金澤歩記第21歩|蛍の光が胸に届く前に立ち上がったもの
幼いころに見た蛍の群れは、記憶の中でいつの間にか揺らぎ始めている。
今年、ふと無性に蛍を見たくなり、玉泉湖へ向かった。 淡い光の美しさよりも先に胸に立ち上がったのは、思い出の層だった。 藍色の水面の静けさの中で、その理由をそっと探していた。
幼いころの蛍の記憶
視界いっぱいに広がる蛍の群れを見たのは、保育園の年長か小学校低学年のころだっただろうか。 そのころ住んでいた家の近くには小さな川があり、銭湯の帰り道に見た記憶があるような気がする。 ただ、今となっては、毎年お盆にテレビで放送される『火垂るの墓』のワンシーンの残像という説も否めない。
息子たちに見せた2匹の蛍
息子たちが保育園に通っていたころ、湯涌温泉近くの田んぼで「ここなら蛍を見せてあげられる」と思ったのだが、見られたのはたった2匹で、息子以上に私がショックだった。 蛍は水がそこそこ綺麗なところならどこでも見られると思っていた。
玉泉湖へ向かった夜
それが、なぜか今年は無性に蛍を見たくなった。
玉泉湖は蛍の生息地だったはず。 蒸し暖く、風がない20時から21時という“蛍が見えやすい条件”に近い平日の夜に玉泉湖を目指した。
玉泉湖は湯涌温泉の総湯を過ぎたところにある。今日は総湯も温泉も客の入りは8割といったところか。
玉泉湖には周囲約500mの遊歩道があり、愛犬と昼間に散歩に訪れることはあるが、夜に来たのは初めてだ。 足元が真っ暗で、遊歩道を歩きながら蛍を探すことはできなさそうだった。
7月1日の氷室の日には、必ずこの湖のほとりにある氷室小屋がローカルテレビで放送される。
ポワッと浮かぶ光
遊歩道から湖を覗いても蛍は見えず、空振りかと思われた。 恐る恐る湖の方に階段状の坂を降りていくと、ポワッと小さな光が見えた。 湖の脇の草むらの中で、湖の上で、ポワッと優しい光が浮かんでいた。
飾らない光だった。 強くも弱くもなく、その蛍がその瞬間に選んだ光だった。 ああ、居てくれたんだと思った。数にして20〜30匹程度だろうか。
愛犬の鼻先に来た蛍
写真を撮ってはみたものの、素人の技術では心霊写真にしか見えず、蛍のほのかな光を残すことはできなかった。
ポワッとした光は愛犬の鼻先にも飛んできて、初めて蛍を見た愛犬は不思議そうに鼻先を向けていた。 愛犬の鼻先まで来た蛍に、思わず「こんなところまで来なくていいよ。安心できるところにいなさいよ。」と心の中でつぶやいた。
飛べない蛍と、飛べなかったカブトムシ
ただ、居てくれたことが嬉しく、小さな光をぼんやり眺めていた。
眺めながら“飛べない蛍の物語”を思い出していた。 羽が変形して飛べない蛍の物語の最後はどんな結末だっただろうか。
息子たちが小さかった頃、カブトムシの幼虫を10匹ほど見つけて、コーヒーの空き瓶の中で1匹ずつ羽化させた。 その中の1匹は、幼虫のときに触った場所が悪かったせいだろう、羽の先が重なるように変形していた。 あのカブトムシは飛べないまま飼育箱の中で一生を終えたのだっただろうか。
車のライトに光る小さな羽虫は、自分では光れないから存在意義が薄いのだろうか。
不完全燃焼の正体
夏の風物詩を見て感動するはずだったが、言いようのない不完全燃焼の感覚が残る夜だった。 それは、美しいものをただ美しいと言えなくなった感性の衰えにウンザリしたのでも、蛍の大群が生息できなくなった環境悪化への嘆きでもない。
長い年月と経験が層になって重なり、淡い光の美しさが胸に届く前に、思い出の層のほうが先に立ち上がったのだろう。 総湯に入れば、表面のざらつきだけでも洗い流せただろうか。
藍色の静止
蛍がいる岸の対岸の水面は、藍色のまま鏡のように静止していた。 色も光も揺らがず、必要なものだけがそこにあった。 蛍も、私も。
