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ここがヘンだよ『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)が、新書大賞2025を受賞した。

三宅さんの問題意識には共感するし、非常に発見の多い一冊だと思う。 とくに、労働史と読書史から現代人の読書離れを考えるアプローチは面白く、多くの示唆を与えてくれる。

しかし、話題が現代に近づくにつれ、考察が怪しくなってくる。 とくに、「半身社会」という提言には、違和感を覚えずにはいられなかった。

その原因は何か。三宅さんは過剰に悲観的な現状認識をもとに「半身社会」という提言を導き出し、その結果、本が大好きなはずなのに、本が持つパワーを信じていないという、三宅さん自身も本来望んでいないはずの結論になってしまっているからだ。

三宅さんは、現代においては自分の行動を変えるための「情報」のみが必要とされ、「ノイズ」が多い読書は不向きで、ゆえに読書は不要とされていると述べている。 しかし、私はこの認識は古いと思う。 だいたい、ノイズ抜きの情報ばかり摂取する「ひろゆきみたいな人」を、あなたは雇いたいだろうか?

情報処理能力だけでは、既存のシステムや価値観を疑うことはできない。 イノベーションも起こせないだろう。そのことを指摘した山口周『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』(光文社新書)が刊行されたのは2017年のことだ。

長いこと、分析的で論理的な情報処理のスキルは、ビジネスパーソンにとって必須のものだとされてきました。しかし、正しく論理的・理性的に情報処理をするということは、「他人と同じ正解を出す」ということでもあるわけですから、必然的に「差別化の消失」という問題を招くことになります。

山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)

ここでいう美意識とは、「真・善・美」のこと。美術に限らず、純文学や哲学など、一見ビジネスに直結しなさそうな教養によって美意識は鍛えられる。その後、2020年には末永幸歩『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)が刊行されるなど、ビジネス書界隈では「アート×ビジネス」はちょっとしたブームになっている。

山口さんの指摘は、生成AIの登場によっていっそう説得力を増しているように思う。 伊藤羊一・尾原和啓『努力革命 ラクをするから成果が出る! アフターGPTの成長術』(幻冬舎)でも同様の指摘がなされている。

もちろん、読書が必要とされる「美意識」のある職場なんて一部にすぎないじゃないか、という反論はありうると思う。でも、そういう会社は多少なりとも実在するし、社会全体を変えるのは難しくても、美意識ある職場を作ることはもう少し簡単なはずだ。少なくとも、絶望するには早すぎる。

三宅さんは、こうした「美意識」や「アート思考」の重要性を語るビジネス書をスルーしている。その結果、「現代において読書と労働は両立しない」「労働のために読書が必要な時代はもうやってこない」という極めて悲観的な現状認識になってしまっている。

そして、「読書と労働は両立しない」を前提として、労働と読書を切り離し、半身で労働、半身で読書をしようという「半身社会」の提言に至るわけだが、三宅さん自身が半身社会の実現を「絵空事」と言ってしまっている。

そもそも、「働きながら本が読める」ために「半身労働社会」を作るというのは、目的と手段が逆転している。我々は、社会を変えるために本を読むのではないのか?

結局のところ「半身社会」は、「本は無力」「文学は無力」とみなすがゆえの発想ではないだろうか?  三宅さんは読書の意義を「他者の文脈を知ること」としているが、それは読書の価値を狭めすぎていると思う

というか、この発想こそ「自己啓発的」だ。 社会を変えるのは無理で、自分を変えるしかないという意識が見え隠れする(自分も三宅さんと同じく「ゆとり世代=就職氷河期世代の惨状を目の当たりにしてきた世代」なので、こういう発想になる気持ちはよくわかる)。

私にとっての読書の意義は、「現実を問い直すこと」だ。上野千鶴子が「半身社会」の元ネタだそうだが、それなら『情報生産者になる』(ちくま新書)を読んでほしい。そこでは「ノイズとは、現実に対する違和感、疑問、こだわりのようなもの」と定義づけられている。

本は、「現実はクソ」だと気づくためにあるのではないだろうか。 そして本は、クソみたいな現実と闘うための武器なのではないだろうか?

なぜ働いていると本が読めなくなるのか。 それは、純文学や哲学書を読んで、「世の中はクソ」「この会社はクソ」と認識したところで、自分ひとりではそんな現実を変えられないと諦めるほかないからではないだろうか。

この本自体、「働いてると本すら読めないのは社会のせい! 社会がクソ!」と教えてくれている。なのに、「読書と労働の関係性は変えられません!」「せいぜい読書が必要ない労働と、労働には不要な読書を、半々ずつやるしかありません!」ってハシゴを外してくるのはどうなのよ⁉︎

どうせ絵空事でいいなら、「半身社会」ではなくて、私は「読書を通じた連帯」を呼びかけたいと思う。 クソみたいな現実はひとりでは変えられないかもしれない。 しかし、大勢なら変えられるかもしれない。

だから呼びかけたい。 本を読んだら発信しよう、と

なにも論文を書かなくても「情報生産者」にはなれるのだ。 noteの記事でもいいし、Xのつぶやきでもいい。いま本が読めないなら、読みたい本のことでも、昔読んだ本のことでもいい。もちろん、人に話すのもいい。マンガでもいいだろう( 川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』(春秋社)はそんな人にピッタリな本だと思う)。

本を読んで発信することが、読書と労働、読書と社会を結び直す第一歩になるのではないだろうか。

「半身社会」よりも、前向きでほんの少し現実的な提言だと思いませんか?

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