表現とはコミュニケーションなのかについて考えた。|藤代清治美術館
子どもの頃に、NHKの影絵劇がなんだか怖い印象でした。
僕が影絵作家、藤代清治さんの作品に持っていたイメージはその程度です。最近になって「あの色使いが綺麗だったな」と思い出す事がありまして、惹かれるままに藤代清治美術館に行ってきました。芸術家だと思って観に行ったら、藤代清治さんが職業作家の鑑のような方でして、個人的にはとても嬉しかった。というお話です。
僕は表現というのはコミュニケーション手段の一つと捉えています。その点で、芸術作品では受け手に伝える前提のない(わかってもわからなくても良い)表現が成立します。それに対して、職業作家は依頼(お仕事)として作品を描くため、相手に伝える事を前提に表現します。
芸術家と職業作家はそれこそ職業の違いであり、その表現に優劣はないはずです。ただ、一般的には芸術の方が価値が高いと評価されます。藤代清治さんほどになれば、ご自身で描きたい企画から提案できるでしょうし、職業作家と言われるのは不本意かもしれません。ただ、彼の仕事が東京興行での映画のチラシ制作からはじまり、『暮らしの手帖』の挿絵連載を経て評価されていく経緯を美術館の展示で見ていくと、この方の表現が職業作家の姿勢に基づいている事がよくわかります。
その事が一番伝わってくるのが絵本『画本 風の又三郎』影絵|藤城清治 原作|宮沢賢治、の展示です。
(キャプションの全文を記憶していないので要約になりますが)宮沢賢治の『風の又三郎』に正面からぶつかって描きたい、80代を迎えた今なら技術的に描けると考えて取り組んだとのことです。芸術家であれば『風の又三郎』に自身の解釈を加えてオリジナル作品をつくることも可能です。けれども、藤代清治さんはあくまで宮沢賢治の『風の又三郎』の世界観を描き切ることにこだわったのです。
芸術に対して一定のリスペクトを持っているからこそ、この話をしなければなりません。僕は一時期、芸術を拒絶しました。
作品が好きだった作家さんに「芸術はわかる人間にしかわからない」そう言われました。僕自身の認識の甘さや知識不足が招いた出来事であったと自戒はできます。それでも、作家さんに直接(いたって冷静に)そう言い切られてしまい、芸術というものに強烈なアレルギーを発症しました。
幸いにも、小国町で参加型アートのレインボー岡山氏に出会った事で、そのトラウマはゆっくりと氷解しました(僕の恩人の一人です)。とはいえ、芸術という表現は伝達(コミュニケーション)を前提としなくても成立する、これだけは僕の感受性に深い傷として刻み込まれました。
それ以来、僕は「芸術とは」というテーマに全く興味を持ちません。「芸術とデザインの違い」や「芸術と工芸品の違い」そういった比較や区別をテーマにした会話は楽しめます。しかし、文化人の方々が目を輝かせて「芸術とは」について語り合い、それを羨望の眼差しで取り巻きが聞いている、そういう場面に居合わせると大いに興ざめします。「芸術は違う」が常套句。得体の知れない崇高な物として芸術を煙に巻きつつ、人々を排除している(もしくは、されている)事にその場の誰も気付きません。
それは芸術を提供する側の論理であって、僕たち受け手にとって「芸術かどうか」は関係ありますか? その作品に向き合った時に何を感じさせてくれるか、そちらの方が重要なのです。それこそが作品の真価です。だから、芸術家と職業作家の表現に優劣はありません。
もちろん芸術も、自由に語り合う場を提供できます。その事を僕は小国町の坂本善三美術館で体感しました。興味のある展覧会にまた足を運べるようになりました。そうして思う事です。確かに芸術は誰か(受け手)に迎合して表現する物でないことは理解できます。けれど、本当に誰にも伝わらなくても自分の表現したい事を表現するのみ、そんな純粋な芸術的表現が存在し得るのでしょうか。僕はそれには懐疑的です。
コミュニケーションの根底にあるのは、自分が感動したり面白いと思った事象をできるだけありのままに伝えたいと思う事ではないでしょうか。その手段として人々は踊ったり、描いたり、言語化したりして表現を試みると思うのです。僕は何かを表現する時、どうしても誰かに伝わってほしいという気持ちを捨てられません。
藤城清治さんはご存命で、作品をつくり続けていらっしゃいます。館内のキャプションの多くもご自身で書かれておられるようです。100歳を迎えてもなお「ねぇ、私の作品を観て♪」そんな貪欲さに共感を覚えます。

藤代清治作品を思い起こさせる情景。
僕は写真で何かを伝えたいのではなく、
現地をガイドしてその光景の前で何を感じてもらえるかを提供したいのです。
藤代清治美術館の展示で一番気に入ったのは『虹をつくろった小鳥たち』の挿絵です。作品を制作される時期によって、影の黒とカラフルな光の部分のバランスが異なってくるのですが、僕にはこの配分が好みでした。これらの挿絵の美しさに魅了されて、図録を買って帰りました。
