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フィンランド語は学ばないつもりだったけど

「フィンランド語は難しいので、学ぶ必要ないですよ。」

留学前、日本語が流暢なフィンランド人の友人にそう言われ、フィンランド語は勉強しないと決めていました。ただでさえ苦戦している英語。フィンランドで就職するつもりもないし、少しフィンランド語ができたからといって何か特別なメリットがあるわけでもない。時間的にも精神的にも余裕はなく、「せっかくだから学ぼう」という気持ちにもなれませんでした。フィンランド語を勉強する時間があったら、英語を勉強した方が役に立つ。学ぶ必要がない理由を挙げればキリがない、と自分でも理解していました。

それでも、学ぶことにしました。フィンランド語。

なぜ考えが変わったのか。今回は、その理由について書いていきたいと思います。

フィンランド語の難しさを表すイラスト(出典:Her Finland


1. 若い世代ではフィンランド語よりも「英語」

フィンランド語は語源的には英語には近くないものの、多くのフィンランド人、特に女性はとても流暢な英語を話します(男性は少しぎこちない印象)。フィンランドでは小学校3年生から英語教育が始まり、英語とフィンランド語のバイリンガル教育が行われているため、その成果が表れているとも言えるのですが、一方で気になるニュースも時々耳にします。それは、教育現場やビジネスでは「フィンランド語よりも英語」というトピックです。

フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語(5%のフィンランド人が母国語にしている)とされていますが、ある記事では「教育現場における英語の優勢がますます強まっている」ということを取り上げています。代わりに母国語の一つであるスウェーデン語の学習能力が低下しているとも。

2023年のデータによると、フィンランドでは博士論文の約90%、修士論文の約40%が英語で書かれているそうです。私が通っているアアルト大学では、修士課程以降の授業はすべて英語で行われており、フィンランド語を聞くのはフィンランド人同士の日常会話の場面くらいです。私のような外国人にとってはこの環境はありがたいですし、また国際競争力の面でも自然な流れかもしれません。ただ、一方で母国語で授業を受けたいと考えているフィンランド人が約40%いるという調査結果もあるようなので、判断が難しい部分でもあります。

英語は公用語ではないものの、教育や就職の場面では圧倒的に「役に立つ」言語です。特にフィンランドのように560万人ほどの人口しかいない国であれば、国外に目を向けるのは自然なこと。フィンランド語離れとまでは言えないものの、今後、特に若い世代の間では「フィンランド語よりも英語」という流れがさらに加速していきそうな危機感を感じました。

2. フィンランド独自の価値観が反映されている

言語には、その国の独自の価値観や文化が反映されているとよく言われます。
例えば、日本語には擬音語(オノマトペ)が非常に多いという特徴があります。雨の降り方一つをとっても、「ザーザー」「チラチラ」「パラパラ」など、さまざまな表現があり、日本人の感性の豊かさを物語っています。また、中国語では国技とも言える卓球の技の数を表現する言葉が多いと聞いたことがあります。その数は100種類以上。これほどまでに高い解像度で技を見極める能力があるだけあって、世界ランキングで中国人が多いのも納得がいきます。
では、フィンランド語は?というと、「ハンド(käsi)」がつく言葉が多いそうです。先日参加した「Interrupting Design」というイベントでフィンランドの文化の話になった際に初めて知りました。

フィンランド語は「ハンド(käsi)」がつく言葉が多い

KÄSI = HAND
KÄDELLINEN = HANDED (HAVING HANDS)
KÄSITTÄÄ = COMPREHEND / UNDERSTAND
KÄSITE = CONCEPT
KÄSITYÖ = HANDICRAFT / CRAFTSMANSHIP
KÄSITELLÄ = HANDLE / PROCESS
KÄSITYS = PERCEPTION / UNDERSTANDING

フィンランドといえば、日本から見るとアートやデザインの分野が特徴的で、世界的にも高く評価されています。まさに「ハンド(手)」を使って形を作る行為が根付いた文化ですが、それがこのようにフィンランド語の言語にまで反映されていると聞くと、なかなか感慨深いものがあります。特に「CONCEPT」という言葉まで独自のフィンランド語がある。日本語では「コンセプト」とカタカナ表記するのが一般的で(「概念」とも訳せますがちょっと違う気もする)、その物事の捉え方に独特の文化が根付いているのを感じます。

これだけテクノロジーが発達して、簡単にコピーできるようになった時代で、なかなかコピーできないものの一つが「文化」だと思います。その文化が言語に反映されている、その中でも多用される言葉に「ハンド(käsi)」という私が学んでいる領域に近い言葉がある。そうなると、これはなかなか考えさせられるものです。

3. フィンランド人のアイデンティティ

あまりフィンランドのことを深く勉強せずに留学に来てしまったのもあり、もっと歴史などを知らないといけないと思っていました。そんな時に、日本人の友人から「物語 フィンランドの歴史ー北欧先進国「バルト海の乙女」の800年」という本を紹介してもらって読みました。

そこに書いてあった以下の文章にとても心が動きました。

フィンランド人としての自覚は、600年にわたる長きスウェーデン統治時代にすでに一部の知識人の間で論じられてきた。だが、本格的に話題とされ、何をフィンランド人の独自性とするのか議論となったのはロシア帝国統治期に入ってからであった。
議論を通じて、フィンランド人らしさを代表するのは「フィンランド語」であるという思想が生まれる。ロシアとの違いは言語や信教面で明白であったものの、スウェーデンとの違いを風習や慣習で見出すことは難しく、言語のみ明確に異なっていたからだ。

出典「物語 フィンランドの歴史ー北欧先進国「バルト海の乙女」の800年」

つまり、フィンランド語はフィンランド人のアイデンティティに深く紐づいている。スウェーデンやロシアの支配を受けながらも、1917年にようやく独立を勝ち取ったフィンランド。今ではわずか560万人の小さな国でありながらも、世界に強い存在感を示しています。自分たちがフィンランド人であることを誇りに思い、そのアイデンティティを表す最も重要なものに「フィンランド語」がある。

そんなことを考えていた時に、以前印象に残ってクリップしておいた、ある新聞記事を思い出しました。それは福沢諭吉が明治初期に英語を日本語に置き換えていた時の話です。

(前略)福沢諭吉なども海外に出た機会に大量の書物を買い込み、庶民が読んでもわかるように訳語を新たに作りながら次々と翻訳し西欧文明を紹介した。近代国家建設の中心になった人々は、新たな国づくりに強い使命感を抱いていた。現代風に言えば、日本人としてのアイデンティティが根っこにあったのだろう。人材教育において、自分が何者かを自覚するアイデンティティと、そこに母語の存在が深く関わっていることも無視できない。

あすへの課題(日経新聞夕刊「言語と人材育成」 2024年3月26日付)より抜粋

「自分が何者かを自覚するアイデンティティ」

日本にいると、日本語を話すことが日本人であるアイデンティティだと意識することはほとんどありません。それは、日本の人口が多いからかもしれないし、日本人の組織の中で働いているからかもしれません。しかし、それでも「自分が何者であるか」というアイデンティティや存在意義は、誰もが求めるものではないでしょうか。フィンランド語の存在は、まさにフィンランド人の存在意義に深く関わっている。 そう考えたとき、頭では理解していた「フィンランド語を学ばない理由」をすべて捨ててでも学びたい、いや、学ばなければならないと思うようになりました。

フィンランド語。

確かに、仕事で使う予定もないし、マーケットも小さい。役に立つわけでもなく、特別なメリットもない。それでも自分にとっては意味がある、社会にとっても意義がある。マイノリティだけど、独自の価値観や文化があり、その人のアイデンティティに紐づいている。そういうものこそ大切にしたいし、守っていくことが自分の使命なんだ、とフィンランド語を学ぶことを通じて改めて気付かされました。

そんな理由から、フィンランド語を学ぼうと思い直しました。


最後まで読んでいただきありがとうございました!Kiitos!


(カバー写真:Adobe Stock)


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