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⚪️掌編小説|羊をめぐる冒険

 眠れないからといって無闇に羊を数えたりしてはいけないよ。ぼくにそう教えてくれたのは知人の芽里野さんだ。芽里野さんは(元はと言えば)ゲッティンゲン大学の数学の先生で、おそらく羊だ。

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 1930年頃だっただろうか。ぼくはとある製菓会社に所属していて、お菓子のおまけとして同梱する玩具の企画・開発・製造を行う仕事をしていた。

 時代はまさに昭和恐慌の真っ只中で、株式市場は大暴落。中小企業の倒産が相次いだ。市中には失業者が溢れ「大学は出たけれど」という言葉が流行語になるなど、就職難の時代でもあった。

 何がきっかけだったかは覚えていない。ただぼくはこの頃から、毎晩、羊を数えるようになった。

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 芽里野さんとぼくがどのようにして知り合い、そして隔週月曜日には決まってランチを共にする仲となったのか。上手く説明できる自信はないけれど、何とか手探りでやってみようと思う。

 すべての発端は、オーストラリアとオーストリアを間違えた養父が、まだ幼い芽里野さんをその時点ではまだ存在していなかったはずの、ウィーン行きルフトハンザ202便に乗せたことに遡る。

 ぼくは第三共和制下のフランスでまさに「古き良き時代」の空気を子供ながらに享受していた。しかし、第一次世界大戦が全てを変えてしまう。平穏は崩れ去り、眠りは完全に奪われてしまった。

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 中央ヨーロッパ全域に戦禍が広がると、ぼくは極東の島国で軍部の武道教官をしているという母方の祖父を頼って疎開することになった。

 日本と呼ばれるその国に向かう長い船旅で出会ったのが、後に芽里野さんの妻となる青い瞳の美少女、ぼくの初恋の人、マリーである。当時10歳。

 一方その頃、芽里野さんは、数論分野におけるいくつかの重要な論文によりハイデルベルク大学とゲッティンゲン大学でそれぞれ終身教授の資格を得ていた。当時12歳。

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 ぼくとマリーの乗った船は日本がドイツに宣戦布告したことでドイツ軍の標的となり、潜水艦の攻撃によりあえなく沈没。乗員乗客556名の尊い命が失われた。ところがそこにはふたりの生存者がいた。それがぼくとマリーだった。

 母方の祖父、義一郎は明治生まれの堅物で、何より「義」の人であった。彼はぼくを引き取るだけでなく、マリーをも養女に迎えたのだ。つまり、その時点で、マリーはぼくの母となった。

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 数年後ぼくは祖父の元を離れ関西の製菓会社に就職。母マリーは「達者でね」と泣いた。

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 ぼくの労働者としての持ち味は、言うまでもなく眠らないことだ。この体質のおかげで職を得たのだし、他人の何倍もの成果を出してきた。

 人生で最も働いたのもこの時期だった。大恐慌を乗り越えたのもこの体質のおかげである。

 死が取り憑いていたのだと思う。

 眠らないのは眠れないからであって、眠りたくない訳じゃない。だからぼくは羊を数えた。眠るために。あるいは眠れないことを、確かめるために?

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 芽里野さんが羊になったのは、おそらく第二次世界大戦の直前、ヒトラーが数学者を集めて何やら怪しげな計算をさせ始めた頃のことではないだろうか。

 無論はっきりしたことは分からない。芽里野さんもあまり多くを語りたがらないし、ぼくもあえて根掘り葉掘り聞いたりはしない。

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 日本が戦争に負けて祖父義一郎が切腹騒ぎを起こし、また医師となった母マリーが自宅を改装して診療所を開いたので、ぼくも東京に戻ることにした。

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 久しぶりに再会した母マリーは、相変わらず美しかった。

 ひとつ屋根の下に暮らしてみれば夜な夜な思うことがある。考えれば考えるほど、マリーは母ではないのではないか。

 いやダメだ。邪念が多すぎる。ぼくは母の愛を知らずに生きてきたから。母ではないにしても、母であってくれたらさぞかし幸福であろう。

 また母でないならないで、いっそ娶ってしまいたい。その思いも否定できない。いやダメだダメだ。そんなことはお天道様が許すまい。

 ああ眠れない。眠れない。元々眠れないのに。

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 だからそれはむしろありがたいことだった。母の前に芽里野さんが現れ、故郷の話をたくさん聞かせてくれて、それはいつしか母の恋心となって、ふたりを結びつけてくれたことは。

 今ならそう言えるけれど、当時ぼくは深刻なミッドライフクライシスの渦中にあって、それなのに高度成長期を「モーレツ」に、不眠不休で駆け抜けなければならなかった。

 そして、そんなぼくを憐れんだ芽里野さんが隔週でランチに誘ってくれたのだった。

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 時代はバブル経済に突入。ぼくは開き直って寝ずに遊んだ。ナンパしまくった。

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 そしてバブル崩壊。

 時代に大きな裂け目ができた。けれど人間は変わらない。ぼくは相変わらず眠れない日々を過ごし、マリーもまた変わらず美しく聡明で、医師であり母だった。

 芽里野さんは東大の名誉教授となっていた。そして、長らく母とぼくの心の支えとなってくれていたが、ついにその人生を閉じる時がきた。

 最後のとき、つまり英語で言うところのファイナルまたはラストまたはエンド、そのすべての意味における終わりが彼に近づきつつあった。

 多くの人が病院では死にたくないと言う。しかし芽里野さんは診療所での死を望んだ。母マリーに看取られ、タイムオブデスの宣告を待つのだと。

 芽里野さんはぼくの手を取り、ぼくに冒頭の言葉を、まるで諭すように、教えてくれた。意識は朦朧としていただろう。言葉は切れ切れで力無く、吐息のような声だった。だから芽里野さんがどういうつもりでそれを言ったのか、正確にはよく分からない。ただ、ぼくはその手を強く握り返し、心からの感謝を述べた。

 マリーが芽里野さんの手首に触れ、彼の時が止まったことを宣言した。

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 ぼくの終わりも近い。

 思い残すことはないと言ったら嘘になる。だが、マリーが最後まで母でい続けてくれたことには感謝しかない。そう伝えてあげたかった。

 さあ。そろそろだ。

 もう羊を数えることもない。そして生まれて初めて、本当に安らかで深い眠りにつくのだ。

(おわり)

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