【ES017】エッセイ『望んだもの、与えられたもの』-言葉と沈黙-(vol.17)
『望んだもの、与えられたもの』-言葉と沈黙-
語ることと、語れないこと。その間にある真実について。
「どうしたの? 何か言いたそうだけど。」
コーヒーカップの縁を指でなぞりながら、私は言葉を探していた。目の前にいる彼女は、いつものように穏やかな表情で私を見つめている。問い詰めるわけでもなく、ただ、私が言葉を紡ぐのを待っている。
「うまく言えないんだ。」
ようやく絞り出した言葉は、それだけだった。何かを伝えたいという気持ちは確かにある。でも、口に出した瞬間に、すべてが別のものに変質してしまうような気がして、怖くなる。
私たちは日々、多くの言葉を交わしている。仕事の目標、将来のビジョン、価値観について語ることもある。けれど、それらの言葉がすべてを伝えているわけではない。むしろ、語られなかったものの中にこそ、大切なものが隠されている気がする。
言葉で伝わるもの、伝わらないもの
「自分の軸を持つことが大切だ」
そんな言葉を何度も耳にしてきた。でも、その“自分軸”とは何なのか。抽象的なワードを並べれば、それらしくはなる。「自由」「一体感」「ワクワク」「貢献感」……。でも、それを言葉にした途端、何かがズレる感覚がある。
「そうじゃない、もっとこう……」
そう思いながらも、適切な言葉を見つけることができない。
なぜなら、“自分軸”とはフィーリングだからだ。思考レベルで整理しようとしても、それは7%の伝達に過ぎない(メラビアンの法則を思い出す)。本当の自分軸は、言葉ではなく、身体感覚として感じるものなのかもしれない。
沈黙の中にある真実
「言葉がないと、不安?」
彼女がそう尋ねたとき、私は少し考えた。
沈黙の時間が長くなると、相手を不安にさせるかもしれない。言葉がないと、相手に何も伝わっていないように思える。でも、本当にそうだろうか。
「言葉にしなくても、ちゃんと伝わってるよ。」
彼女の言葉に、私は少し驚いた。
「ほら、あなたが考えてること、全部は分からないけど……でも、何か大切なことを抱えているんだなってことは、感じるから。」
言葉にしなくても伝わるものがある。沈黙の中にこそ、真実があることもある。
望んだもの、与えられたもの
私はずっと、言葉にして伝えることが大切だと思っていた。でも、実際に与えられていたのは、言葉を超えた理解だったのかもしれない。
「ねえ、じゃあ今日は、言葉を探すのをやめてみようか。」
彼女がそう言って微笑む。
「言葉にしなくても、ここにいるだけで十分だから。」
その言葉に、私はふっと力が抜けた。
沈黙の中で、ようやく私は、本当に大切なものを受け取ったのかもしれない。
あとがき
人は感情を持つ生き物だ。しかし、その感情を他者に伝えるためには「言葉」というツールを使う必要がある。このとき、多くの人が経験するのが「感情の変換ロス」だ。
自分の心の中に浮かんだ思いや体感した感情は、純粋で鮮烈なものだ。それは、まるでイデアの世界にある完全な形。しかし、それを言葉にした瞬間、その純粋さは失われる。まるで信号が伝送される過程で劣化するのと同じように、感情もまた、言語化の過程で変質し、受け手に届くころには、元の姿とは異なるものになってしまう。これは、情報理論の父であるクロード・シャノンが提唱した「通信の限界」にも通じる現象だ。
シャノンの情報理論では、送信者が発する信号(情報)が、ノイズや伝達ロスによって受信者に正確に届かないことがあるとされる。どんなに優れた符号化技術を使おうとも、情報伝達において完全な復元は理論的に困難だ。それと同じように、僕たちが自分の感情を言葉に変換し、それを他者に伝えようとするとき、そこには必ずロスが生じる。
たとえば、強い喜びを感じたとき、「嬉しい!」と表現する。しかし、その一言で本当に伝えたい感情のすべてが相手に伝わるわけではない。どのくらい嬉しいのか、どんなニュアンスの喜びなのか、本当の意味での体感を共有することは難しい。逆に、悲しみや苦しみなどのネガティブな感情においては、さらに伝達ロスが大きくなる。
では、僕たちは他者と本当の意味で感情を共有することはできないのだろうか🤔
もし、ご興味あれば、番外編にお進み下さい☺️
番外編
下記の記事では、こんな事を書いてます✍️
結論は本編と真逆になりますが、SF話として、いや、近い将来必ずやってくる話と思って読んで頂けたらと思います☺️
現在の技術では、思ったことを100%言語化して相手に伝えることはできないけど、将来、実は、自分の心の中にある言葉にならない思いや感情は、ロスなく100%、メタバース上で表現できる💖
【了】
