🟡掌編小説|月下美人の夜
東雲色の髪が綺麗だった。
彼女は私がかつて契約していたガレージの秘書で、地域猫──キジ白の飼主でもあった。
輝くような髪色と黒のスーツがよく似合っていた。そして瞳──朝の光を受けて時折り瞳が赤く染まった。それが色素のせいなのか、あるいは人工的なものなのかは分からない。淡く優しい色だ。
私がガレージを訪ねると彼女が姿を現し、彼女が姿を現すと、どこからともなく猫が姿を現す。甘えながら彼女の足にまとわりつく。
彼女は猫に餌を与え、私にキーを渡す。毎朝の、私と彼女と猫のルーティーン。
***
一日が終わり、車をガレージに戻すとき彼女はもうそこにいない。いるのは猫だけだ。
猫は左耳がサクラの形をしている。
私は個包装のカリカリを常備していた。猫を手懐けて、仲良くなるためだ。
猫は私の足音か、またはエンジン音を認識していて、私が来ると鳴きながらひょっこり顔を見せる。おいで、今夜のおやつだよ。しかし猫は私の手から食べることはない。
カリカリを少し離れた場所に置くと、それを平らげてまたどこかへ消えてしまう。私は諦めてキーをポストに入れ帰宅する。
その関係が二年続いた。
猫は下心を見抜くのだろう。結局私は一度もその毛並みに触れることはなかった。
***
ある晩、車をガレージに戻しに行くとそこにいないはずの彼女がいた。
「どうされたんですか?」
「月下美人が今夜、咲きたそうだから」
静かな夜だった。
ガレージ横の植え込みの一角に、白い蕾が三つ、月明かりに照らされ淡くぼうっと光っていた。
「今夜咲いたら明日の朝には萎れてしまうの」
「どんな花なんですか?」
「見てれば分かるわよ?」
彼女がふふと笑った。
おいで、チョコ。このお兄さんは大丈夫よ。いつもの朝のお兄さんだから。こんばんはしなさい。キジ白がにゃーと鳴いて彼女に甘えた。
蕾と私たちはまるで沈黙の儀式みたいに佇んでその時を待った。
月明かりが鈴を鳴らす。
その夜、私と彼女と猫の瞳に月下美人が花を咲かせた。
***
転勤が決まりガレージとも契約を切ることになった。毎朝彼女からキーと車を受け取り、毎晩猫にカリカリを与えた。その生活が終わる。
最終日、私は彼女にカリカリの徳用パックをプレゼントした。良かったら、チョコに。
すると彼女は私のために用意していたキーホルダーをくれた。だいぶ古くなっていたから気になっていたの。趣味じゃなかったら使わなくて良いのよ。気に入ったら使って? 私は自分の愚かさを恥じた。
彼女の瞳にまた曙が差した。
猫の名前はチョコ。彼女にはまだ名前がない。
(了)
🟡1062文字
【附記】
本作は、以前書いたお題作品『猫にこんばんは』に少しだけ手を加え、改題して再公開したものである。
元の作品を書いたとき、これは単に「儚く美しい情景」というだけだったが、時がすぎて再度こうして読み直してみると、作品がまた別の色を帯びていることに気づかされる。どうしてか胸が痛い。
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