っていたが、その割にはよくもったと思う。自信がついた。
途中のけしきはとても良かった。何か、こちらの方の川原は北海道のそれとは違い、何か非人情的だと思う。だだっ広い所に水がほんの少し流れ、草が生えている。西部劇に出て来そうな、そんなイメージがする。でも、俺は好きだ。

三国峠の登り口で、長髪の男(C)とあった。少し話しながら一緒に歩いて登ろうかと思っていると、男Nが来て、Nと登る。Nは長岡を発にして、万博を見て東京を通っての帰りで、今日中に長岡まで行くという。
Cは、俺にこういった。「6日に出発して(千葉を)まだ一度もヒッチをしていない」と。このとき、俺は初めて、ヒッチハイクの本当の意味を知った。ヒッチハイクと無銭旅行とは同意語だと思っていたがかなり違うらしい。

湯沢まで100km
ここまで使った金
ビール 180、かんビール 90、かつどん 200、ミルク・コーラ 95

俺はやはり酒がないとどうしようもない人間らしい。
ツアー中は酒をやめられると思ったのに…

山の上と下とではかなり気温が違う。上でさむくてならなかった俺だが、少し上の下ると、顔に当る風がなまあたたくて、気持が悪い。
山の上では、風邪をひくのではないかとあわてた。が、どうやら、今の所それは、上の山での気温の低さにゆらいするらしい。今、長袖を着てはいるが、ついも、頭が痛いな。
あやしいものだ。かぜでもひいたらどうしよう。

鯉重で、おきかけのはたおりきをみた。
今時まで、こんなものを使っている人がいるのかと驚いてしまった。また、はじめてみるものに対する、めずらしさもあったが、おりかけのたんものはとてもきれいであった。おっているところもみたかったが、それはできなかった。

夜の湯沢を出て少し走った。
プロパンガスを入れていある小さな小屋を国道の横に見つけ、今夜はそこで野宿することにした。が、国道からわずか数mしか離れていなく、すぐ駅前にPがあるためにうるさくてうるさくてねむれない。
夜中に何度目を覚ましたか知れない。
朝方のすずしくなって、一番ねやすい頃には、小屋を無断で使っている片見の肩身のために、またねむれない。いやなものだ。

かとりせんこうをたこうと思ったが、プロパンの倉庫。火を使うのはやめた。何かでパンクしてもいやなことだったので。

三国峠の標高は1085m。

メーターは2033   今日の走行 105 
合計403

いいなと思ったら応援しよう!