なんのはなしですか──連想ゲーム《その38》 ズカンレーザー編(絵画)
質問:絵画を鑑賞するってどういうこと?

https://ttv.jeki.co.jp/zukanlaser/
(出典)小学館の図鑑NEOアート 図解 はじめての絵画
回答:これは僕ら大人たちへ向けたメッセージだ😤
──「ラスコーの壁画 × アドラー心理学 × 感性教育」の交差点。
この図鑑の一節は、単に“絵をどう見るか”の話ではなく、「生き方そのものをどう感じるか」への問いにもなっている☺️
🖼️「見る」とは、生きること──ラスコーの洞窟とアドラー的鑑賞法
──小学生向けの図鑑をめくっていたとき、こんな問に出逢った。
「絵画を鑑賞するってどういうこと?」
ラスコーの洞窟の壁画を背景に、そこにはこんな言葉が添えられていた。
洞窟の壁に描かれた動物の絵を見て、あなたはどんなことを感じ、考えましたか?
この絵を鑑賞するために、大昔の絵であることを知っておく必要はありません。
絵を描いた人や題名などの知識を得るよりも、まずは自分自身の目で絵を見るという経験をすることの方が、ずっと大切なのです。
──この一節に、僕は不意を突かれた。
まるで、子どもたちに語りかけながら、大人たちの“忘却”を優しく指摘しているようだった。
いつの間にか僕たちは、「感じる」よりも「知る」ことを優先するようになった。
正解を探し、答えを急ぎ、他者の評価に寄りかかる。
けれど、本来“鑑賞”とは、知識を得る前に心で触れること。
つまり、「私という観測者」を通して世界を感じ取る、主体的な行為なのだ。
アドラー心理学の言葉で言えば、人生の主人公、それは“目的論的な生き方”にもつながる。
出来事をどう感じ、どう意味づけるかは、いつでも自分の選択に委ねられている。
ラスコーの壁画を前にした子どもが、
「怖い」「すごい」「動いてるみたい」と自由に言葉を放つとき、その瞬間こそが“自己の感性と世界が響き合う”地点なのだ。
大人になると、僕らは知識で“分かったつもり”になる。
けれど、分かる前に“感じる”ことを忘れてはいけない。
絵画を鑑賞するとは、作品を通じて
「自分という生命を再発見するプロセス」でもあるのだから。
だから、次に絵を観るときは──
「この絵の意味は何だろう?」ではなく、
「この絵を見た自分は、今、何を感じているんだろう?」
と問いかけてみたい。
知識は理解を深めてくれる。
けれど、感情は“命を感じる”という一点で、すべての原点に戻してくれる。
──💧BLUEのしずく。
「見る」とは、知ることではなく、生きること。
あとがき✍️
2025年10月から始まったTRAIN TVの番組『ズカンレーザー』
周囲をスマホで情報の取得に勤しむ大人達に囲まれて、徒然BLUEなるままに思ふ
【了】
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