ハッピーライティングマラソン#8「最近読んで、とってもよかったなぁと思う本は?」
プロローグ
2025年7月22日、第8回目のお題が出た☺️
ハッピーライティングマラソンは、思考鍛錬の現代版・寺子屋だ🎓
健さんからお題が出され、一段上の高い視座👀から自分を俯瞰する機会を得る☺️
そして、自分では気付けなかった、既に持っていた価値観の新たな芽吹き🌱に遭遇することもある。HWMは、とてもハッピーな学び場なのだ😤
水があるか、空かじゃない。何を見ているかがすべてだ。
HWM#8「最近読んで、とってもよかったなぁと思う本は?」
正直に言えば──
こういうお題、ちょっと苦手😅
みんなが「最近読んだ本」の感想をまっすぐ書く中、ぼくはいつも斜めからボールを投げてしまう⚾️
でも今回は、あえて素直に「とってもよかったなぁ」と思えた“読みもの”がある。
それは、書籍ではなく、東急沿線のフリーペーパー『SALUS』8月号に載っていた、一編のエッセイ。
佐治晴夫さんによる『宇宙のカケラ』という連載の中の一節、描かれていたのは、ガラスのコップと三羽の小鳥たちだった。

コップの中に宿る宇宙
コップの中には水が半分🫗
よく知られた「悲観と楽観」の象徴的なモチーフだ☺️
一羽の小鳥は「GLASS HALF FULL(まだ半分もある!)」
もう一羽は「GLASS HALF EMPTY(もう半分しかない…)」
でも、そのイラストを目にした瞬間、
ぼくの内側で、こんな問いがふと芽生えた☺️
この二羽の違いって、何だろう?🤔💭
見ているのは、どちらも“同じ”コップ。
つまり、クロノス(客観的な時間)の中にある、共通の風景。
でも、視線の先が違う——
それはつまり、その瞬間に“何を感じているか”というカイロス(主観的時間)の違いなのでは?
ぼくが惹かれたのは、「水があるか/ないか」ではなく、“何に目を向けているか”が、世界の色を変えてしまうということだった。
まだ使っていない脳細胞、という可能性
このエッセイの中で、もうひとつ印象に残ったフレーズがあった。
人間の脳の90%以上は、まだ使われていない
これもよく知られた事実で、希望であり、同時に問いでもある。
つまり、自分が“まだ使っていない脳細胞”の中に、どんな創造が眠っているかを想像せずにはいられなかった☺️
この感覚は、ぼくが綴っているエッセイ
Haveから始まる、新しい価値の芽吹きや、
望んだもの、与えられたものにも通ずるものがあった。
どちらも、「既に与えられているが、そのHaveに気付いていないだけ」
というテーマをベースに綴ったエッセイだ。
“まだ得ていないからこそ、今ここに芽吹くものがある”
つまり、余白があるからこそ、伸び代がある。
そう信じて、空っぽに見えるコップの「空」をも、
新しい創造の「余白」として捉える感性こそが、
ぼくにとっての創作の出発点なのかもしれない。
ぼくにとって「読んでよかった本」とは?
だから、健さんからの問い——
「最近読んでよかった本は?」と尋ねられたなら、
たぶん、こう答えるだろう🤔💭
本というのは、装丁やページ数のあるものだけじゃない。
ぼくにとってそれは、一枚の紙の中に宿った“問い”でもある。
そしてその問いが、
まるでコップの水面のように、
自分の思考と感情を映し返してくれるならば、
それはもう立派な“本”なのだ📖
たとえそれが、東急の駅で手にしたフリーペーパーだとしても。
そして、もう一羽の小鳥のように。
ふと、イラストの中にいるもう一羽の小鳥のことを思い出した。
先ほどの二羽とは異なり、その子はただ、コップの縁にとまって、世界を眺めているように見えた。
それは、何かを判断するのではなく、ただ今を味わっているような姿。
あの小鳥のまなざしのように、
「何かを知ったから良かった」のではなく、
「何かが、内側に芽生えてしまったから良かった」——
そんな読書体験を、これからもぼくは、大事にしていきたいと思う。
あとがき
■ コップをめぐる、三羽の小鳥の物語
そのエッセイには、こんなイラストが添えられていた。
机の上に置かれた水の入ったコップ。
そのコップを、二羽の小鳥がのぞき込んでいる。
片方の鳥は水の“ある”部分を、
もう片方の鳥は“空”の部分を見ている。
そして──
そのコップのさらに上空には、もう一羽の小鳥が描かれている。
少し距離を置いて、コップと二羽の鳥を、まるごと眺めているように見える小鳥。
この構図を見たとき、ぼくの中で何かが弾けた💡
水があるか、空かじゃない。
「何を見ているか」がすべてなのだ。
ぼくたちは日々、誰かと同じ現実(=コップ)を共有していても、どこを見て、どう意味づけするかは、その人の「視点」によってまったく変わる。
悲観的にも、楽観的にもなれる。
それが、主観的な“カイロスの視点”なんだと、改めて思った☺️
そしてぼくはふと、気付いた。
あのコップの上空に浮かぶ“三羽目の鳥🕊️”は──
もしかしたら、今のぼく自身の象徴なのかもしれないと。
俯瞰し、見ている。
かつての「水しか見えない自分」も、「空しか見えなかった自分」も、どちらも経験して、ようやくたどり着けたまなざし。
今のぼくは、「どちらを見るか」の二択ではなく、
「どこから見るか」を選んでいる。
人生には、まだたくさんの空白がある。
でもそれは“欠けている”のではなく、“満たされる余白”かもしれない。
そして、その余白の意味づけ次第で、人生の質はまったく変わってくるのだと☺️
最後に──
この「コップを眺める三羽の小鳥」のイラストが気になった方は、東急沿線の駅ラックに並ぶフリーペーパー『SALUS 2024年8月号』を、そっと手に取ってみてください🕊️
【TW294】変容のしずく💧HWM#8
SALUSが読めない方のために、「コップを眺める三羽の小鳥」のイラストイメージを作成(2025/7/26追記)
【了】
