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⚪️掌編小説|アネモネという名の女

 市長が殺された夜、店からひとりの女が消えた。

***

 ダリア警部補はただいま生理休暇中ですと秘書課の女が言った。

「ばかやろう今すぐそいつにアスピリンを飲ませてタンポンを突っ込め。今すぐだ。昼までに登庁させろ」

 市長の元特別顧問は受話器を叩きつけた。

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 ダウンタウンにある会員制ナイトクラブ『フラワーガーデン』の女主人カメリアが私立探偵を雇った。

 暗黒街の顔役から全裸写真をネタに金を強請られているという。

「明日の夜、10,000ドルで写真を買い取ることになっているの、あなたにはその場所に行って、お金と引き換えに写真を受け取って欲しい」
「どこへ行けば良いんだ?」
「十番街の交差点に映画館があるでしょう?」

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 ローズ市長の検視はアイリス元検視官が行った。死因は外傷性ショック。凶器は発見されなかった。そして、市長は胃の中にネジを飲み込んでいた。よく分からないネジだ。アイリスはダリア警部補にメモを残した。

「どこのネジか分かる?」

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 私は映画のエンドロールを見ながらため息をついた。酷い映画だ。まるで、サンバルソースを水で薄めたような、いや、スイートチリソースかな。どっちだ、いや、どっちだって構わない。とにかく何かを水で薄めたような、それによって本来この映画が持つべき「辛さ」のようなものを、ああ、ホットソースだ。

 だが私が好きなのは、そう、バーベキューソースだ。ステーキにも、スペアリブにも、チキンナゲットにも、必要なのはバーベキューソースだけだ。間違ってもマスタードソースじゃない。

 そしてあの女、マクドナルドのハッピーミールに付属するマスコット人形を集めていた元ダンサー。大都市で成功することを夢見て『フラワーガーデン』に流れ着き、哀れにもヤクザの情婦に身をやつした女。アネモネはどんなソースを好むのだろう。

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 ダリアが登庁すると、署長に呼び止められた。そしてきみは元警部補になったと告げられた。

「そうですか、署長」
「すまないな」

 秘書課のリリーがダリアに気づいて声をかけた。

「アイリスからメモが届いています、警部補」
「もう警部補じゃないんだ」
「でも、呼ぶときは別でしょう?」

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 ポピーは怯えている。ソースと呼ばれる麻薬の売買がいよいよ危険になりつつある。

 単なる小遣い稼ぎだったのに。どうやらあたしは後戻りできないところまで来ちゃったみたい。近々大量の取引があるらしい。下請けの下請けのケチな元締め気取りのあの人までも浮き足立っている。

 絶対に捕まりっこないとあの人は言うけど本当かどうか。どこまで信じて良いのか。

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 あんな女は殺されて当然だと元特別顧問は吐き捨てるように言った。氷の女。レズビアンめ!

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 ダリアがネジを見ている。アイリスが送って来たネジだ。秘書課のリリーはダリアを見ている。何か言いたそうだ。

「それ、頭のネジでしょう?」
「頭のネジ?」
「違いますかね。ほら良く言うでしょう。頭のネジがどうこうって」
「市長はこれを自分で飲んだのだろうか」
「さあ、頭のネジなら絶対に市長のじゃないわね、だって彼女は切れ者ですもの」

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 市長はベッドで眠るアネモネにキスした。

「ねえ、あなたにお願いがあるの。この街から出ていくのよ。出来るだけ早く。ここはあなたには危険すぎる。わたしにはもう、この先もあなたを守り続けることが出来ないかもしれない」
「ああ、ローズ、お願いだからそんなことを言わないで、あなたと離れ離れになるぐらいならどうなったって構わない」

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「いよいよこの街の大掃除が始まる。市長の肝入りだ。公約どおりソースをこの街から完全に排除するらしい」
「ああ、こっちはこっちで餌を撒いておいた」
「そうかい。アリバイを作っておけよ」
「ああ、いつもすまないな署長」
「おい口に気をつけろ、その名前で呼ぶんじゃない。それから、作戦を指揮するのはダリア警部補だ。邪魔なら消して構わん」
「悪党め」

***

「おいポピー、いいか、良く聞け、今日の夜、大きな取引がある」
「あたし、もう足を洗うよ、こんなのもう嫌だよ、ねえあんたとあたしとで真っ当に暮らそうよ」
「おい、ふざけたこと言ってんじゃねえ」
「だって、あたし、これはきついって前から」
「泣くんじゃねえ、おい、おまえ十番街の映画館は分かるな、今夜が最後だ、良いな?」

***

「ねえ、わたし、ここらが潮時だと思うんだ」
「どうした、何が不満だ」

 アネモネはローズの言葉を思い出している。

「故郷に帰ろうと思ってね。兄さんの牧場でも手伝うことにするわ。そしていつか、働き者の男とでも結婚して、子供をたくさん作るの」
「豚みたいにか」
「そうね、豚みたいに」
「そうか、じゃあ、せめて今夜のショーを見ていけよ」
「ショー」
「ああ、市長のお別れ会だ」
「ローズの?」
「ああ、おまえは市長ともやってるんだったな、面白い見ものになるぜ」

***

 残念ながらあなたは首だと市長が特別顧問に言った。特別顧問は元特別顧問になった。

「どういうことですか、何かの冗談ですか?」
「こんなときに冗談なんて言う訳ないでしょう」
「どうしてだ、おれはいつだって誠実に仕えてきただろう?」
「あなたがソース取引の下請けで小銭を稼いでるのは分かってる。ポピーって娘、あなたが使ってる娘ね。彼女もいずれ捕まるでしょう。今ならあなたにも司法取引のチャンスがある」
「ふざけるな、おれがいなかったらあんたは市長になんてなれやしなかったんだ」
「戯言はやめなさい。ドアの向こうに警察署長が来ている。あなたを特別顧問のまま逮捕させる訳にはいかない」

***

 情報屋のアイビーからダリアに連絡が入り、そこでようやく取引の全容が見えた。

「署長、十番街の映画館です。非常線の準備をお願いします。取引は今夜です」
「分かった、市長には私から伝えておこう」

***

 私は十番街の映画館に入り一番後ろの端っこの席に座った。映写技師がリールを掛け替えるタイプの古い映画館だ。客は私ひとりだった。

 いわゆるB級のノワール映画で、暇つぶしにはちょうど良いと思ったが、難儀だ。

 時系列はバラバラで、登場人物の顔は暗がりに隠れ、あるいはキャメラに背を向けるなどして誰の発話か不明である。演出だとしてもかなり不親切だ。

 派手な服を着た若い女が入って来た。女は席に座らず、ふらふらと通路を行き来している。

 あの女が取引相手だろうか。誰かを待っているようにも見えるが、その相手は私ではないらしい。

***

 映画館でのソース取引は空振りに終わり、その夜、市長は命を奪われた。

***

 一方、ダリアは情報屋のアイビーから緊急連絡を受け、ナイトクラブ『フラワーガーデン』に走った。

 そこで大量のソースと現金を発見し、カメリアと暗黒街の顔役を逮捕したのだった。

 ふたりは逃亡寸前だった。

***

 アネモネは二度とアイビーを名乗ることはないだろう。そしてアネモネの名も。

 彼女はローズを救えなかった。

 元ダンサーで、逮捕された顔役の元情婦。そして元情報屋でもあった。彼女はもう存在しない。あるいはどこかの牧場で、働き者の男と結婚し、多くの子を産み、最初の子にはローズと名付けているかもしれない。

 豚のように。その言葉を思い出すと彼女は少しだけ笑ってしまう。

(おわり)

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