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【ES019】 エッセイ『望んだもの、与えられたもの』-他者と鏡像-(vol.19)

このエッセイシリーズの投稿は久しぶりなので、
テーマを再確認しよう
☺️

『望んだもの、与えられたもの』

Theme Concept
一見すると「願ったものは与えられなかった」と語りながら、実は「本当に必要なものは与えられていた」

「人の願いと、人生が与えるもののズレ」 の両極の現実を一度は素直に受け止める事ができた時、その深い洞察の先に、新たな価値観への扉が待っている
ーーそうっか、思い出した
🤭

詳細なテーマコンセプトはコチラ💁

『望んだもの、与えられたもの』-他者と鏡像-

あなたを見つめるその眼差しは、自分自身の反映かもしれない

誰かの視線を強く意識した瞬間、自分の姿が急にわからなくなることがある。鏡で見慣れたはずの顔も、表情も、しぐさも、どこか借り物のような気がしてしまう。逆に、何気ない他者の一言が、自分の奥底に隠していた想いを突然あらわにしてくれることもある。そんな経験は、誰にでも一度はあるのではないだろうか。

これはつまり――

誰かが自分をどう見ているか、その“眼差し”の中に、自分自身が映っていることがある。
たとえば、誰かが優しい眼差しを向けてきたとしたら、それはもしかしたらあなた自身が優しさを放っているからかもしれない、ということ。

逆に、厳しい眼差しを向けられたと感じたとき、それは単にその人の感情ではなく、自分の中にある不安や自己評価が反映されているということもある。

もっと日常的に言うと…

「人の目を通して、自分を知ることがある」
「人の反応って、自分の内面の投影かも」
「見られていると感じる視線の奥に、自分自身の姿が映ることがある」


そんな感じかもしれない。

BLUEらしくまとめるなら・・・🤔💭

“他者の眼差し👀という鏡🪞を通して、
見つめていたのは、実は“BLUE”だったのかもしれない

『その“眼差し”の中に、自分自身が映っていることがある』って、相手の瞳にBLUEが映り込んでいると見ることもできるし、相手に憑依して、BLUEが相手の目を通してBLUE自身を俯瞰する

つまり、視座を変えて自分自身を内省する感じかな🤔💭


🔁「相手の瞳に映る自分」
これは、物理的・比喩的な「反射」の感覚
まるで鏡のように、相手の視線に自分の存在が投影され、その人が向ける感情や印象に、自分の何が作用しているのか
――静かに問いかけるような感覚

相手の瞳に映るBLUE


🧘「相手に憑依して、自分を俯瞰する」
これは視座の転換、あるいは共感の極地
自分という存在を、一度「他者の中」に置く(ポジションチェンジ)。そして、その人の心のフィルターを通して、自分の姿を見つめる

BLUEの主体的意識が相手に憑依、
相手の心のフィルターを通して、BLUEを俯瞰する

『ひょっとして、コレ、まばたきか』
(出典元)鈴木光司の小説「リング」

「自分を観る”眼差し”を、自分の外側に置く」(外在化)ことで、自己を客観視する術を得る

これは「自己と他者の境界のゆらぎ」「異質なものとの調和力」にも通じる哲学だ

少し言葉を整えてみると、こんな表現もできるかもしれない…✍️

あなたを見つめるその眼差しに、ただ映り込んでいるのは私ではない
私はその眼差しの奥に入り込み、あなたの内側に憑依して――あなたの目を通して、もうひとりの私が私を見ていた

繊細で、でも決して一方的ではない「自己と他者の交差点」に立つような世界観

人と関わることは、自分を知ることでもある。

それは“自分軸”が確立されているからこそ起こることのように思われがちだが、実際はむしろその逆かもしれない。自分軸とは、完成された確固たるものではなく、相手との関係性の中で浮かび上がってくる、流動的で、触れればすぐに形を変えてしまうようなフィーリングの集合体だと思う🤔💭

もし、異質な世界が存在して、そこに唯一の生命体が佇む時、その生命体は孤独や死を理解できるだろうか、いや、そもそも自我はあるのだろうか🤔💭

対峙する相手や所属する社会がなければ、自分を確立する必然性がない
そして、自我も芽生えていなければ、自分自身と対峙して内省することはない

つまり、思考の世界にも、物理学の作用反作用の法則が働かない限り、その生命体に主体的主観性は生まれない🐣
それが、相手との関係性の中で浮かび上がってくる、ということだ✍️

BLUEは、長らく「自分らしさ」や「自分軸」という言葉に違和感を覚えていた
何かしっくりこない。耳ざわりはいいけれど、それを言葉にした途端に、どこかから違うと声が聞こえてきそうな気がしてた

たとえば「自由」「一体感」「安心」「貢献感」──。
それらは確かに、BLUEにとっての大切なキーワードだ
しかし、「それが自分軸です」と提示してしまうと、何かがこぼれ落ちてしまう
言葉にすることで、その繊細なニュアンスが削がれ、情報が欠落し、違うものとして認識されてしまうような感覚🤔💭
そこには、言葉にすることで物理的に情報の欠落が発生することに由来する

きっと、”わたし”にとって自分軸とは、「フィーリング」でしか捉えられないものなのだ☺️

だから、フィーリングで構成される自分軸を言語化しようとするとブレる

それは、深海魚を短時間で海面に引き上げると減圧症にかかるように、自分という同質で満たされたウチなる深海に潜む『フィーリング』を焦って言語化しようと外界の異質の世界に引き上げることは、フィーリングの性質そのものの変容を生み出す可能性がある

フィーリングをRawデータとして、そのまま顕在意識まで引き上げるには、無理に言語化しないで身体感覚の感じるままにイメージを形にする

長らく自分軸という自己受容を忘れていた時期に、自分の情動の奥底に眠る感情をゆっくり深海からサルベージしてビジュアル化したのがこれだ✍️

GRAND BLUE
情動の深海奥底に仕舞い込んでいた
BLUE HEARTS💙

優しくゆっくり引き上げる

滴り落ちる雫は
再び💙に形を変え
深海へ帰っていく


友達の言葉

ある日、親しい友人にこう言われたことがある
「BLUEって、時々、自分をすごく俯瞰して見てるよね」

それは褒め言葉のようでもあり、どこか距離を感じさせる指摘でもあった
BLUEはその言葉を反芻しながら、なぜそんな見られ方をするのかを考えた
すると、自分が無意識に“他者の視点”を自分の中に住まわせていることに気づいた

たとえば、沈黙が生まれたとき。「この間を、相手はどう感じているだろう?」とつい想像してしまう
何かを話すときも、「これを聞いた相手はどう思うだろうか?」という意識が先に立つ

そして、それが行き過ぎると、言葉を発すること自体が怖くなる。フィーリングが湧き上がってきても、それをうまく翻訳できないジレンマ。相手を目の前にすると、言葉が詰まり、まるで貝のように沈黙してしまうのだ😅

ただ話したいだけなのに。正解を探しているわけでもないのに。たったそれだけのことが、どうしてこんなに難しいのだろう

相手に憑依して、自分を俯瞰する

でも、あるときふと思った。こうした葛藤こそが、実は“他者”という鏡に映った自分の姿なのかもしれないと

他者の眼差しの中で、自分の声の小ささや、表情の曖昧さや、伝えきれないもどかしさが露わになる。その不完全さに対する焦りや苛立ちが、まるで自分自身に向けられているように感じるのだ

しかし、そこには“ズレ/GAP”がある

「わたしが思っていた自分」と「相手のまなざしに映る自分」

そこにズレが生じたとき、わたしたちは、人生における偶然や必然と出会うように、「与えられたもの」としての自分に出会うのではないだろうか🤔💭

そのズレを拒絶せず、むしろ面白がってみる
すると、そこに想像もしなかった自分が立ち上がってくるのかもしれない

それが、『望んだもの、与えられたもの』

あとがき✍️

自分らしさとは
かつて、自分の「らしさ」を定義したくて、たくさんの言葉を並べてみたことがあった。ノートに、自分を表すキーワードをリストアップし、それを組み合わせて文章を作ろうとした

でも、どこか不自然だった
なぜなら、言葉は7%しか伝えられない──そんなメラビアンの法則を持ち出すまでもなく、そこにはフィーリングの“熱”がなかったから

本当は、誰かと話している時のふとした沈黙や、予期せぬ共感の瞬間、あるいは、どうしても伝えきれなかった言葉の余白の中にこそ、自分軸の断片があったのだ

そしてその断片は、常に「他者とのあいだ」「他者との反作用」によって存在していたと気付く

自分軸とフィーリング
今のBLUEは、自分軸を言葉で定義しようとはあまり思わない
ただ、「あっ、今、これこれ!」と思える感覚を日常の中で感じるようにしている☺️

それは誰かと過ごす夕暮れの時間だったり、コーヒーを飲みながら交わす何気ない会話だったり、言葉にならない想いを共有する沈黙だったり

そのひとつひとつが、自分という存在を、少しずつ縁取り形造っていく

そして、そのプロセスの中で、わたしは、他者という鏡に映る自分と、静かに向き合っているのだ

あなたを見つめるその眼差しは、自分自身の反映かもしれない

でも、それは必ずしも同じではない
だからこそ、その“ズレ/GAP”を通じて、わたしたちは自分すら知らなかった輪郭を知ることができる
他者は、わたしという存在を見つけるための、ありがたい鏡像
そのまなざしに怯えず、時に照れながらでも、きちんと見つめ返していけたら

BLUEの「望んだもの」は、もしかしたら、そんな“他者との関係性の中で育まれる自分”だったのかもしれない

そして、それはまさに、「与えられたもの」でもあったのだ

【了】

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