人類総遊牧計画
中学3年生の頃だったか、地理の授業で世界の気候区分を扱っているとき、暇だったので地理資料集を眺めていた。そこで目に飛び込んできたのが、ステップ気候のページにあったモンゴル高原の写真だ。ここに行きたい、と強烈に思った。移動しながら生きているということに心の底から惹かれた。というか、行かなきゃ、帰らなきゃって思った。実はチンギスハンの生まれ変わりか?
思い返すと、私の遊牧への憧れは小学生まで遡る。
国語の教科書に、スーホの白い馬という物語があった。
詳しいあらすじを覚えていなかったので、以下Wikipediaからの引用です。読まなくてもいい。
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ある日、遊牧民の少年スーホは帰り道で倒れてもがいていた白い子馬を拾い、その子馬を大切に育てる。それから数年後、領主が自分の娘の結婚相手を探すため競馬大会を開く。スーホは立派に成長した白い馬に乗り、見事競馬大会で優勝する。しかし、領主は貧しいスーホを娘とは結婚させず、スーホに銀貨を3枚渡し、さらには白い馬を自分に渡すよう命令する。スーホはその命令を拒否し、領主の家来たちに暴行され白い馬を奪われる。命からがら家へ辿り着くが、白い馬を奪われた悲しみは消えなかった。
その頃、白い馬は領主が宴会をしている隙を突いて逃げ出したが、逃げ出した際に領主の家来たちが放った矢で体中を射られていたため、スーホの元に戻った時には瀕死の状態であった。看病むなしく白い馬は次の日に死んでしまう。スーホは幾晩も眠れずにいたが、ある晩ようやく眠りにつき、夢の中で白馬をみる。白馬は自分の死体を使って楽器を作るようにスーホに言い残した。そうして出来たのがモリンホール(馬頭琴)であった。
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体中に矢が刺さって、血が流れ続けているのにスーホの元に走って帰ってきたシーンと、その死体から馬頭琴を作ったことだけ覚えている。なんて幸せなお話だろう、と思った。モンゴルの人たちは今も馬頭琴を弾いて歌ったりしているのかと思うと、そんな素敵な世界があるなら、私も行ってみたいと思った。
そんな訳で年齢が1ケタの頃から謎の憧れを抱いていたモンゴル高原に、中3で“遊牧”という魅力的すぎる要素が加わり、それらが私の日々の「遊牧してー」発言に繋がっている。
あんまり人に共感してもらえたことは無いんだけど、冷静に考えてみてほしい。遊牧って、凄くないか?
例えば、小学校の歴史の授業で覚えさせられた法律を思い返して見よう。班田収授法とか、三世一身の法とか、墾田永年私財法とか、土地に関するものがめちゃめちゃ多い気がする。事実、現行法でも土地に関する法律が最も多いらしいという話を聞いたことがある(この辺の知識は危ういので、法学部諸君は突っ込まないでほしい)
日本の諸制度は、日本人の生き方は、遥か昔から土地に縛り付けられている。
太古から、権力の大きさは支配する土地の大きさに等しい。豊かな土地を巡って人々は争い、血を流してきた。資源の専有を巡る問題、というように拡大すれば、それは今も変わらない。
土地に立脚しているのは、政治だけではない。
社会の最小構成単位である「家族」には、ただ親子関係・婚姻関係によって個人が結ばれているというだけではなく、「家」という具体的な土地を共有している事実が内包されているように思う。
それに対して、遊牧のなんと自由なことだろう。
定住していないというのは、定住生活を始めてから有に2000年を越す日本人からすると、とてつもないことだ。
自然から生活に必要なものを得て、家畜と暮らして、草をだいたい食べ尽くしたら移動して。日が昇ったら起きて、日が暮れて暗くなったら星見ながら寝て。
土地に固執することがない生活を送っていたら、メンタリティもきっとだいぶ違ってくるだろう。財を貯めるという感覚、親から子へ土地を相続するという感覚がなければ、社会の階層化の進行は定住民族と比べればグッと遅くなるに違いない。貧富の格差はなく、気候に恵まれなければ皆が苦しみ、助け合い、その中で徐々に皆をまとめるリーダーが実力によって出てくるのだろう。
それって、素晴らしくないか。
少なくとも、私が世の中を見渡して嫌だなあと思うことは、何かに固執することを辞めれば解決する気がしている。遊牧は私にとっての最適解だ。
本当は今年の夏頃に1週間ホームステイしようとしていたのだが、諸事情で資金繰りが間に合わず、断念せざるを得なかった。
大学在学中に、絶対に行こうと思う。1週間か1ヶ月か1年か分からないけれど、旅人のメンタリティを獲得して、帰ってこようと思う。何の為に去年モンゴル語取ったんだ。そろそろ忘れるぞ。
でも残念なことに(身勝手な主観だが)、最近遊牧民はかなり減り、家畜を追い回すのもオートバイだったりするらしい。
前にノリで仲良くなったモンゴル人に「遊牧がしたい」と話したところ、「ああ、田舎ではそういう人もいるみたいですね」と、完全に前世紀の遺物扱いだった。急がなければいけない。
