「君のための晩祷」
あらすじ
SNSで怪奇ネタアカウントを運営する“もふうさ”の配信をフォロワーのアオイがリスナーとして聴いている。配信中スピーカー権限を与えられた沙羅は高校生の頃ピアノの先生の息子であるコウキに恋をして、彼の部屋に侵入しては自分の私物を置いてきていた話を始める。やがてコウキに、はなという彼女が出来たことに気づき、彼がはなからもらった手作りのお菓子を見た沙羅は、嫉妬に駆られて自分の作ったお菓子とすり替えて帰ってきた。翌々日コウキが毒物により死んだことを知った沙羅は数日後、自分のお菓子を食べたのかどうかを確認するためコウキの部屋に侵入し、恐ろしい体験をする。一方、沙羅の話からアオイは別のことを思い出す。
夕食を食べお風呂も済ませて、廊下の奥の自室に入るとベッドに寝転んでスマホからSNSにログインする。“アオイ”はロム用のフォロワーゼロの鍵アカだ。一日分のタイムラインを眺めていると程なくして通知が入った。
“もふうさ さん が配信を開始しました”
今日は絶対これを聴こうと決めていた。怪奇ネタアカウントの“もふうさ”、半年程前まだフォロワーが三桁になったばかりの頃に偶然投稿が流れてきて、読みふけったことをきっかけにフォローした。もふうさはそれから順調にフォロワーを増やし続けて、ついに四桁になった記念に今夜初めての配信をするという。
とはいえ学校で話題になるような何十万、何百万というフォロワーを抱える芸能人やインフルエンサーとはわけが違う、このアカウントのことを友達と話したことは一度も無かった。自分だけが知っている、いや実際には四桁に上るフォロワーがいるのだからそんなことはないんだけど、そう思いながらアオイは無線イヤホンをはめて入室ボタンを押した。
ポストによると、もふうさは子どもの頃からよく不思議な経験をしてきたらしく、自分の体験談を中心に週に一回程度投稿している。知り合いから聞いた話のときもあるけれど、こんなペースで書いていたらあっという間にネタなどなくなってしまうんじゃないかと思うのに、載せたら載せるだけまた新たな出来事が起こったり、人から聞いたりするからいいのだという。理屈だけでは説明できないちょっと不思議な話が淡々と語られていて、アオイはその落ち着いたトーンが気に入っている。
配信が始まってすぐに入室したのは十人程度、フォロワー四桁とはいえほぼ壁打ちだからこんなものだろう。女性の声だった、特に高くもなければ低いわけでもない、しゃべり慣れた様子でもないが聞きやすい声だ。
――――こんばんは、もふうさです。いつもポストをご覧いただきありがとうございます。配信は初めてなので、お聞き苦しいところもあるかと思いますが一時間くらいかな、お話できたらと思います、よろしくお願いします。
今日は特にはっきりと内容を決めてるわけではないんだけど、何か私に聞きたいことがあったら答えるのでリプくださいね。あ、早速ありがとうございます、性別? 女性ですよ、いま地声で話してます。
なぜこのアカウントを始めたのか? ええとそうですね……私は子どもの頃から理屈では説明できない体験をすることが多かったんですが、そういうものだと思って特に気にしてなくて。人に言っても信じてもらえるかわからないし、親にすら話してきませんでした。でも自分の中で完結させてしまうより、誰かに聞いてほしくなったんです、ため込むのはよくないかなって。それでSNSを始めました。
配信は初めてと言っていたけれど、聞きやすい口調で詰まることなくどんどん進めて行く。リスナーもあっという間に百人を超えていた。
――――質問来てますね、年齢ですか? それはまあ投稿の内容からなんかで推測して下さい。仕事か、仕事は普通の会社員です。好きな動物……? イルカかな……もちろんうさぎも好きですよ。
そうだ、もしよかったらどなたか一緒にスピーカーをして下さるとありがたいです。そうだな、“なぜか怖く感じるもの”を聞かせてもらえますか? どうしてそれを怖く感じるのか一緒に考えるのもいいかなって。
アオイにも怖いものはいくつかあって、高いところは苦手だし集合体恐怖症の気もある。だからといってわざわざスピーカー申請して披露するようなネタでもないしは三桁のリスナーに向かって何か話す気もなかった。でも何かリプを飛ばしてみたいと一時的にアカウントの鍵を外したところで次の話題に入った。
――――申請はいつでもどうぞ、それまで私の子どもの頃の不思議な話をしながら待ってますね。家族や近しい人間に関わる話なので、名前や状況については少し変えてあります。
私の両親は二人とも働いていたので、子どもの頃は姉妹で留守番する機会がよくありました。二歳年下の妹がいて、あるとき二人で遊んでいたら電話がかかってきて。当時まだ家電があったんです。
両親不在のときは電話に出なくていいって言われてたんですが、私はその頃“自分はお姉さん”という意識があったので、電話に出たくてたまらなくて。それで出てしまいました。受話器を持って名字を名乗りましたが、電話の向こうは雑音混じりで相手の言っていることはよく聞き取れない。相手の声が男性か女性か、何歳くらいなのかも覚えてはいないんですが、子どもの声では無かった気がします。何度か聞き直してやっとわかりました、『アリサちゃん、いる?』と聞いていることに。私はもちろん、妹の名前も違います。それで「いないよ」と答えたらすぐに『わかった』と電話は切れました。
それ以降もこの電話はたびたびかかってきました、きまって大体五時くらいに。そしてなぜか両親のどちらかが家にいるときはかかってこないんです。私はこの頃すでにほかにも不思議な経験をしていたので、この電話もそういうもののひとつだと理解していました。怪異とか霊とかそういうね。
何回目かで電話に出た後、気付いたことがありました。それは妹の名前は『アリサ』ではないものの、ちょっと音が似ているということ。もしかして電話の相手は妹を探しているのではないか? 名前を間違って覚えているだけなのでは? ……絶対に妹の存在は知られてはならない、そのためには必ず私が電話に出ようと決めました。電話を無視するのは、それはそれでダメなことのように思えたので。
ある日の夕方、やはり妹と留守番をしていたら私の友達が尋ねてきたんです。クッキーを焼いたからあげるねとかそんな理由でした。家には上がらず玄関で別れたのですが、ちょうど友達を見送ったときに電話が鳴る音がしました。時間は五時、例の電話です。私は廊下を走ってリビングへ向かいましたが一瞬遅く、すでに妹が電話に出てしまっていたのです。
「アリサ?」
妹が復唱します、ダメだ、受話器を取り上げなれればと手を伸ばしたときでした。
「アリサちゃんならお友達です」
妹の答えに私は目を見開きました、そうだ、そういえばそんなことを言っていた。同じクラスに妹と背格好から髪型まで同じ、名前まで似ているお友達がいるのだと。
電話はそれで終わったようで妹は受話器を置きました。妹が私の気配に気付いたようでこちらを向きます、ちゃんと電話の対応が出来たという満足げな表情でしたが、私はどうしようもなく悪い予感がして不安でいっぱいでした。
「アリサちゃんってどこに住んでるんだっけ、この近く?」
「えーと、スーパーの上のマンションに住んでるって言ってたよ」
「駅の近くのスーパーかな。……ねえ、お母さんが帰ってくるまであと一時間くらいあるからちょっとだけお出かけしない?」
私が誘うと妹は喜んでついてきました。妹の話によるとアリサちゃんは民間の学童に行っているらしくまだ帰っていない可能性もありましたが、居ても立ってもいられず家を出ました。スーパーは駅前の大通りから一本逸れた道沿いにあります。ここは道幅が狭く、しかも交通量が多いため普段は子どもだけでは通らないように言われている道でした。
歩道を妹と歩いていると、二十メートルほど先にランドセルを背負った妹にそっくりの後ろ姿を見つけました。
「アリサちゃんだ!」
妹が走り寄ろうとしたときでした。私たちのすぐ後ろから猛スピードで白い乗用車が走ってくるのが見えました。私はとっさに妹を止めて、大声で「アリサちゃん!」と叫びました。目の前のランドセルを背負った女の子が足を止めてこちらを振り返ります。白い乗用車は私たちのすぐ横を蛇行しながら走り抜け、そしてほんの少し先のところで歩道に乗り上げて止まりました。そう、もしアリサちゃんが歩き続けていたらちょうどいたであろう場所に。
一瞬の静寂の後に周囲にいた人たちの悲鳴が聞こえて、アリサちゃんが目微動だにせずそこで佇んでいます。何が起こったのか頭が処理できないようでした。アリサちゃんのところに駆け寄り三人でかたまっていると、大人たちが走ってきて怪我はないかとか大丈夫かと聞いて来ます。しばらくしてパトカーや救急車がやってきて、その後はあまりよく覚えていないのですが、運転していた人が病気で突然気を失ってクルマを暴走させてしまったらしいと後から聞かされました。幸運なことに大きな怪我をした人は誰もいなかったということでした。
それ以降、例の電話はなくなったんです。電話の主は何を目的にしていたのかはわからないのですが、子どもの頃の忘れられない話です。
聞き入ってしまいリプを忘れていた。上半身を起こしてベッドに座る体勢でアオイが再度入力しようとしたところで、スピーカー申請中のアカウントがあるのに気付く。“沙羅@かぎ”という見たことのないアカウントだった。かぎ、とあるからアオイと同じように普段は鍵アカで、いまだけ公開設定したのかもしれない。正直このままもふうさの話を聞いていたいと思ったものの、申請はすぐに承認されたようだった。
――――申請ありがとうございます。沙羅さんでいいですか?
「はい、承認ありがとうございます。配信で話すの初めてっていうか人前で話すの苦手なんですが、なんかすみません」
――――そんなことないですよ! むしろ申請してくれてありがとうございます。怖いと感じるものの話ですよね、どんなことですか?
「あの、私はノクターンが怖いんです。聴くと思い出すことがあって」
――――ノクターン? ショパンの?
「そうです。ノクターン第二番変ホ長調9-2、一番有名なやつ」
――――聴くのが怖いんですね? 思い出すことがあって、ということは、怖く感じるようになった理由があると?
「はい、ちょっと長くなるんですが聞いてもらってもいいですか?」
――――もちろん! ぜひ聞かせて下さい。
わざわざ申請して話すくらいだからこの場にふさわしい怖い話や不思議な体験を語ってくれるとは思うが、取るに足りないつまらない話を長々と始める可能性もある。いきなり知らない人間をスピーカーにするからには、もふうさはどんな展開になってもうまくまとめる自信があるということなのだろう。……それかあらかじめ仕込んでおいたヤラセのどっちかだなとアオイはイヤホンを耳に押し込むとベッドに寝転んだ。
「高校のときの話です。いろいろと良くない行動もしてるんですが、時効だと思うからそのまま話しますね」
アオイが配信のツリーを見ると、『声が可愛い』というコメントがついていた。たしかに、もふうさは口調も声も落ち着いた印象なのに対し、この沙羅というアカ主はまだ高校生といっても納得するほどに可愛らしい声でゆったりと話す。言い方からして高校は結構前に卒業したということなんだろうけれど。
「同じクラスに好きな男の子がいたんです。仮にコウキくんとしますね。私はクラスでも目立たない地味なタイプの人間で、反対にコウキくんは男女問わず友達が多くていつも教室で楽しそうにしてる、私たちは挨拶くらいは交わすけど全く接点はありませんでした。
ただ、私には彼と特別な繋がりを持てる点があったんです。私は子どもの頃からピアノを習っていたんですが、それまでお世話になっていた先生が高齢で引退されてしまって。ノクターンを弾けるようにするのが目標だったのでピアノは続けたくて、それで高校生のときに新しく通い始めた先生が偶然コウキくんのお母さんだったんです。とはいえ、それだけの理由で彼と急に親しくなれるわけもありません。彼にとっては別にどうでも良いことでしょうし。
先生はお家でレッスンされていたのですが彼はその時間は部活で、顔を合わせることはないとわかっているのですが、それでも私はなんとなく毎回緊張しながらレッスンに通っていました。
あるときのレッスン終わり、帰る前にお手洗いを借りようとしたら先生が、一階のトイレはいま水漏れしているから二階のを使ってねと言うんです。階段を上って二階の廊下の突き当たりにあるトイレを借りて、下に戻ろうとしたときです。廊下の左側のドアが少し開いていて中が見えました。良くないことなのはもちろんわかっていましたが、つい覗き込んでしまいました。窓際に置かれたグレイのシーツがかかったベッドにはタオルケットが丸まっていて、床は乱雑とまでは言わないもののTシャツや短パンが脱ぎ捨てられてあります。壁際には机があり、数学の問題集や見覚えのある世界史の用語集が立てかけてありました。極めつけはシューズバッグ、部屋の端に無造作に置かれたそれはコウキくんが持っていたものと同じで、ああこの部屋は彼の私室なのだということがわかります。階下から次の生徒さんの弾くピアノが聞こえて我に返りました。こんなのは良くないと反省して先生に挨拶してその日は帰ったんです。
学校で小さな携帯ミニゲームが流行ってて……パズルゲームができるキーホルダー型のやつです。彼が欲しがっているのをたまたま教室で耳にして、私はこのゲームを持ってたので、あげてもいいと思いました。でも直接渡せるような関係ではなかったから次のピアノレッスンのときお手洗いを借りると言って二階に行って……彼の部屋に入りました。この日教室で彼はペンケースを家に忘れて来たと言ってたんです。思った通り机の上に見慣れた彼のペンケースを見つけて、その中にゲームを入れて帰りました。翌朝彼は教室に着くなり、「間違えて持って帰ったみたいなんだけど、誰のかわかる?」と言ってクラスのみんなに聞いて回っていました。でももちろん名乗り出る人はいなくて、彼は首を傾げつつも「とりあえずおれんちに置いとくわ」と言ってて、私は気にせず遊んでくれていいのになあってもどかしく思いながらも満足でした。
次の週、ゲームがどうなったかを確認したくてまた彼の部屋に入りました。ゲームは彼の机の端に置いてあって、私が持ってきたものが彼の部屋の一部になったことがなんだか嬉しくてたまりませんでした。そして同時に、ほかにも何か置いておきたい気持ちになったんです。慌ててポケットやレッスンバッグの中を探して、黒いボールペンを出しました。何の特徴も無い百円のボールペン、これなら彼に見つかっても不審に思われないでしょう? それ以降、毎週何か一つ、彼の部屋に私物を置いてくるのが習慣になりました」
あまりに自然に話すのでそのまま受け流しそうになった。本人も良くないことだという自覚はあるとは最初に言っていたものの、これは何らかの犯罪なんじゃないかと少し不快感を覚えた。そう思ったのはアオイだけではなかったようで、リプ欄には「不法侵入」「犯罪」「でも盗んでるわけじゃなくて置いてきてるだけなんだよな」などとコメントがいくつか並んでいる。そのほかにも、「携帯ミニゲームってテトリスミニのことだよな。流行ったの90年代だっけ」「同世代だと思います、学生時代テトリスミニ持ってました。最初なかなか買えなかったの思い出しました」といったものもあって、アオイはざっとすべてに目を通す。
――――ちょっとだけいいですか?
ずっと黙って聞いていたもふうさが口を挟んだ。何か沙羅に否定的なことでも言うのかと思ったけれど、口調はとても優しい。
「はい、なんでしょうか」
――――沙羅さんはどうしてそのコウキくんのことが好きになったんですか? 何かきっかけが?
ただ聞いているだけのアオイはもちろん、沙羅自身も予想していなかった質問だったようで少し沈黙が続いた。
「顔……かな。別にすごくカッコイイってわけでもないんだけど。それから、クラスでいつも友達と楽しそうにしているところがなんか気になって。気付いたら目で追ってたっていうか」
――――わかりました、すみません、話を続けて下さい。
「私は友達に好きな人のことを話すこともなかったので、コウキくんに恋をして、おまけにこんなことをしてるなんて誰も知らないんです。それからも毎週何かしら彼の部屋に置いてきていて、幸運なことに彼に気付かれてなかったんですけど、でも今度はそれが物足りなくなってきてしまったんです。最初のゲーム、あれは彼に気付いてもらえたけどその後は何も反応してもらえない、それが寂しくなってきて。それで、そのうちに彼が休みの日に使ってるらしいバッグの中にポケットティッシュを入れたり、彼がよく食べてるミントタブレットをコンビニで買ってきて机の上に置いたりするようになりました。そしてこの頃にはビニール手袋を持っていって指紋を残さないようにしていました。見つけてほしい、でも私だと気付かれたくない気持ちがそうさせたっていうか」
ビニール手袋をして自分のバッグを漁るクラスメイトを想像する。それはアオイにとっては恐怖の対象だったし、好意ゆえの行動だと言われても嫌悪感しかない。同様に考えたリスナーも多かったようで、「こわ」「絶対ヤダ」「通報」などと否定的なコメントが増えていくが、少なくともアオイはこの話がどこに向かうのかを知りたくてたまらなくなっていた。ふと見るとリスナーの数もどんどん増えていて、最後に見たときから倍近い数になっている。
そういえばノクターンはどうなったのだろうか。もともともふうさの配信だったのに、いまや沙羅の独壇場だ。
「あるとき、確か授業が昼までの日で、でも彼は家にはいませんでした。確か先生が、コウキは塾に行ったと言っていた記憶があります。そんなわけでその日は彼が通学に使っているリュックが置いてあったんですが、そのファスナーを開けるとき、ちょっと嫌な予感がしました。見たくないものが入っているんじゃないか、そんな気がしたんです」
そこで沙羅はいったん話を止めた、アオイを含めリスナー全員が固唾を呑んで耳を澄ませている気がする。
――――なんだろう、コウキくんに幻滅するようなもの……いや違うな、彼に彼女がいることがわかるようなもの、とか?
沈黙を破るようにもふうさが発言して、そしてまた少しの無言の後で沙羅がやっと話し出した。
「そうです、正解です。彼が自分で選ぶとは思えない可愛いピンク色の紙袋が見えました。恐る恐る引っ張り出して、袋を留めているシールをバレないように剥がしました。すると中にはいかにも手作りという様子の焼き菓子が入っていたんです。それから小さなメッセージカードがついていて『コウキくんへ 食べたいって言ってたから作ってみたよ だいすき はな』って書いてありました。それを見て頭の中が真っ白になって、五分くらいはその場で動けなくなっていたと思います。下の階からはずっとピアノの音が聞こえているけれど、先生が不審に思って二階を見に来るかもしれない、そう思っても動くことが出来ませんでした。はな、という名前に聞き覚えはありませんでした。少なくともうちのクラスにはそんな子はいないんです。違うクラスか違う学年の恋人だろうか、それしか考えられません」
沙羅の執着ぶりからして、これであっさり諦めるとは思わなかった。どんな暴挙に出るのか想像もつかず、ただ耳を澄ませた。
「お菓子作りは私も好きなんです。得意だし、よく学校に持って行っては同じグループの友達に配って喜ばれていました。ピアノのレッスンには学校帰りに来ているんですが、実はその日も友達にクッキーを持っていってて……余った一袋がバッグの中に入りっぱなしだったんです。それで、紙袋の中のお菓子をもともと入っていた焼き菓子から自分のクッキーにすり替えました。慎重にシールを留め直してリュックに入れると、何事も無かったように先生の家を出ました。そういえば先生に挨拶をするの忘れたと思ったけど、頭の中は真っ白だし、心臓は外から見えるんじゃないかってくらいにどきどきしていて、それどころじゃありませんでした。
はなって子の焼き菓子は家に帰って捨てました。考えてみたら、彼の部屋から私が置いてくるんじゃなくて何かを持ってくるのはこれが初めてでした。罪の意識みたいなのはあまりなくて……それよりはなって子のことで頭がいっぱいでした。入学のときにもらった名簿を引っ張り出して、同じ学年の女の子の名前を調べましたがそんな子はいなくて。花田さんとか、名字の可能性もあるなって思ったけどそれもいませんでした。
その日はなかなか眠れなくて、はなってどんな子なんだろうっていうのを想像して夜を過ごしました。コウキくんの彼女になるくらいだからスポーツが得意なタイプなのかもしれない。昼休みにバスケ好きの人たちが体育館に集まってるらしいから、そこで知り合った女バスの先輩とかかな、そんなことを考えていたら朝になっていました。
ほとんど眠らずに朝を迎えて、そしたらちょうどその朝、私が普段使っている路線の始点駅の方で落雷事故があったらしく電車が止まっていたんです。頑張ればほかの路線を乗り継いで登校できないこともなかったけど、眠かったし学校は休むことにしました。
それで翌日のことです、学校に行ったらなんだかクラスの雰囲気がおかしくて。みんなやけに元気がないっていうか、暗いというか。始業のチャイムが鳴ったので席について、ふとコウキくんの机を見たらまだ登校していない様子でした。遅刻だろうかって思っていたら前の席に座っている友達が振り向いて、『コウキくん、昨日急病で欠席したんだけど、死んじゃったんだって。なんか毒でって聞いたよ』っていうんです。
私が絶句しているタイミングで担任が入ってきて、全く同じ報告を聞かされました。クラスの様子はざわめくと言うより絶句というか……みんな現実のこととして受け止められないようでした。
たった一日学校に来ていなかっただけで思ってもみないことが起きていて、とはいえクラスのみんなもそれ以上の情報を持っているようには見えません。あれだけ好きだったコウキくんが突然もう学校には来ないと言われても到底受け入れられなくて、今でも彼の部屋に行けばコウキくんがいるんじゃないかと、そんな風に思えました。あとで担任から、葬儀は家族だけで行うという報告がありました。
でも帰宅して、じわじわと心配事が出てきました。コウキくんが死んだ理由、友達から聞かされたのは“毒”でした。まさか、私が置いてきた手作りのお菓子が原因だったらどうしようかと不安でたまらなくなります。いえ、身に覚えなどひとつもありません。同じように作ったお菓子を自分も食べたし、なんなら学校の友達にも配ったのです。でも、警察が調べ始めたら焼き菓子を作った人間が真っ先に疑われるだろうし、そして彼の部屋には私がこっそり置いてきた様々な物がたっぷり残っています。警察が話を聞きに来るんじゃないか、それがずっと心配でたまりません」
リプもリスナーもどんどん増えていく。この話はどこに行き着くのだろうか、実は沙羅が毒を盛ったとでもいうのだろうか。気がつけばもふうさも返事すらせずに聞き入っているようだった。
「私は自分で自分のことを呆れてしまいました。あんなに彼のことが好きで部屋に忍び込んでいたというのに、彼が死んで寂しいということよりも自分が警察に捕まったらどうしようということの方が心配でした。彼の死の実感がまだ沸いていないというのもあるけど……それから家族のみで執り行われるというコウキくんの葬儀、はなって子は行ったのだろうかと、そんなことばかり考えていました。息子さんを急に亡くしたわけですから、ピアノのレッスンもしばらくお休みと言うことになりました。
それから一週間経って学校で朝礼があって、そこで全校生徒でコウキくんを悼むということになったんですが、校長先生の話で私は目を見開きました。コウキくんの死因、それはピーナッツアレルギーによるものだっていうんです。彼はもともとピーナッツアレルギーを抱えていて食品には気をつけていたけれど、うっかり口にしてしまった。不幸なことに対処も間に合わずそのまま息を引き取った、そういう悲しい事故だったと。
それを聞いて私は全身から血の気が引くというのはこういうことかと思いました。吐き気がして、全校朝礼だというのに崩れ落ちるように座り込んでしまい、気付けば保健委員の子に手を引かれて保健室に来ていました。貧血だということでベッドに寝かされましたが頭の中で考えているのは、はなという子の焼き菓子とすり替えた私のクッキーのことです。友達や家族から評判の私のクッキー、それはバターの代わりにピーナッツバターを使うのが特徴でした」
リプ欄には、「やっぱりこいつが殺したんじゃないか」とか「殺人犯」「ストーカー殺人」という言葉が並んでいた。ネット特有の、匿名で罵るようなのは良くないと思いつつもアオイ自身も沙羅に対してはネガティブな感情を持つようになっていた。責められても仕方ないというだけのことをしている、断罪されるべきなのだと。
「とんでもないことをしてしまったと思って、手足が冷たくなって、何も手につきませんでした。警察に行って全部話すべきだとわかってはいるけど、怖くて……。運良くというか、その日帰宅してから私は発熱して翌日は学校を休みました。高熱の中で見た夢にはコウキくんが出てきました。私は彼の恋人になっていて、彼に手作りのお菓子をプレゼントするんですが、それを食べたコウキくんは私の目の前で苦しみながら死ぬんです。そんな夢を繰り返し、繰り返し見るんです。発熱から二日目の夜、まだ熱は下がっていなかったのですが、私はベッドを出ると両親に気付かれないうちにこっそり家を出ました。向かったのはコウキくんの家です。彼の父親は単身赴任していて遠方にいるらしかったし、母親、私のピアノの先生は心労から実家に帰っていると聞いていました。熱に浮かされた私は安直に、それならばいまあの家には誰もいないと考えました。
先生は家の合鍵を、玄関前の植え込みのドワーフの陶器の下に隠しているのを知っていました。小学生の頃コウキくんに合鍵を持たせたらしょっちゅうなくしてくるから苦肉の策でそうしたのだと以前レッスンのときの雑談で漏らしたのを覚えていたんです。今も鍵がありますようにと祈るようにして人形を持ち上げたら案の定そこに隠してありました。玄関ドアを開けましたが人の気配はありません。私の目的は、彼の部屋に行って……私が置いてきたクッキーを彼が食べた形跡があるか、それを確かめることでした。どうか私のクッキーが手つかずで残っていますように、彼が死んだ原因が私のクッキーじゃありませんように。自分勝手なのはわかっていますが、このときの私はそれだけを考えていました。
真っ暗でしたがさすがに電気をつける度胸はなくて、彼の家の玄関に置いてある懐中電灯を借りて足元を照らします。コウキくんの部屋には掃き出し窓があり厚手の生地のカーテンは開いたままだったので、外灯の明るさのおかげで目が慣れてくれば部屋の中を歩くのには困りませんでした。
彼のリュックは最後に見たときと同じように床に置いてあります、そんな必要はないのになるべく足音を立てずに近づいて行ってファスナーを開けました。するとそこには私が置いてきたままの状態で紙袋が入っていて、シールも留まったままだったんです。そう、彼は私のお菓子を食べたんじゃない、コウキくんが死んだのは私のせいじゃなかったってことがわかりました。
うれしかった、心からホッとしてその場に座り込みました。本当にうれしくてうれしくて、彼が死んだのにこんな感情良くないのはわかってるけど、泣きたくなるくらいうれしかった。
誰かに見つかる前に帰ろうと思ったときでした、急に首筋にヒヤリとしたものを感じて、同時にすごく息苦しさを感じたんです。自分の手を首に持って行って気付きました、誰かが私の首を絞めている。冷たい手でした、自分の指を首に這わせてみると、そんなに大きな手のようには思えない、おそらく私と同じくらい。でもすごい力で、どんなに外そうとしても外せないんです。
騒いで誰かに見つかったらまずいと思っているから声を出そうという発想がありませんでした、冷静に考えたら命の方が大事なのに。それで黙って必死に指を外そうとするのに敵いません。そのうちに本格的に呼吸が苦しくなって、息を吸うと「ハヒュッ、ハヒュッ」というおかしな音が出ました。そうなって初めて無意識に助けを呼ぼうと叫ぼうとしましたが、息がまともに吸えないし喉も押さえられているから声なんか出ないんです。なりふり構わず手足を動かしましたが逃げられません。どうにかして私の首を絞めている人の顔を見ようと何度も後ろを見ようとしましたが、そのたびに首に食い込む力は強くなっていきます。
そのうちに、振り上げた私の手が相手の頭に当たったのを感じました。かなり強い力だったと思います、そのせいで力が弱まり後ろを振り向くことが出来ました。女の子でした。同い年くらいの、とても可愛い子。私と同じ学校の制服を着ていました。それでもまた首を絞める力は強くなっていきます。だんだんと視界も狭くなっていき耳鳴りがして、それでも直感でわかりました、いま私の首を絞めているこの子、これが“はな”なんだと。私の想像した通りの子でした、活発で意志が強そうで、でも可愛らしさを備えていて。ああ、こんな素敵な女の子がうちの学校にいたんだなあって思って、でも人を絞め殺すのってすごい力がいるらしい、私と体格も変わらないのにそんな力があるものなんだろうか。人を超えた力なのではないだろうかとぼんやりと考えました。
『か……せ』
最初はよくわかりませんでしたが、はなは何か呟いているようでした。私はもう頭も耳もまともに働かないし、全然聞き取れません。それでも何回目かにようやくわかりました。『返せ』と言っているのだと。コウキくんを返せと。
『ちが……わた……じゃ』
コウキくんは私のお菓子を食べていない、だから彼が死んだのは私のせいじゃない、そう言いたかったけれど言葉になりません。
『置いていくだけだから見逃した、持って行くのは許さない』
私を締め上げながら漏れ出てくる言葉を拾っていきます、私のしてきたことが気付かれていたのでしょうか。置いていくのは見逃した、持って行くのは許さない……そう、私はずっと彼の部屋に置いていくだけで何かを持って行くことはなかったのでした、はなの焼き菓子以外は。
『ごめ……』
とにかく謝ろうとしましたが力はどんどん強くなります。
『持って行くのは許さない、在るべきものを在るべき場所に返せ』
そう言われてもあの焼き菓子はとっくに捨ててしまいました、今更返しようもありません。それに彼だってもう帰っては来ないのです。
『返せないなら、その身体を置いていけ』
ああここで殺されるんだと思いました。そうだ、私は彼の部屋で常軌を逸したことをしてきたけど、でも何も持ってきたことはなかったんです。言ってみればルールみたいなものだったのに、私はそれを破ってしまったのだと気付きました。
正常な思考が出来なくなっているので、私はそれを受け入れそうになっていました。私は自分で決めたルールを破ったせいでここで死ぬのだと。ただそのとき、だらりと垂れ下がった自分の右手が何か硬い物に触れたのがわかりました。このとき私はパジャマからクローゼットにかかった私服に着替えていたのですが、先週レッスンに来たときと同じ服を着ていました。レッスンのときに譜面を留めるクリップ、この前持ってくるのを忘れて先生の物を借りて、そのあとそのまま帰ってしまっていたのです。来週返せるようにとポケットに入れてあったのを思い出しました。
プラスチックなので軽いのですが、分厚い譜面を留められるような少し大きな物です。心の中で半分くらいは殺されても仕方ないと思っていたのに、やはり最後まであがき続けたい気持ちが沸いてきて、右手でクリップを掴むと思い切り振り上げて最後の力で後ろに向かって振り落としました。
特に手応えはありませんでしたが、振り落とした勢いでクリップを手から離しました。すると同時に急に息がしやすくなって空気が一気に入ってきたので、その場にしゃがみ込んで激しく咳き込みます。自分の手で首を触りましたが、もう締め付けてくる指はありません。振り上げた手は空振りしたはずなのに、なぜ解放されたのか考えてふと頭に浮かびました。このクリップは元々先生の家に在った物で、私がそれを持って帰ってしまった……だからここで手を離したことで“在るべきものを在るべき場所に返した”ことになったのではないかと。はなという子が首を絞めてくる強さはどう考えても人の力を超えていた気がするのです。だからこそ、こんな言葉遊びみたいなことであっさりと許されたのではないか、荒唐無稽ながらもそんなことを考えました。
はなの様子をうかがおうと咳き込みながらもゆっくりと後ろを振り返ります、すると驚くべきことに、そこにいたのはさっき見たような制服を着た可愛い女の子ではありませんでした。呆然と佇んでいたのはコウキくんの母親、私のピアノの先生だったんです。
先生の視線はこちらに向いてはいましたが、私を見ているようには見えませんでした。どうして自分がここにいるのかもわからずただそこにいるだけといった様子で、私は一瞬迷いましたが結局そのまま走って家に帰りました。家族にも気付かれずに部屋に戻ると、パジャマに着替えて布団を被ってベッドに入ります。
翌朝には熱が下がっていたので学校に行くことになりました。昨日の私の行動が、というよりも今まで私のしたことのすべてが彼の母親により明らかにされているのではないかと心配していましたが、杞憂でした。それから何日経っても私の平穏は変わることはなく、彼の死について取り立てて新しい情報が入ることもありませんでした。
コウキくんの母親は、彼が亡くなってから実家に帰りそのまま一日も戻ってくることはなかったそうです。……あの日私が見たのは誰だったのでしょうか。しばらくしてから彼の父親の手によって家は売却されたそうで、私もあれ以来ピアノは弾いてないんです。……長い話を聞いてくれてありがとうございました」
沙羅の話が終わってからしばらく、アオイはぼうっと彼女の話を反芻しており、それはほかのリスナーも同様だったようで誰かがリプをつけることもなかった。
――――すごい聞き応えのあるお話でした、沙羅さん、話してくださりありがとうございます。
「いえ、こちらこそ……貴重な時間を私の話に割いて頂いてありがとうございました」
――――こんな完成したお話を聞けると思ってなかったのでちょっと驚きました。
リプ欄には「面白かった!」という肯定的なコメントのほかに「時効って言ってるけどやっぱ犯罪だよね?」「作り話だろ」「できすぎた話」「やらせでは?」といったものも並んでいる。あらかじめ仕込んでいたスピーカーなのではというのはアオイも考えたことだけれど、リプ欄に否定的なものが目立つのは何か嫌だなと感じて「テトリスミニ、少し前にも流行ってて、おれも買った」と書き込んでみた。
この話の重要な部分ではないから空気の読めないリプになってしまったとちょっと後悔した。でも確かに、この前有名YouTuberが動画で紹介したためにテトリスミニに注目が集まっていたのだった。アオイもやってみたいとネットで購入しようとして、品薄ですぐには手に入らなかった。
――――ところで、本題に入りましょうか。最初に沙羅さんは『ノクターンが怖い』とおっしゃってましたよね。それってどうしてなんでしょうね。ノクターンは沙羅さんが練習なさってたんですよね。自分がコウキくんの部屋に侵入していたときのことを思い出すからなんでしょうかね、疚しさの感情の引き金になる……ってことでしょうか。
痛いところを突くというか、結構厳しく追及するんだなあとアオイが聞いていると、沙羅も困ったのか少しの間沈黙が続く。
沙羅はただこの話をしたかったのではないだろうか、それで話のきっかけとして「ノクターンが怖い」と言ってみただけなんじゃないか、だからあえて突っ込まれると答えに窮するのではないかとアオイが思ったところで、もふうさが言葉を重ねた。
――――いいんですよ、だってもともと“なぜか怖く感じるもの”を聞かせてもらって、どうしてそれを怖く感じるのか考えるのが目的だったんですから。……そうだ、さっきリプ欄に質問来てたからそれを答えますね。アカウント名の“もふうさ”の由来について教えてくださいって。
唐突に話を変えたので驚きながらも、垢名の由来はちょっと気になるとアオイは耳に差したイヤホンを押し込み直す。配信が始まって一時間が経過していた。
――――以前妹と歩いていたときにうさぎカフェの前を通ったら、妹が「私はうさぎが怖いんだよね」って言うんです。そうだねって返したら妹は「どうしてうさぎが怖いのか理由がわからなかったんだけど、最近気付いたの。うさぎって生命力は弱いのに繁殖力が強いから絶滅してないだけなんだって。この話、子どもの頃聞かされたことがあって……常に自分と仲間の死と隣り合わせだなんて、そんな生き物怖いって思ったんだよ。それからうっすらうさぎが怖いんだ」って、そんな風にいうんです。本人はすっかり納得した様子で。
私はびっくりして……妹は小学校一年生のときに学校のうさぎに噛み付かれたことがあるんです。飼育小屋のうさぎが脱走して校庭にいたそうで、入学したばかりの妹がよくわからず近づいて噛まれて……結果的には大したことはなかったのですが妹は激しく泣いてすぐ病院に行って、その日は大騒ぎで。私はもう高学年だったのでよく覚えているのですが、どうやら妹はそのときのことをすっかり忘れているんです。「うさぎに噛まれたことがあるから怖いんでしょ?」って言っても、「何言ってんの? 噛まれたことなんてないよ」って。たぶんだけど、当時の妹にとってものすごい恐怖に感じたことだったから記憶から消したのかなと思いました。それでもうさぎが怖いということだけは覚えている。恐怖心って面白いなって思ったんです。
話が長くなりました、そう、妹が言ってた“常に自分と仲間の死と隣り合わせ”っていうのが印象に残っていたので、“喪服のうさぎ”という言葉が浮かんで……それを略して“もふうさ”にしたんです。
言わなければ、もふもふかわいいうさぎを想像してもらえるかなって思って。
キャラクター化された二足歩行の喪服を着たうさぎをアオイが思い浮かべているうちに、さらにもふうさが続けていく。
――――意図する、しないに関わらず、記憶から、そして話の中から抜け落ちてしまうことはありますからね。それで沙羅さん、いまお話を聞いていてちょっと気になったことがあって。話せる範囲で構わないので聞いても構いませんか?
「もちろんです、なんでしょうか」
――――結局コウキくんが命を落とすきっかけになった食べ物はなんだったんでしょうね。
「それはわからないままなんです。すみません」
――――じゃあ次、例のはなさん、彼女の正体はどうだったんですかね。沙羅さんは、最初首を絞めているのがはなさんだと思ったけれど実際にはコウキくんのお母さんだったというじゃないですか。それも実体なのかはわからないけど……。はなさんについてはその後何かわかったんですか?
「いいえ、それもわからずじまいです。コウキくんの葬儀はご家族だけで済ませてしまったから学校の誰も、恋人も参列することはなくて。コウキくんに彼女がいたことすら誰も知らないままなんです」
――――恋人だって断言するんですね。もしかしたらはなさんが無理矢理手作りのお菓子を押しつけたとか、こっそりコウキくんのリュックに入れただけなのかもしれないのに。沙羅さんも、最初に焼き菓子を見つけたときそうは思いませんでしたか?
「それはないです、ちゃんと恋人からのプレゼントでした。私の一方的な行動とは違って。文面からして親密そうだったし、リュックの中で潰れないようにと、彼のタオルにくるまれて入っていたんです」
アオイも、沙羅が妙に強く言い切るなと思ったところだった。そういえばこの辺にあったはずと机の上からテトリスミニを持ってきて、手慰みに電源を入れてベッドに寝転がる。
――――さっきリプ欄に、テトリスミニのことを書いてくれた人がいましたよね。
思いがけずもふうさがアオイのリプを取り上げたので心臓が跳ねた。
――――私も昔流行ったものとして存在は知ってたんですが、最近も話題になったんですね。ありますよね、そういう……以前に大ブームになったものが時を経て再び注目されるの。
それでね、ふと思ったんです。さっき沙羅さん、お菓子をすり替えた翌日は落雷事故で電車が止まって学校を休んだっておっしゃってたじゃないですか。一ヶ月くらい前かな、私は都内の会社に勤めているんですが……やはり落雷の影響で電車が止まってしまって通勤のとき苦労したんです。
もふうさが何を言おうとしているのかわかってきて、アオイはテトリスミニを手放して上体を起こした。
――――それから、アレルギーによるアナフィラキシーショックで亡くなってしまう事故って小さいお子さん……たとえば学校給食で出た物を間違って口にしたという悲しい事件の場合は大きく報道されるけど、大人でも結構あるんですね。検索してみたら、少し前に都内の高校生がピーナッツアレルギーで亡くなった事例が出てきました。もちろん詳しい場所や名前は伏せられてますが。
沙羅さんが話してくださった体験談はご自分の高校時代の話だとおっしゃってて、なんとなく昔の話だと思っていましたが、もしかしたらつい最近のことだとしてもおかしくないんだなって。
「どういうこと?」「これって最近の出来事だったの?」と、またリプ欄が活気づいた。そうだ、確かにアオイも沙羅の話はだいぶ過去の出来事だと思い込んでいた。
――――“もふうさ”だって、説明しなければ意味なんてわからないでしょう? それと同じように沙羅さんがあえて言わなかったことで、聞いている側は昔に起こったことだと思っていた。だけど本当は。
「そうです、ごめんなさい。私はまだ高校生で……ほんの少し前に起きた出来事なんです」
追い詰められた犯人が自供するかのように、沙羅が急に早口で言った。すでになんとなく予想はしていたものの、リプ欄を眺めると、「まじか」「騙された」「こいつのやったことって通報したほうがいいんじゃね?」「警察に行けよ」という内容が並び始める。
――――沙羅さん、そうだとしたらあなたにとってあまり言いたくないような内容をここで話してくれたのはどうしてなんです?
「それは……私が“はな”だからです」
すんなりと言葉が入ってこなくてアオイはベッドの上で部屋の壁をじっと見ていた。
――――つまり沙羅さんは、コウキくんに片思いして部屋に侵入していたのではなく、正式な恋人だと?
「そうです。彼とは高校入学からずっと友達の一人として仲が良くて、それで思い切って告白したらOKしてもらえたんです。ただ、彼の家はご両親の中が悪くて別居状態で、お母さんはなんていうか息子に依存っていうか……コウキくんがお母さんの全てだったんだそうです。それで、もしも彼女が出来たって知られたらお母さんがどうなるかわからないから、付き合ってることは内緒にして欲しいって言われて。私の両親はもちろん、友達や学校の誰にも。ちょっと寂しかったけど、もともと普通に友達だったから学校で会話も交わしたし、グループでみんなで遊びに行くこともありました。通話をしてても、メッセのやり取りをしてても、『お母さんが呼んでるからあとでね』って切られちゃうけどそれでいいって思ったんです。
はなっていうのもほんとの名前じゃなくて、彼が決めたんです。華やかで可愛いから“はな”がいい、万が一お母さんに見つかっても大丈夫なように二人だけのあだ名で呼ぼうって。
彼のお母さんがどんな人かは知らないけど、ピアノが趣味らしくて家でよく弾いてるんだって。それで彼がたまに口ずさむんです、ノクターンを。お母さんが練習してるから耳に残っちゃうんだよねって。だから私にとってはノクターンが彼のお母さんの象徴でした」
――――なるほど、それでノクターンが怖いと。
「そうです、テレビとか映画とかでたまに使われてるのを聞くのもいやでした。でも彼は悪気がないから口ずさむのはやめてとはいいづらくて。彼はとても優しいし一緒にいて楽しいから何の不満もないつもりだったけど、いや、そんなことない、不満はありました。彼は私からのプレゼントを絶対受け取ろうとはしなかった。お母さんに見つかったら困るからって。テトリスミニも一緒に学校で動画を見て、彼が欲しがっていたからおそろいで持とうと買ったのにもらってくれなくて……。それで私からだとは言わずにペンケースの中に放り込みました。
それ以来だんだんと、私が彼のことをどんなに思っているのかを気付いて欲しくなったんです。でも不満をぶつけたり、直接何かをあげたりするのはできない……嫌われたくないから。それで、たまにだけど彼のリュックに何か一つ入れるようにしたんです。私がどんなに彼を見てて、彼の好きなものを知っているのかの証明として、彼のよく食べてるミントタブレットとかグラノーラバーとか愛用のボールペンとか。そんなものを入れ続けました。
でもあるときちょっとしたことでケンカして、そしたら彼が言うんです、『リュックの中に勝手に物を入れるのやめてくれる?』って。気付いてないふりしてたけど本当はすごく嫌なんだって。それを聞いたら恥ずかしさと情けなさで頭がいっぱいになって……一応仲直りはしたけど、でも私の頭は沸騰したままでした。
それで翌日私は手作りのお菓子を作ってきて、帰ろうとしている彼のリュックの中に突っ込みました。彼が気付いたら激怒して、もう別れるって言うかもしれない、……でもきっと彼は許してくれるし、私がどんなに彼を好きなのかわかってくれる。それでクラスの友達にくらいは話そうかって言ってくれたらいいなって。そんな期待をしていました」
――――そしたら彼が学校に来なかったんですね?
「はい、ちょうど落雷事故で電車が遅延してる日だったから私は学校に行けなかったんです。友達もそういう人が多かったみたいで、その日のグループLINEでも彼のことは話題に上がりませんでした。それなのに翌日学校に行ったら担任から朝のホームルームのときに聞かされて……。コンビニで自分で買った菓子パンにピーナッツが使われていて、気付かずに食べたことが原因だということでした。信じられなかったし受け入れられなかったけど、それから確かに彼は学校に来なかったし通話もメッセも返ってくることはなくて。しばらくは友達ともずっと彼の話をしてたけど、一ヶ月も経つとだんだん彼のことが話題に出ることもなくなりました。私はどうしても受け止めきれなくて……だって彼は自分のアレルギーのことを気にしてて、何か食べるときには必ず成分表を確認してたし、エピペンだって持っていました。そんなミスをするなんて信じられないんです」
――――それを伝えたくてここで話をしてくれたんですか?
「誰かに聞いて欲しかったんです、彼には確かに付き合ってた恋人がいたんだって。このままだと私の存在は誰にも知られることなく終わってしまう。
それからもうひとつ……私はあの日、彼のリュックに“はな”からの手紙とお菓子を入れました。もしかして、それが彼のお母さんに見つかってしまったんじゃないかってずっと気になってるんです。私は架空の同級生の“沙羅”みたいに、彼の家に忍び込む勇気はありません。私が入れたお菓子がどうなったかは知らないんです。でももしかして、お菓子が見つかったことで激昂した彼の母親が錯乱して彼にピーナッツ入りのパンを食べるよう仕向けたんじゃないかと疑っています。彼を殺したのは母親だと思うんです。それでさっきの話を考えました」
「どっちにしろ頭おかしい」「勝手にお菓子を入れた自分のせいで彼氏が死んだとは思わないのかな」「こんなところで話すより警察に行った方がいい」とか、また書き込みが活発になるのを見ながらアオイは一つのことを考えていた。
――――わかりました。私も普段SNSで話を書いたり、今日もこうやって話を聞いてもらったりするので自戒を込めて言いますが、語り手っていうのは好きなように話を切り取ったり都合の良い角度から語ったりもできるものですよね。だから受け取る側からしたら、いま聞いた話が全てだとは思わない方がいい。だから沙羅さんの話も、私たちはここで聞かせてもらうだけであってこれからどうしたらいいかをとやかく言う立場にはありません。
そう、もしかしたらまだ語られていないことがあるかもしれない。それか、彼女にもまだ見えていないことすらも。
――――でも、沙羅さんはまだ高校生ということなので……ずっともやもやしたものを抱え続けていくのはいろんなところで悪影響を及ぼすと思います。気持ちに整理がつけられるといいですね。流れに任せるしかないと思うようなところでも何か出来ることはあったりするし、出来ることを探して動く方が私は好きです。
説教されてると受け取ったのか、それとも言いたいことは全部言い切ったからなのか、このタイミングで沙羅はスピーカーを降りてしまった。
ふと、アオイはリプ欄に「語り手は話を切り取ったり都合の良い角度から語ったりもする……というようなことは、もふうささんにもあるんですか?」と書き込んでみた。目に留まるかはわからないし、留まったとしても答えることはないだろうなと思っていたにも関わらず意外にもすぐに返ってきた。
――――質問ですね、ありがとうございます。語り手が話を切り取ったり都合の良い角度から話したりする……そうですね、私もあります。
ちょうどいいタイミングだからお伝えします、実はね、さっきのアリサちゃんの話……あれは続きがあるんです。
せっかくもふうさが自分の質問に反応してくれたというのに、アオイは頭の片隅で別のことを考えてしまっていた。アオイが通う塾、そこで親しくなった別の学校に通う友人から聞いた“友達”の話。
彼の“友達”は中学の頃からの彼女がいるのに、高校で意気投合した別の女の子とも付き合い始めたという。酷いのが、名前を呼び間違えないようにと二人目の彼女に一人目と同じあだ名をつけて呼び始めて、自慢げに男友達に語るのだそうだ。
「一人目の彼女のピアノ発表会に行ったあと、その足で二人目の彼女とデートした話を平然と男友達に話すんだよな。それでいて、『はなちゃんさ、ショパンのノクターン弾けるんだぜ、すごいよな』なんてニコニコして、全然悪びれてねえの。そんなサイテーなやつだけど、まあ男同士のときは遊んでて楽しいからさあ」と言って笑っていた。
それが一月くらい前、その“友達”が死んだのだという。何か食べ物のアレルギーということだったけれど、直前にもともとの彼女に二股がバレたらしく、『死んだヤツのことをとやかく言うのは良くないけど、罰が当たったんじゃないかってみんな言ってるんだよな』と続けた。
聞いていてあまり楽しい話ではないのでそれ以上追及しなかったからすっかり忘れていたけれど、沙羅の話を聞いて突然思い出した。確実な物は何もないが、もしかしてこの”友達”は”コウキ”と重なるのではないだろうか。
彼は母親にバレたくないからという理由で“はな”の存在を隠そうとした。でももしかしたらバレたくないのは母親ではなく、もともと交際していた本物の”はな”なのではないだろうか。“はな”という秘密の呼び名をつけたこと、通話やメッセのやり取りが中断されること、プレゼントを拒否したのも説明がつく。
心臓がばくばくしてきて自分がとんでもない秘密を抱えてしまったことに気付いた。どうしよう、これを伝えなければと考えたところでアオイは急に頭が冷えるのを感じる。全てが偶然の一致かもしれないし、彼が結局どういう経緯で何を口にしてしまったのかはわからないのだ。全てがあやふやすぎる……そう思いつつ沙羅のアカウントをふと見てみようとして、すでに垢消しされているのに気付いた。もしかしたら別のアカウントから聞いているかもしれないけれど、こうなってはもう彼女に何かを伝える手段はない。……いや、別に知りたがっているとは限らないのだ、知らずにいたかったと思うことだって多い。
――――私たちが呼び止めたからかどうかは別として、あのときアリサちゃんは確かに無事でした。本人は危険だったこともよくわからずに帰宅して、それからしばらくしてアリサちゃんはご家庭の都合で引っ越していきました。
遠方だったのでそれっきり連絡を取り合うこともなく、もちろん例の電話も鳴らなかったので正直アリサちゃんのことは忘れそうになっていました。それがある日母が妹のいないところで私を呼ぶんです。深刻そうな顔で母は、引っ越し先で下校途中にアリサちゃんが亡くなったと伝えてきました。居眠り運転のクルマが突っ込んできたということでした。仲が良かったからとアリサちゃんのご家族から知らせが来たそうですが、妹にはショックが大きいだろうから伝えるのはよそうと思うと言うので、私も賛成しました。妹の中ではどこか別の場所でアリサちゃんが元気にしているのなら、その方がいいと思いました。
アリサちゃんの死はやっぱり避けられなかったというのが私は許せなくて、それでこの部分は話さなかったんです。あの電話は無関係かもしれないけど、避けられない運命みたいな結論で終わる話はしたくなかった。……すみません、語り手としては不誠実ですかね。
ああ、だいぶ長くなってしまいました。リスナーの皆様、今日は聞いてくれてありがとうございました。質問を送って下さった方も。そして沙羅さん、心から感謝します。それではまた。
唐突と言っていいくらいに配信は終わって、スペースが閉じられたあともアオイはしばらくイヤホンを入れたまま思いを巡らせていた。
命を落としたというアリサちゃん、彼女の死に電話が関係しているのかはわからないけれど、言うならば昏いエネルギーのようなものがアリサちゃんに向かって行ってしまったのだろうか。もふうさは一度はそれを止めたけれど、結局彼女の手が届かない場所でアリサちゃんは同じ運命を辿ってしまった。
コウキはどうなのだろうか、彼に対する二人の”はな”の執着、それが何か重くて昏いエネルギーに変わっていった可能性はあるかもしれないと思った。結局ピーナッツ入りのパンを食べた経緯はわからない、ひょっとしたら本物の方の”はな”が二股に気付いて激昂して、何らかの方法で彼にそう仕向けたのかもしれない。それとも彼の母親が原因、もしくは本人の不注意だった可能性だって否定できない。
ただ、何か一つの可能性を取り払ったとしても彼の運命は変わらなかったのかもしれない、すでに昏いエネルギーに取り込まれていたから。
そして、アリサちゃんの結末を語りたくなかったというもふうさ。人間が語るのだから、どうしたって偏りは生まれる。生きている限り、自分に非がなくても昏いエネルギーに取り込まれることはあるのかもしれない。でももふうさは出来うる限りそれに抗う覚悟があるのだ。ひょっとすると、数あるアカウントの中でアオイがもふうさの投稿に心惹かれるのはそこなのかもしれないとぼんやり思った。
イヤホンを外してケースに戻し、アオイはタイムラインを追って行こうとスマホを手にする。ただその前にほんのちょっとの時間だけ、”沙羅”のアカウントで語った少女がどうかこれ以上昏いエネルギーに取り込まれることがないように、アオイは彼女のために祈った。
