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一つの言い訳が終わった日


今日は最後の出勤日だった。

20年続けてきたパート仕事にひとまず終止符を打つ。

職場は4つ
5年ごとに場所を変えながら働いてきた。

最初の職場は無くなった。
次の職場もなくなった。

仕事を失った翌日に、次の仕事が決まるようなこともあった。

苦手だった事務仕事にも挑戦した。

その先で、
【ご機嫌な人が働く場所で働きたい】と言う、『自分なりの働く基準』を見つけることができた。

そして今の職場にたどり着いた。

長年の努力の末につかんだ、ピアノ講師と言う仕事以上に、
ここでは自信をもらった気がしている。
ワクワクもしたし、楽しくもあった。


上司にも恵まれた。
人にも恵まれた。

だから、今日辞めるのは、多分嫌になったからではない。

手放す決心ができたのは、
充分すぎる『満たされた時間』を得ることが出来たから、だと思っている。



同世代のスタッフからは、

『仕事はボケ防止だから、辞めないって言ってたじゃん』
『・・・なんで辞めるの?』

と優しく問われて、

確かにそんなこと言っていたなぁ、と思い出した。

でもその時私の口から出た言葉は、
『ボケ防止はここじゃなくてもできるな、ってね』

だった。

少し自分でも驚いた。でも、それが本音だった。
ごめん。。



思えば私の人生も、ずっと何かをしていた。

幼い頃は、週7で習い事をしていたし、
20代は、今で言うところのフリーランスで講師業をし、
その後は、母親、妻、パート、自分業、
多くの昭和生まれの女性が通る道を歩いてきた。


予定があった。
やるべくことがあった。


でも、今、
家族はそれぞれの場所で暮らしている。

離れて暮らす父は元気だ。介護の必要もまだない。
孫の世話が必要な状況でもない。

住むところもある。飢えることもない。


だったら・・・

と思った。

これは、一世一代の大チャンスではないのか?!



私は今、何がしたいのかわからない。
空っぽだ。

夢があるわけでもない。
大きな計画もない。

人によっては、今のこの私の状況で残るものは、パートしかないのでは?と思われるかもしれない。

だけど、私はそれも手放してしまった。

これは、人によっては無謀にも見えると思う。


でも、今、私はその空っぽに、果てしない価値を感じている。

夢や未来という外向きの指標を持たず、
「過去、積み上げてきた自分」という執着を解放し、

ただ今の自分にグラウディングする。

広い広い湖面に、ぽちゃんと自分を浮かべるような、そんな心地よさだ。

どっちに泳いでも、浮いても、潜っても、
お好きにどうぞ、なのだ。



ここを目指してきたわけではない。
けれど、
振り返ればこの日のための準備を、ずっとしてきた気もする。

家族、
お金、
暮らし、
生き方、
働き方、

少しずつ、少しずつ。

だから、
今なら試せるような気がしている。

何の装備もないのだけれど、
泳ぎ方だけはたくさん知っている気もしている。



ただ暮らすという、何もしない自分を試す。

何者かになろうとしない自分にも、
会ってみたい。


1年後、何も変わっていないかもしれない。

2年後も同じところで、ただ浮いているだけかもしれない。

大切な役割が出来て、また奮闘しているかもしれない。

どちらも、いい。

ただ、今空っぽになることは、

時間がなかったから、
やることがあったから、

だから、出来なかったんだという、
人生の言い訳を手放すことが出来る。


ここに挑戦が出来ることを、
心から感謝している。


最後まで優しく、この日に送り出してくれた職場のみんな。
私のこの挑戦に、ワクワクすると言ってくれた友人たち。


そして、
生活の土台を支えてくれている家族へ。


本当にありがとう。



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