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「残酷ショー」と言われて12年

松谷創一郎さんが、高校野球を「残酷ショー」と言ったのは今から12年も前のことだ。Yahoo!に掲載された記事は、大きな反響を呼んだ。

この時は日本高野連が主催する全国高校軟式野球選手権大会・準決勝が、4日間、延長50回に渡って行われたことを指摘し「明らかに異常な事態」と言っている。そしてこうした状況が「教育の一環」として容認されていることに強い疑問を呈した。

高野連とメディアの問題

松谷創一郎さんと言えば、ジャニーズ問題や、松本人志問題など、芸能界のスキャンダル、人権軽視問題について、鋭い論陣を張って注目されるジャーナリストだが、実は熱心な広島ファンで、野球にも強い関心を抱いている。
私は「球数制限」という本を刊行したタイミングで、松谷さんに連絡を取り「残酷ショー」のくだりを引用する許可を得ている。

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松谷さんは翌年には、さらに一歩踏み込んで、甲子園での選手の酷使がなぜ終わらないのか、その背景にある日本高野連の根本的な構造について、徹底的な分析と提案をしている。
特に、朝日新聞、毎日新聞が日本高野連とともに「甲子園大会」の主催者になっているために、高校野球問題について批判できないことを鋭く指摘した。

「7日間500球」というゆるゆる

高校野球改革の議論は、今はメキシカンリーグで投げる安樂智大が、愛媛の済美高時代、2013年春の甲子園で772球を投げぬき、これをESPNなどアメリカのメディアが「異常な球数」と大々的に報じたことがきっかけとなってはじまったが、同じタイミングでの松谷さんの「残酷ショー」という記事は、強烈なインパクトがあり、議論に拍車をかけたと思う。
しかし日本高野連は、なかなか改革に踏み切ることができなかった。2018年、金足農の吉田輝星が夏の大会で881球を投げたことの是非がメディアで取り上げられ大きな議論となって、日本高野連は「投手の障害予防に関する有識者会議」を立ち上げ、改革に乗り出した。
その結果として「7日間500球」という、見方によれば「投げ放題」にも近い「球数制限」が設けられたのだ。桑田真澄さんは「意味がない」と鋭く指摘した。

いかに「腰が重いか」

私はここ10年、こうした経緯をつぶさに取材して記事や本にしてきたが、今にして思うのは、日本高野連、朝日新聞は「改革」に対していかに「腰が重いか」ということだ。
何か一つ決めるにしても、年単位で時間がかかる。その間に事実関係を精査し、ファクトを提示して改革の道筋を決めるのならまだしも、そうではなくて「有力者」の顔色を窺い、落としどころを見つけて結論を出しているのだ。
今回の拙著「高野連」では「球数制限」や「金属バット導入」について、日本とアメリカの問題に取り組む姿勢の「違い」について紹介しているが、

何をするにしても、ドラスティックな改革ができない「高校野球」は、停滞する日本社会の縮図のようではある。
「高野連」を書くに当たっては、日本高野連のトップや事務方にも話を聞いたが、もはや中央には「改革に対する抵抗勢力」は、どこにもいない。
「変わらないとえらいことになる」という認識は、関係者が等しく共有している。しかし、地方の学校や、OB会、さらには「高校野球ファン」の中には「高校野球を一ミリも変えたくない」という「過激な原理主義者」がいる。
そんな中で、立ち往生しかかっているという印象だ。



最近、この問題に関心を持った人々は、急激な夏の高温化によって「甲子園」「高校野球」が改革に迫られているように思う人がいるかもしれない。
しかし高校野球改革の議論は、もう10年以上も続いているのだ。
その原点に「残酷ショー」という言葉があることは、改めて指摘しておきたい。松谷さんには、昨年末のNetflixの会合ではじめてお目にかかったが、また高校野球について書いていただければ、と思っている。

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