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課題の分離──共同体感覚という“戻り道”

課題の分離

自分のできることに徹する。
相手の庭に、
土足で踏み込まない。

それは親子関係でも同じだ。

親が子どもを心配して、
環境を整えるのはいい。
御膳立てをするのも、愛情だ。

でも──
料理に箸をつけるかどうかは、
子ども次第。

You can take a horse to the water,
but you can’t make him drink.

馬を水辺に連れて行くことはできても、
水を飲ませることはできない。

このイギリスの諺と同時に、
「課題の分離」という言葉が、
ふっと浮かんだ。

できることと、できないこと。
関われるところと、
手放すべきところ。

──頭では、わかっている。

けれど、少し耳の痛い見方を
紹介しよう。

「他人に介入されているのは、
あなたのせいでもある」

うぉ〜、耳が痛いのは
ぼくの方だった…。
アドラー、厳しい😖

たとえば、
親が
「息子には自分の考えが
ないように思えて心配になる」
と感じるとき。

それは、
「心配しなくていい」ということを、
子どもが態度で示せていない可能性もある、
という考え方だ。

ここで大事なのは、
責めることではない。

お互いが
「自分は自分の人生を生きている存在だ」
つまり、人生の主人公として感じられているかどうか。

その感覚があれば、
課題の分離は、
ほんの少しだけやりやすくなる。

それでも、完全には分けられない

とはいえ──
完全な課題の分離なんて、
正直、難しい💦

実際の生活では、
「今日も介入してしまったな」と、
反省する日がある。

「そこは私の課題じゃなかったな」と、
後から気づくこともある。

それでも、
また、課題の分離を目指す。

共同体感覚から、
少し勇気をもらいながら。

たぶんこれは、
一度できたら終わり、
という話じゃない。

繰り返し、揺れながら、
それでも向き合い続ける
“終わりなき旅”。

そのプロセスを歩むこと自体が、
課題の分離に向き合っている、
ということなのかもしれない☺️

3つのライフタスクと、共同体感覚

アドラーは、
人生には避けて通れない
3つの課題があると言った。

• 仕事のタスク
• 交友(フレンドシップ)のタスク
• 愛のタスク


これらは単なる
「人生のToDoリスト」ではない。

人は弱く、
一人では生きられない存在で、
だからこそ他者と結びつき、
協働しながら生きていく。

──その現実から、
必然的に立ち上がってくる課題だ。

だから、
どれか一つだけを切り取って
うまくやろうとしても、
どこかで無理が出る。

とくに、
ラブ・タスクは難しい。

近いからこそ、
大切だからこそ、
つい介入してしまう。

先ほどの
母と息子の関係性も、
まさにそこだ。

なぜ、3つの課題に向き合わなければならないのか

アドラーが言う
「共同体感覚」とは、

誰かのために
自己犠牲することでも、
立派な人間になることでもない。

「私は他者とともに生きている」
という感覚を、
”現実の関係性”の中で育てていくこと。


そしてそれは、
仕事・交友・愛という
具体的なライフタスクに
取り組む中でしか、
身につかない。

だから、

これら3つの課題に取り組まなければ、
共同体感覚は得られない。

という言葉は、
少し厳しく聞こえるけれど、
裏を返せば、

うまくできなくても、
向き合い続けていれば、
人はちゃんと
つながりの感覚を取り戻せる

という希望でもある。

向き合い続ける、ということ

課題に向き合うとは、
完璧にできることではない。

向き合い続けることだ。

今日もまた、
少し失敗して、
少し気づいて、
それでも、また考え直す。

アドラーは、
そんな不器用な歩みも、
きっと人間らしいと
笑ってくれる気がしている。


一番上のグラスから始まる、共同体感覚の物語

共同体感覚のシャンパンタワー
自己受容、他者信頼、貢献感は三層構造

自己受容を満たした💙(BLUE’s Heart)は
グラスから溢れ、自然の摂理に従って
自重で下層へ流れ込む

周囲を巻き込み他者信頼を得て
最下層の他者貢献感に辿り着き
最終的に共同体感覚を得る


この絵は、
下から積み上げて完成させるシャンパンタワーではない。

一番上にある、ひとつのグラスから始まる物語だ。

そこに注がれるのは、
「自己受容」という名のハート💙

第一段階|自己受容ファースト

まず、自分が満たされること

自分を肯定する。
できる自分も、揺らぐ自分も、
そのまま引き受ける。

ここが空のままでは、
どれだけ他者のために動いても、
どこかで無理が生じてしまう。

だから、最初は自己受容。
遠慮なく、ひとつのグラスを満たす。

第二段階|他者信頼

満たされたものが、自然にあふれ出す

自己受容というハートが満ちると、
その想いは、静かに周囲へと流れ出す。

二段目のグラスは、
周囲の他者への信頼を表している。

ここには、
ラブタスクとしての家族も含まれる。

信頼とは、
相手を操作しないこと。
課題を奪わないこと。

「相手の庭に、土足で踏み込まない」
という勇気でもある。

第三段階|他者貢献

社会とのつながりへ

さらに流れ落ちたハートは、
三段目のグラスへ。

ここは、
仕事のタスクやフレンドシップタスクを含む、
社会とのつながりを意味する。

誰かの役に立つこと。
社会の一部として関わること。

ただしそれは、
自己犠牲ではなく、
「自然にあふれた結果」としての貢献。

そして、循環へ|利他的循環という旅

この物語は、
ここで終わらない。

グラスからあふれ出た
自己受容という名のハートは、
他者を巡り、社会を巡り、
やがて、また自分へと戻ってくる。

それは、
与えたから返ってくる、という取引ではない。

関係性の中を巡り巡って、
気づけば、
一番上のグラスが、また静かに満たされている。

この循環そのものが、
利他的循環であり、
共同体感覚の実感なのだと思う。

課題の分離は、終わりなき旅

この循環を保つために、
何度も立ち止まる。

今日は介入してしまったな。
今日は課題を奪ってしまったな。

そうやって反省しながら、
また改めて、課題の分離を目指す。

完璧に分離できる日など、たぶん来ない。

それでも、
何度でも自己受容に戻り、
また人と関わり直す。

その繰り返し自体が、
課題の分離に向き合い続ける
「終わりなき旅」なのだと思う。

BLUEのしずく💧

共同体感覚とは、
誰かと一体になることではなく、
それぞれの課題を尊重しながら、
何度も“自分に戻ってこられる関係”を持つこと。
そのプロセスが尊いのだと思う。


あとがき✍️

先ほどの「共同体感覚のシャンパンタワー」
モチーフにした一枚の絵も添えておこう☺️

共同体感覚のシャンパンタワー

のワクワク=自己受容
のワクワク=他者信頼
のワクワク=他者貢献

ぼく自身が、これから出会いたい3タイプの人


この絵は、
教科書的に“純粋な共同体感覚”
そのまま図解したものではない。

共同体感覚の基本構造に、
「ぼく自身が、想うパワーワード:個・共・和」
「ぼく自身が、これから出会いたい3タイプの人」
という、きわめて個人的な願いと視点を重ねた、
いわば アレンジ版のシャンパンタワー だ。

「今、出会いたい3タイプの人」とは

• 違う世界の地図を持つ人
• 沈黙を恐れず、問いを共有できる人
• 互いの「異質」を尊重し、価値を見出せる人


これは理論ではない。
ぼく個人の、現在地から見た願いだ。

だからこの絵は、
「共同体感覚とは何か」を
正確に説明する図であると同時に、

共同体感覚へ向かおうとする途中の視点
そのものでもある。

完成形ではなく、
進行形。

そんなスタンスも含めて、
この一枚を、ここに添えた。


参考資料📚


《FIN》

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