一世紀一週間人生を生ききる寿活® 【連載2/全6回】からだは主人、脳が召し使い
第2回「わたし」はどこにいるのか?―からだがつくる〈自分〉という感覚
●わたしって、どこにいるの?
ふと立ち止まったとき、「自分って何だろう」と考えたことはないだろうか。
それは単なる哲学的な問いではなく、実はとても切実で実践的な問題だ。
AIが人格を持ち始めたかのように振る舞い、SNSでは自分の「プロフィール」を編集できる時代、私たちは「自分が自分である」という感覚をどう確かめればいいのか分からなくなってきている。
名前? 顔? 記憶? それとも思考?
アントニオ・ダマシオ★はこうした問いに対して、意外にも「からだ」こそが〈わたし〉の感覚をつくり、からだの一部である脳はそれに従うということだ。つまり、「からだは主人、脳が召し使い」と言うことなのだが、それは「からだが考え、脳が従う」ということを意味している。
「自分はここにいる」という感覚は、脳ではなくからだの連続的な経験を元にしてからだが考えたことを脳が無意識で認識していることになる(脳が従う)。
★ポルトガル出身の神経科学者で、現在は米国・南カリフォルニア大学の脳・創造性研究所所長。感情や意識の神経基盤を研究し、「ソマティック・マーカー仮説」を提唱。著書『意識と自己』『感じる脳』『自己が心にやってくる』などで、心とからだの一体性を科学的に解明し、神経哲学の先駆者として知られる。
●〈自分〉は「感じる」ことから生まれる
人間の意識は、ただ目を覚ましているだけでは存在しない。
ダマシオは、感覚(視覚、聴覚、触覚など)や、内臓の動き、筋肉の緊張など、身体の状態を絶えずスキャンし続けているシステムがあり、自己が心にやってくることで意識が生まれると考えた。
自己が心にやってきて、「息が苦しい」と感じた瞬間、私たちは自分の身体に強く注意を向け、「わたしは今ここにいる」と意識できるのだ。
逆に、デジタル空間に長く滞在し、身体を動かさずに情報だけを処理しているとき、〈自分〉という感覚は希薄になる。
つまり、「からだを感じること」が「わたしの存在感」をつくるのだ。
●感覚の連続性が「物語としての自分」を生む
ダマシオは、意識にはいくつかの段階があると述べた。
その中で重要なのは、自分の身体が変化しながらも連続しているという感覚だ。
この「連続性」の感覚が、「昨日のわたし」(拡張意識)と「今日のわたし」(中核意識)をつなぎ、「明日もきっと自分である」を生む。
この連続感こそが、「物語としての自己」(自伝的自己)の基盤になる。
人は記憶によって自分の人生を意味づけるが、そもそもその記憶は身体感覚を通じて保存され、再生される。
たとえば、小学校の教室の匂い、祖父母の手のぬくもり、初めての恋の胸の高鳴り──それらは言葉や論理ではなく、「感覚の記憶」として刻まれている。
この記憶こそが、〈わたし〉という物語の核をなしている。
●脳だけで「わたし」はつくれない
近年、脳科学は「自分とは脳がつくる幻想である」と語る傾向がある。
確かに、視覚や聴覚などの情報は脳によって処理され、思考や判断も脳の中で起きている。だがそれは「感じるからだ」があって初めて意味を持つ。
ダマシオは「意識は脳内のスクリーンではなく、身体全体との相互作用で生まれる(自己が心にやってくる)」と述べている★★。
★★ダマシオによれば、意識とは「自律神経系、ホルモン系、感覚器官など身体全体との連携のなかで生成される自己の感覚。つまり自己が心にやってくると意識が生まれる。
つまり、脳が考えているのではなく、「からだが考えていることを、脳が感じている」のだ。
たとえば、悲しい出来事があったとき、涙が出る、胸が締めつけられる、息が苦しくなる──こうした身体反応がなければ、私たちは「悲しい」とすら言えない。
●AI時代の喪失:「わたし感覚」の消滅
現代の情報社会では、身体から切り離された「自己イメージ」が先行する。
SNSのアバター、自己紹介文、履歴書──それらはどれも“外から見た自分”であり、感じている自分とは違う。
さらに、AIが「あなたの好み」を予測して行動を“最適化”する世界では、「自分で感じて決める」プロセスが削がれていく。
すると、「自分で生きている感覚」=〈わたし〉の感覚が薄れてしまう。
このように、からだから離れた社会は、「わたしとは誰か?」という問いに答えられない人を量産してしまう。
●寿活脳で「わたし」を再起動する
『からだ資本論』(執筆中)では、「感じること」こそが〈わたし〉の感覚を再起動する鍵であり、それはからだが考えることなのだ。
感覚を取り戻し、情動を味わい、自分の人生を自分のからだで生き直すこと。
それが、テクノロジーに依存する時代における「寿活脳」のあり方だ。
からだ資本とは、感情・記憶・感覚の貯金であり、そこにアクセスすることで、自分という存在をもう一度感じなおすことができる。
●からだが「わたし」の根を張る
「わたしとは何か?」という問いの答えは、思考のなかではなく、感覚のなかにある。
その感覚は、日々の呼吸、食事、歩行、触れ合いといった、ごくあたりまえのからだの営みの中に宿っている。
だからこそ、「からだを取り戻すこと」は「わたしを取り戻すこと」に直結している。
→次回は、この「記憶と感情」がどのように人生の選択を左右するのか──つまり、「生きる判断」を支える仕組みについて掘り下げていく。
第1回 からだが感じ、脳が従う―生きる判断はからだから始まる
第2回 「わたし」はどこにいるのか?―からだがつくる〈自分〉という感覚
第3回 記憶と感情が生きる力になる―からだが考え、脳は感じる
第4回 からだ資本はどう育つのか?―感性と環境が育てる“生きる力”
第5回 「感じる」を軸にした生き方へ―未踏の山に登るために
第6回 共感が地球を救う―身体のコモンと脱成長コミュニズム
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