そんな簡単な問題じゃない
世間をにぎわしている様々な問題について、評論家などの論客だけでなくいろいろな人が意見を言う。「言論の自由」が保証されている国ならではだが、申し訳ないが「レベルに達していない」意見が多い。
そもそも議論に加わる大前提としての「情報量」が決定的に不足しているのだが、意見を言っている本人にはその自覚はない。何なら「議論している奴らより俺の方がずっと見識がある」くらいに思っている。そういう言う連中が「知らぬ強み」もあって、話をややこしくする。
全然知らない人が多い
特に高校野球、高野連の問題については、その手の「よく知らないのに通ぶっている」人が、たくさん出てきて議論を混乱させるのだ。一般の人だけでなく評論家、有識者みたいな人でも、高校野球、高野連が置かれた環境や歴史について全然知らない人が多いのだ。それでは議論は前に進まない。
このたび「高野連」という本を出した最大の動機はここなのだ。
今、最も「ホット」な話題と言えば、酷暑の甲子園での高校野球問題ではあろう。
一昨日も書いたが、10年以上前から「残酷ショー」と指摘され「球数制限」や「試合開始時間」などは改善されたが、本質的な問題は手つかずのままだ。
世間の「見識がある」と自認している向きは「なぜドーム球場でやらないのか」とか「8月開催をやめればいいのに」と簡単に言う。
確かにそれが実現できれば良いが、ことは簡単ではないのだ。
まず、阪神甲子園球場はもちろんのこと、NPB球団の使用するドーム球場も、日本高野連の持ち物ではない。歴史的経緯があるから、甲子園は「無料」で使っているが、他の球場は基本的に「無料」では使えない。
日本高野連は、1日数百万円、春夏の大会でそれぞれ1億円以上かかる球場使用料を支払う財力がない。日本高野連は税務署から「非営利」の「慈善事業団体」として公認されている。剰余金はあるが、財力は極めて少ない。
また8月というペナントレースの真っ最中に、NPB球団が休場を明け渡すことも考えにくい。阪神タイガースはこれも歴史的経緯で春夏に球場を明け渡していたが、同様のことができるとは考えにくい。
「8月開催をやめる」のはさらに難しい。日本の高校の「長期の休み」は、春、夏、冬になっている。野球をするのが難しい冬を除く春と夏に甲子園大会を行っているのだ。日本高野連の都合だけで、開催日程を5月とか10月にするのはほぼ不可能だ。

深刻なのは地方大会
さらに言えば、今の高校野球の酷暑問題で、本当に深刻なのは全国大会ではなく地方大会だ。6月下旬から7月後半にかけて、全国各地、およそ250か所の球場で行われる地方大会は、甲子園よりはるかに劣悪な状況で行われている。バックヤードも含め冷房施設がない球場もあるし、庇や屋根がついていない球場も多い。ナイター設備もない球場も多い。
そして出場する選手の中には、ろくに練習もせずに試合に出るような選手もいる。熱中症のリスクは、甲子園大会よりはるかに高い。
しかし、地方大会は、これ以上どうすることもできない。ドーム球場に移すことなど不可能だし、ナイターの試合も難しい。
全国大会をドーム球場に移転することができたとしても、そのすそ野にある地方大会は、厳しい環境のままなのだ。

まず全面的な「改組」
この問題を根本的に解決するためには、まず「非営利」を押し通してきた日本高野連と都道府県高野連を、全面的に「改組」して、営利組織にする必要がある。そのうえで適正なスポンサー収入、放映権収入を得て、使用料を支払って球場を借りる必要がある。
できれば、日本高野連にはNPBが出資するなどして、12球団と高校野球が手を携えて野球の未来を考えていくべきだ。
ドーム球場で、プロ野球の試合の前に、高校野球をするなど、フレキシブルな連携が必要だろう。
私は今朝、こういう記事を書いたが
そのうえで、夏の大会の予選を「春季大会」にして、5月中に終わらせることも考えられる。
ドーム球場の日程が厳しいのなら、北海道で全国大会をやってもいい。札幌ドームが空いているのだから。
かなり前に「全国大会を札幌ドームで」と書いて、あほなコメントをたくさんもらった。「あそこの人工芝は最悪」「交通費、宿泊費はどうするんだ」みたいな。当然の話として、経済面の裏付けを整えたうえで「環境整備」をするのが大前提だ。
それも含め、高校野球改革のあらゆる「プラン」は、単なる思い付きではなく「経済的な裏付け」をしっかり考えたうえで、実施するのが前提になる。

どうしていいかわからない
この記事のヤフコメを見ると「老人たちは、今の暑さを経験していないから、甲子園にこだわっている」みたいなのがたくさん出てくるが、今の日本高野連の幹部で「今のままでいい」と思っている人は一人もいない。
しかし、ビジネス感覚がない人ばかりで「どうしていいかわからない」のが率直なところだ。
「ドーム球場でやれば一発で解決するのに、そうしない。あいつらは無能だなあ」みたいな意見は、今、行われている議論とは完全にずれている。
変わらなければいけないのに「変わることができない」ことこそが、問題なのだ。そんな簡単話じゃない。
