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改めて、スポーツにおける「審判の意味」

相変わらずプロ野球審判への「批判の声」が厳しい。ストライク、ボールやアウト、セーフなどのジャッジに対して「おかしい」「間違っている」と言い募る人は多い。そして必ず「日本もAIビデオ判定を」となる。
私はこの手の「審判批判」はろくでもないと思っている。この手のことを得々という人は、野球ファンでもスポーツファンでもない、と思う。

不利な判定に対する「文句」

まずこの手の批判は、ほとんどが「自分のひいきのチーム、選手が『不利な判定をされた』こと」がきっかけになっている。「俺の選手に何をしてくれる」みたいな「私怨」がもとになっている。それをあたかも「公論」のように言い募っている。
この手の連中は、贔屓の選手やチームが「有利なジャッジ」をされたときには、何にも言わないのだ。
要するに「目先の勝ち負け」に拘泥する人が、勝敗の帰結を「審判のせい」にしているだけなのだ。まともな意見とは言えない。

ビデオ判定の意味

またこの手のことを言う人は「審判がダメだからビデオ判定を入れた」と思っている。「ビデオ判定が導入されて、審判の奴らは困っているに違いない」と思っている。
実際にはビデオ判定を推進したのは、審判だ。昔と異なり、一軍の公式戦はすべて放送され映像が残っている。
審判たちは、その映像をチェックしているが、従来「タイミング的にアウト」になっていた判定でも、映像を見れば「セーフ」になっているものが出てきた。人間が視認するだけではわからない「微妙なアウトセーフ」があることが分かったのだ。
こうした状況を放置していては、審判の権威が損なわれかねない。そこで「ビデオ判定」を導入することになったのだ。ビデオ判定が「各チーム1試合2つ」に限定されているのは、1試合当たりで現出する微妙なジャッジが「その程度だ」ということからだ。
MLBでは今季からABSチャレンジを導入、ストライク・ボールのミリ単位の判定もホークアイを基幹とするシステムにゆだねているが、これも審判が「ストライクボールのジャッジの精度を上げる」ために導入したものだ。
「審判のレベルが低いから、先進機器を導入した」わけではない。

白井審判の真価

今のプロ野球の審判では、白井一行審判が何かとやり玉にあがる。そのきっかけは、2022年4月24日、京セラドームでのオリックス、ロッテ戦で、佐々木朗希がボール、ストライクの判定にクレームをつけたときに、白井が佐々木に詰め寄って警告をしたことだとされる。
野球のルールでは、ストライクボールの判定には、選手はクレームをつけることができない、とされている。このケースでは佐々木が一方的に非があるのだが、世間は佐々木に同情的だった。
この試合を私は観戦していて、当時、Number Webにも書いたが。

白井は審判として当然の判定をした。
しかしそれ以降、白井は「ダメ審判の代表」みたいな見られ方をしている。
今でも試合で審判が紹介されて「白井」の名前が上がると、観客席に軽いため息のような声が流れるのだ。
確かに白井はストライクのジャッジの時に「アーイ」と聞こえる甲高い声を上げる。悪目立ちしている、という部分もある。
しかし、白井は今のNPB審判の中では、キャリア、実力ともにトップクラスで、昨年は最優秀審判員賞を受賞、今季から試合での審判団を率いるクルーチーフに昇格した。
プロ野球の審判は「年俸制」で、1年契約だ。実力的に劣ると評価され契約更新されない審判もいるのだ。

審判がいなければ試合は始まらない

多くのファンは勘違いしているが、野球の「アウト、セーフ」「ストライク、ボール」は、野手がフライを捕ったとか、走者をアウトにしたとか、ボールがストライクゾーンに入ったとか、外れたとかで決まるわけではない。
それを審判が判定して「アウト、セーフ」「ストライク、ボール」とコールすることで「記録」になるのだ。審判がいなければ、試合は始まらないのだ。
野球ファンはすべからくそのことを認識すべきだ。
何度も言っているが、スポーツマンシップでは「チームメイト、相手チームの選手、審判、ルール、その競技そのもの」への「リスペクト」が前提とされる。
この考えは観戦するファンも共有すべきである。審判に対する「恥ずかしい批判」はいい加減にやめるべきだ。

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