黄色の国で感じた均衡
コロンビア2日目の旅は、まるで心の奥底に沈んでいた何かが静かに浮上してくるような一日だった。朝から向かったのはシパキラの塩の地下大聖堂と、神秘のグアタビタ湖。どちらもただの観光地ではなく、地球と人間の長い物語を体現している場所のように感じた。
車窓から広がる緑は鮮やかで、思わず「ここは黄色の国、コロンビア🇨🇴」とつぶやいてしまう。生命が溢れ、バランスよく息づいている黄色——争いを好まず、すべての命に感謝を捧げるような、そんなイメージがぴたりと重なる。山道を登るにつれ、風景は北海道の雄大な丘陵を思い起こさせた。空気が澄み、草木の一つ一つが静かに存在を主張している。
ツアーバスにはトルコ、アメリカ、メキシコ、スペイン、コロンビア、ルーマニア、スイス、エクアドルと、多様な国籍の人々が乗り合わせていた。一人参加も多く、皆が自然と打ち解けていく。車内にはラテンのリズムが流れ、El Gran Combo de Puerto Ricoの「Brujeria」やRubén Bladesの「Decisiones」が耳に馴染む。どこかで聴いたことがあるような懐かしさ——ああ、そうか、カルディで流れているあの曲たちだ、と気づいて微笑んだ。
グアタビタ湖に着くと、息をのむような円形の水面が広がっていた。明らかに隕石が落ちてできたクレーターに水が溜まったような、完璧な形。隣の山はピラミッドのようにそびえ、古代の叡智を思わせる。ここはムイスカの人々が黄金の儀式を行った聖地、エル・ドラド伝説の源泉だ。自然が作り出した完璧な円に、人間が黄金を捧げてきた歴史が重なる。




ガイドからコカの葉の茶を勧められ、妻が少し心配そうに尋ねると、皆が笑った。コロンビア人とスペイン人の参加者が、侵略の歴史さえも軽やかに笑い合う姿に、時を超えた和解のようなものを感じた。植樹によって砂漠化を防ぎ、草木の効能を知り尽くし、自然と共生してきた人々の叡智。どの木が薬になり、どれがバランスをもたらすか——それを知ることは、ただ生きることそのものだったのだろう。
金融が崩壊する時、生活が力を持つ。戦後の日本がそうだったように、今、世界は自然社会へと戻りつつあるのかもしれない。人間は長い間、地球の上で好き勝手に振る舞ってきたが、元々の大先輩である自然と共に生きる意識が、少しずつ蘇っている。草木のすべてに意識があり、太古から見守ってきたことを、この土地では肌で感じる。
一方で、シパキラの塩の大聖堂では別の思いが湧いた。地下深くに広がる塩の回廊、キリストの受難を刻んだ彫刻。キリストは何度も倒れたという話は、何人もいたという読み方もできる。中東、ヨーロッパ、南米、そして日本にも。バチカンが降伏した今、2000年続いた宗教は終わり、キリストは文化へと移行しつつある。ドゥオーモを訪れるたび、それが確信に変わる。石を切り出し、加工し、人工的に形作る行為——それは新約以降のキリスト教の象徴のように思える。一方、磐座信仰は岩をそのままに尊ぶ。自然のままが美しいと、心が自然に傾く。


コカインは石灰水を混ぜて作られるが、脳を壊し、常習性を持つ。一方、大麻は病を癒し、常習性がないと言われる。黄色の国コロンビアは、麻という素晴らしいものを日本にもたらしてくれた。タクシーさえ黄色だ。
ボゴタには無いが世界の都市では地下鉄網がこれほど発達していることを考えると地下組織もまた深く根を張っているのだろう——そんな想像さえ浮かぶ。だが、それ以上に感じたのは、民衆はすでに繋がっているということだ。メキシコやアメリカから来たツアー仲間が日本を訪れ、母国の美しさを熱く語る。日本を愛し、互いの故郷を愛する人々。国境や通貨を超えて。
この2日目、コロンビアは私に教えてくれた。金融や宗教がフィクションである時代が来ていること。紙幣も、教義も、いつか色褪せる。残るのは、自然と共生する生活と、人と人との素朴なつながりだけだ。黄色の国で感じたのは、そんな静かな確信だった。

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