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人生がトルコに染まったきっかけ。始まりは2年前の大青春ーRoad Trip in Türkiye🇹🇷

先週、天気の良いある日。
花の水やりに外へ出ていると、なんだか突然青春の匂いがした。
思い出の曲とあの時感じた宝物のようなあらゆる感情がよみがえり、一気に温かい気持ちに。

私の青春といえば、高校時代のダンス部。
猛暑の中ダラダラと汗をかきながらも声を張り上げ、たくさん悩んで涙しながらも仲間と一緒に頑張って何かをやり遂げていたあの時間はとってもキラキラしていた。
毎日ひたすらに一生懸命で、朝から晩まで部活のことで頭がいっぱいだった。
勉強をほったらかしにしていたから「ぜひ参考にしてください」と胸を張って言うことはできないけれど、部活を通して一生懸命頑張ることの楽しさを学び、THE「今を生きる」を感じていた。

これは中学生で少しやんちゃしていた私が、ある恩師からの刺激を受けなんとか合格することができた高校。
そしてそこで第二の恩師に出会い、最高の仲間に出会い、最大の青春時代を過ごした。
部活に夢中だった頃は卒業後のことなんて全く見えていなかったけど、引退後必死に勉強し大学受験も無事成功することができた。
あなたはもう何度も成功体験を積んでいるわけだから、もう成功の仕方を知っています。あなたの人生は絶対に成功します。
中学の頃の恩師は私にそう言った。

どんなにどん底に落ちても、そこから這い上がる過程を含め私の経験したこと全てが私の人生においての財産であり、宝物だと私は思っている。
大学生になり、常に目の前を一生懸命生きる私に後悔などひとつもなかった。
もうこれ以上ない。と胸を張って言えるほど私の人生は最高だった。笑

にも関わらず、
21歳の初夏。私に2度目の青春が訪れたのだったー


my HOME


直感を頼りに

2回目のトルコ。
それはフランス、リヨンで4ヶ月過ごした帰りだった。
本来そのまま日本へ帰る予定だったけど、大好きな友人たちとの最後の旅を逃すわけにはいかなかった。

トルコ人のクラスメイト、ヴェイセルも私を誘う時にこう言った。
俺はまたみんなを連れてトルコに行く予定だけど来る?俺的に、おまえに他の選択肢はないと思うけどね。笑
ヴェイセルは私をよくわかってる。

プランが変わり多少お金がかかっても、この機会を逃す方が私にとって大問題だった。
仮に私が「もうチケット買ってるから行けない」と断っていたら、2度目の青春は当然逃していたし、今の夫とも結婚するわけがなかった。

私は人に左右されているわけではない。
ただ「今」を大事に生きている
リヨンで4ヶ月一緒に過ごし仲良くなった友人らと「あの時」行くことに意味があっただろうし、出身国の異なる7人がまた全員で集まることができるのか、、なんて考えたら、ヴェイセルの言う通り、他に選択肢はなかった。

直感を信じたまでに。


再会

トルコに到着すると、そこはすでに私のHOME(ホーム)だった。
空港でヴェイセルの家族、そしてヴェイセルの親友である今の夫が私たちを待っていて、一人一人温かいハグをしてくれた。

“再会”って素晴らしい。

ヴェイセルの妹を除き、彼らは英語を話せないから直接意思の疎通ができたわけではないけれど、なぜか私は彼らの感情が筒抜けるように理解できたし、1ヶ月前、初めて彼らと出会った時からなんだか心で繋がっているのを感じていた。

私は彼らの人間的なところが好き。
「言語が違うから話せない」ではなく、言語で通じ合えなくてもしっかり目を見て話してくれる。
そして私をひとりの「外国人」ではなくひとりの「人間」として扱ってくれる。
ヴェイセルのママは度々「ウララ」と私の名前を呼び微笑む。
これが彼らの暖かさ。
彼らがトルコを私の第二のHome Countryにしてくれた。


ヴェイセル宅、ただいま

トルコ人2人、韓国人3人、日本人2人、計7人での旅。

トルコ人は基本的に人を歓迎するのが大好きで、ヴェイセルに限らず「俺の家はお前らの家だ」という表現をよく言う。
6人のゲストが泊まっても全く問題ないよう。
むしろ大歓迎。

ヴェイセルママが「ウララ!Gel gel(おいでおいで)」と嬉しそうに呼ぶので着いていくと、そこには猫の赤ちゃんたちがいた。
そう、ヴェイセルの家には垂れ目でかわいい4匹のkedi(猫)がいて、なんとそこに5匹の赤ちゃんが産まれていた。
前回私がkediと戯れていたのを彼女は覚えていたのだと思う。

ヴェイセルと夫は、寝る時間を惜しんでまで私たちのためにプランを考えてくれる、そんな人たちだった。
初日の夜、みんなが寝たあと、ヴェイセルと夫と3人で夜遅くまで話した。
夫はまだ英語を知らなかったので、ヴェイセルが通訳してくれていた。


Second Trip


トルコ西南部ロードトリップ

ヴェイセルの故郷、İzmir(イズミル)で2日間過ごしたのち、そこから2台のレンタカーでトルコ西南部のロードトリップが始まった。
旅のプランは全てヴェイセルと夫が考えてくれて、私たちは完全にゲストだった。

İzmir(イズミル)からMarmaris(マルマリス)、Fethiye(フェトヒエ)、Antalya(アンタリヤ)、そしてKapadokya(カッパドキア)。
東京から横浜、伊豆、名古屋を寄って大阪に行くような感覚。
私はアンタリヤまででみんなより先に日本へ帰る予定だったけど、カッパドキアがどんなものかよくわかっていなかったし別に気にしていなかった。笑

夫が英語を話せないのもあって、車のメンツ替えはいつもヴェイセルが決めていた。
それもなんだか学校の席替えのようで面白かった。笑

First Tripに参加したコウキ、韓国人のインネ、私の3人が夫の車に乗った時、First Tripでの思い出の曲を流し、夫は運転が得意だからふざけてゆらゆら車を揺らしながらみんなで楽しんだ。
最高だった。


時に喧嘩をする

ヴェイセルは結構なトラブルメーカー。笑
何かと問題にするし、夫ともすぐ言い合いになる。
トルコ語がアグレッシブに聞こえるせいもあって、同じ車の中にいると頭が痛くなりそうな時さえあった。笑

誰もがネイティブではない言語を話しコミュニケーションをとっているから、何かを説明するのも大変だし勘違いも多い。
まあ当たり前か、

トルコ、日本、韓国の3カ国が一緒になっていると国民性の違いがよくわかる。笑
もちろんひとりひとり人間としてみてはいるけれど、育った国によって国民性というものは表れてくるものだと思う。

トルコ人にとって面と向かって戦うことは当たり前だから、嫌なことは嫌と言うし、誰かが問題を抱えていたらしっかり話し合って解決したいタイプ。
日本人はとにかく平和でいたいからできるだけ言い合いは避けたい。わりかし間に入って見学する。不満があっても自分らで感情処理して解決する。
韓国人もめんどくさいことは避けたいけどなんとなく日本人よりは心が強い感じ。満足いかないことを言われたらしっかり言い返す。自分を持っているし友達を守る。

まるまる1週間、朝から晩までずーっと一緒にいるわけだから、喧嘩して泣いて、トラブルもそれなりにあった。


Airbnb

ヴェイセルの家を離れた後、私たちは毎日どこかのAirbnbに泊まっていた。

Airbnbの予約もトルコ人2人が全部やってくれたわけだけど、毎回なんだか豪邸みたいな一軒家だった。
トルコの宿泊費は安い。
でも、感覚的にいうとトルコ人は日本人の半分くらいの給料で生きているようなもんだから、トルコ人2人にとってアジア人が5人もいたのはラッキーだったんだろうと思う。笑

私たちゲストは事前にプランを知らされることはあまりなく、ただただ車に座っていた。笑
みんなよく寝ていた。笑
私はみんなで過ごす時間を逃すのが嫌でずっと起きていたから、気づいたら運転手と2人きりになっていることが多かった。

5日目の夕方5時頃、またどこか違う街へ移動している途中、「今日のAirbnbまだ予約してないんだよね」とヴェイセルが言った。
トルコ人は車にBluetoothを繋げて電話をするのだけど、別の車にいる夫となんだか話をつけたあと、誰かに電話をし始めた。

電話が終わるとAirbnbはもう決まっていた。
どうやら、「日本と韓国から大事なお客様が来ているんだけど予約していたところが急にキャンセルになった。でもどうしても良いところに泊めてあげたいんだ。」とデタラメを言ったそう。
これが通用するのがトルコ。笑
プール付き、3階建の一軒家だった。


みんなで酔っ払って

その日、私たちはみんなでゲームをしながらお酒を飲んで、私は人生で初めて記憶をなくした。笑
誰もがクレイジーだった。
コウキはトイレの目の前で“I WANNA GO TO THE TOILET!”と謎に叫んでいたし、インネはコンセントを足に絡ませながらうつ伏せになって床で寝ていた。

私は夫に手を引っ張られ、2階へ連れて行かれた。
酔い潰れ過ぎて逆になにもなかったけど、夫が謎に鍵を閉めたもんだから普通にみんなを心配させた。笑
ヴェイセルがドアを開けろとトルコ語で夫に伝え、韓国人のオンニが私を抱きかかえて下に連れて行ってくれたらしい。

翌日、私たちは喧嘩した。笑
ヴェイセルは全員で仲良くいたいから何も変なことは起きてほしくないんだと私と夫に怒った。
私は記憶がないから何も言えなかったけど、みんなに迷惑をかけたことを反省し、謝った。


隠れジャグジー

もう時効だから話しても良いと思う。

最終日泊まったAirbnbには2階に鍵のかかった部屋があった。
“Airbnb”だし私は別に気にしていなかったけど、夫がこっそり私を呼び出しそこへ連れて行った。
すると夫がその部屋の鍵を持っていて、なんとそこは大きなジャグジーのある寝室だった。

ヴェイセルと夫は2人でこっそり楽しむつもりだったようだけど、お気にの私はそこに追加された。笑

そしてみんなが寝たあと、こっそり水着に着替えて隠れ部屋に行った。
知らぬ間にコウキも追加されていて、なんだか韓国人ハブりみたいで少し罪悪感もあったけど、その時の私はヴェイセルに口答えする力がなかった。笑

コウキと夫は眠さの限界で途中で部屋を出た。
ヴェイセルと2人になって、朝方までたくさん話した。
First Tripの時、お前をトルコに誘ったのはランダムなんかじゃない。俺はウララがクラスで1番いいやつだって最初からなぜだか感じてたんだ。俺のお母さんもウララにはなにか強いエネルギーがあるって言ってた。」とヴェイセルは言った。
ヴェイセルと真面目な話をすることはあまりなかったから新鮮だった。


大好きで最高な友達


幸せな瞬間

私にとっての最終日。
みんなが泊まるAirbnbまで一緒に行って、私はそこでとにかくパッキング。
みんな子どもの世話をするかのように何から何までやってくれた。
大好きなみんなにあげるものがなんにもなくて、持っていた日本円の全財産をそこに置いて行った。
大したお金じゃないけど。笑

買い物チームが帰ってきて、ご飯の準備をしてくれた。
トルコのBBQ。
食べ終わると、ヴェイセルと夫が私にケーキを持ってきてくれた。
私のお別れケーキをみんなで買ってくれていたらしい。

トルコらしく7人でぎゅうぎゅう詰めになって一台の車に乗り込み、私が出発するバスステーションへ向かった。
その途中、ヴェイセルと夫は私たちの思い出の曲を流した。
エモかった。
夫が1番に泣き始め、そこからみんな泣き始めた。

夫はバスの中まで一緒に来てくれた。
そして運転手に、トルコ語わからない女の子が1人いるからと私のことを伝えてくれていた。
バスに乗った私を外から眺めるみんな。
リヨンで1番一緒に時間を過ごしたインネは子どもみたいに泣いてた。
「困ったらすぐに電話してね」
英語のわからない夫からメッセージが届いた。
電波が悪くて返信できなかった。

出発してからも私はしばらく泣いていた。
気持ちが落ち着いた頃ケータイを開くと、みんなからそれぞれメッセージが来ていた。
大粒の涙がボロボロと流れた。


情で生きる人

おそらく5日目、私たちはパラシュートをする予定だった。
スタッフの方が大きな車で山の上へ連れて行ってくれて、私たちは装備して霧が止むのを待っていた。

一瞬霧が止んだタイミングで、コウキとオンニだけ飛ぶことができた。
その後何分待っても何十分待っても霧は止まず、残り組はただ装備して寒いからとパラシュートにくるまって待機していただけの人になった。

私は別に気にしていなかったけど、ヴェイセルはそのあとあらゆる会社に電話して、今からパラシュートできないかって聞いてくれていたらしい。
いくらでも払うからウララにどうしてもやらせてあげたいって。

そんなヴェイセルは、私がバスステーションを去った後ありえないほどの長文を送ってくれた。
この広い世界で人が出会う確率は1兆分の1以下だというのに、あなたは突然私の人生に現れ、私の希望が全て終わりかけていた時に、良い人はまだ存在するのだと教えてくれた。俺は8年ぶりに泣いたよ。ウララがいなくなったら俺はリヨンで今後どう生きていけばいいのかわからなくなったんだ。バスのチケットを直前まで買わなかったのも、ウララがもしかしたらまだ残るって言うかもって信じたかったからなんだ。今お前にはトルコに家がある。いつでもおいで。
そんなようなことが書いてあった。

そう、ヴェイセルは私がアンタリヤからイスタンブール空港に行くまでのバスを、当日の朝まで予約してくれなかった。


「人のために動く」とは

1週間のトルコ旅の中で、時に夫が全員分の夜ご飯を作ってくれた。
1日10時間以上も運転して、ご飯まで作ってくれて、寝る時間はほぼない日々の連続。
誰かが元気がない時は1番に気づいて、翻訳アプリを使ってまでも声をかける。
夫には正直驚かされてばっかりだった。
ここまで人のために動ける人がいるだなんて。

夫は英語を話せないけど簡単な単語を理解することはできる。
First Tripに参加し、みんなより長く時間を過ごしているからか、ちょっとした買い物に行く時など、ヴェイセルは私と夫を一緒に行かせた。
翻訳アプリにより起こるタイムラグを待つのも全く苦ではなかった。
大好きで最高な友達だったから。

夫は、「今回起きた悪いことについては謝るよ。次会った時に埋め合わせるから。あなたは本当に良い人だ。今あなたにはトルコに家がある。次会う時までに俺は絶対に日本語を学ぶよ。元気がない時、いつでも俺に電話してね。もうすでに寂しいよ。
と私にメッセージを送ってくれていた。


人に愛される


魔法の時間

誰もが私との別れを泣いて悲しんでいた。
私は今までこんなにも人からの愛を感じたことがなかった。
人に愛されるってこんなに幸せなんだな、と。

私はイスタンブール空港に着いて、飛行機に乗って日本へ帰った。
空っぽだった。
乗り継ぎでワルシャワに行ったらしいけど、そんなのも覚えがないくらい心が空っぽで、寂しくて寂しくて10何時間ものフライトの間、ずーーっと泣いていた。
食欲なんてわかなかった。

私はFirst Tripの時、まだ「ただのクラスメイト」程度だったヴェイセルを信じてトルコに行くことを決めて大正解だった。
そこから何か魔法がかかったかのように未知の世界へと連れて行かれ、今まで知らなかったトルコという国イスラムの世界人の優しさを学び、突然その魔法が終わった。
そんな感覚だった。


「人」がいつも私を導く

私は日本に着いて間もなくヴェイセルとその家族、夫に日本からプレゼントを送り、トルコ語を勉強するための本を買った。
大好きな夫の真の気持ちを知るにはトルコ語を学ばなくては、と思った。

私はその半年後、冬休みに再びみんなに会いに行くことを決めた。
夫のトルコパスポートではEU圏内に入れないため、夫に会うため、フランスの帰りにトルコに行くことにした。

限りある人生の中で、同じ国に何度も行くよりできるだけ多くの国に行きたいとはもちろん思っているけれどトルコという国はもうそのレベルではなくなっていた。
私にとってのHOMEだから。

大好きで大切な「」に自然と連れ戻されるような感覚だったし、フランスもそうだった。
みんなに会いに行く
私の中でそれは「旅行」ではなかった。
みんなに会えればなんでもよかったし、まだみんながリヨンにいる「今」行かなくては。
それだけが大事だった。


物語の始まり

その後、夫と私はお互いに「人」として惹かれ合った。
夫は私と同じく人間らしい感情を大切に生きるタイプだけど、夫の気持ち次第でなんでもやり切れるところは本当にかっこいいと思う。
大切な人のためだったらなんでもする。
夫の頭の中に「不可能」という言葉はない。

あの時英語を話せなかった夫は、再会までの半年間、日本にいる私とチャットを続けた。
私だったらわざわざ翻訳アプリを通してまでチャットするなんて後々めんどくさくなってしまう。
それができるのが夫のすごいところ。
そうして半年後、私が再びトルコを訪れた時には英語でのコミュニケーションが取れるようになっていた。
私もトルコ語が少しわかるようになった。

その後、トルコへ行くたび行くたび知り合いが増え、みんなが私を「私の愛する子、ウララ」と呼ぶ。
ヴェイセルの家族はもちろん、夫の家族、その友人たち家族、夫の幼馴染、友人、誰もが私を待っている。
こんなにも人からの愛を感じて生きている自分は贅沢だと感じるほど、私はトルコのみんな(ファミリー)に愛されている。

私はトルコという国に出会って、心が豊かになった。
そしてトルコのみんなが私の人生で欠かせない存在になった。

ーあの青春から始まった “私の人生” という名の大きな物語。

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