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5回目の西粟倉は一味違ったっていう話(速報)

昨年の夏、岡山県西粟倉村で行われた約10日間のフィールドワークに参加して以来、西粟倉のことが大好きになり、今回で早5日目の訪問でした。

しかしながら、今回は自身のフィールだワークでもなく、観光のためでもない!
今年の新しいフィールドワーク生がいる上での訪問、サポーター(?)ということで、これまでとは大きく違う心境での活動となりました。

今回の訪問に際してもたくさんの方々にお世話になり、非常に貴重な経験をさせていただいたのにも関わらず、西粟倉で過ごした4日間で得られた学び・考えたこと・感じたこと…を言語化してアウトプットすることなく、振り返りにすら参加しなかったという罪滅ぼしの意味も込めて、帰りの電車の中て丁寧に自省しています。

西粟倉に行く前

今回のフィールドワークは10日間のスケジュールであったのですが、私は7日目の夜から合流することになっていました。

7日目は、フィールドワークのミッションの一つである「小学校での授業づくり」の終盤・追い込み期であることが容易に想像できる上に、7日間も共同生活をしていたならば、関係性ができているのは自明なことで…

正直、自分が上手く馴染めるか、そもそも馴染む必要があるのか、自分が終盤から合流する意義はあるのか…。

迷いもありましたが、それ以上に不安が先行していて、保守的になってしまう自分が容易に想像できる状況が不快でたまりませんでした。

大好きな西粟倉に行けるというワクワク感はありましたが、ネガティブな感情が8割強を占めていたため、腰が重かったことを覚えています。

7日目(合流1日目)

西粟倉に到着したのは、18:00過ぎでした。
フィールドワーク生がちょうど夕食を食べ始めるタイミングで合流したため、玄関に立った途端、一気に自分に対して視線が集中している感じがしました。

フィールドワーク生全体の第一印象は、
「統一感がすごい」
よく言えば、団結力が高い。
悪く言えば、画一的。
そんなふうに映りました。

途中から来たよそ者に対して深く干渉しない、それよりも夕食だ!という印象を受け、一瞬で帰りたくなりました。

一番悲しいことは、批判されることではなく、忘れられることだと言われますが、まさにそんな感じ。
自分からアクションを起こさなければ、空気にもなることができそう。

彼らにとっては途中からやってきた知らない人を構うことよりも、自分の目的・活動のために時間を使いたい。

当たり前の考え方だと一瞬で納得しつつ、自分の4日間を無駄にしたくないなと思い、私はそこでスイッチが入りました。

7日目の夜は、2つのグループそれぞれの活動を見学させてもらいながら、ちょくちょく思ったことを口に出すということを繰り返していました。

初対面にも関わらず、言いたいことを結構はっきり言えたのは、既にコミュニティが形成されていて、自由に発言しても攻撃しないという裏ルールが確立していた環境になっていた証拠だと思っています。

その一方で、常に論点があらゆる方向にずれているのに、それに誰も疑問を抱かない(どの口が言う)。
フィールドワーク特有の(?)効率性の悪さを久しぶりに体験し、去年の自分の行動を顧みながら、もどかしさを覚えました笑

8日目(合流2日目)

8日目は朝から授業のリハーサルを行いました。

昨日、睡眠時間を削りながら授業づくりに取り組んでいたフィールドワーク生の姿を思い出すと、彼らがつくる授業はどのようなものなのか、純粋な好奇心でワクワクしていました。

彼らの授業の第一印象は、「個性が武器」でした。
(あれ?昨夜、画一的に見えたあの人たちは何だったんだ!)

正直、授業のクオリティは低く、グダグダしていて明日授業をするにはあまりにもピンチなのではないか(どの口が言う)、と思いましたが、両チームとも授業をする「人」が魅力的だと思いました。

授業の内容ももちろんですが、彼らが授業をするから意味がある・彼らにしか伝えられない想いがあるのではないかと思い、内面的なエネルギーが早く外に出てきてほしいなと思いました(どの口が言う)。

一回目のリハーサルの後は、昼食を作ったり、自分のためのフィールドワークに出かけたり…。

オール明けによる自分の脳みその回転の遅さに軽く苛立ちながら、自分の考えを深める良い時間になっていたと思います。

疲労困憊の中、二回目のリハーサルを行い、そのあとも夜遅くまで議論を重ねる彼らの姿は、青春の一ページ感がすごく、羨ましさを覚えました笑

9日目(合流3日目)

9日目はいよいよ授業当日です。

午前中に最後のリハーサルを実施し、午後からの授業に備えました。

リハーサルも授業前も、前2日間とは雰囲気が大きく異なり、緊張感が伝わってきました。

彼らの疲労感も見られ、少し心配はしていたのですが(どの口が言う)、そんなのは杞憂だったと断言できるくらい、生き生きと授業をしていた姿が印象的です。

小学生の反応も良く、やり切ったぞ!という想いが授業後の彼らの表情から見られ、ウルっとしました。

その後はのんびり過ごしながら、打ち上げをし、夜遅くまで語りあう…。

夏の素敵な思い出になっていたのかなと思います。

10日目は朝起きて掃除して、帰りました!!! 

西粟倉駅の前で地元のおばあちゃんからいろいろと濃すぎる話をされたのが、面白すぎて忘れられません。

久しぶりにお会いする方々も多く、近況報告をしたり、活動について詳しくお話を伺ったりすることができ、私自身のダイレクトな学びとしても良い機会となった4日間でした。

4日間で考えたこと

1. 想いを完全に共有することはできない

合流2日目の最初のリハーサルで、「事実は完全に共有することができるが、想いは完全には共有できない」という話がありました。

「事実は完全に共有することができる」に関しては、すっと納得したのですが、「想いは完全に共有できない」については、すんなり納得ができず…。
フィールドワーク中に結構ずっと考えていました。

そんな中で、何気ない食事中に、「目で見ないと真実だと思えないんだよね~。例えば誰かに対する悪いうわさが流れてても、自分で見ないと信じられない!」と言っている子がいて…。

お、これはもしかして、そういうことか!?って思ったわけです。

・自分のフィルターを通して理解すること
・データや数字などで根拠が示されていること

個々人は価値観や思考回路が違うわけで、自分のフィルターを通した瞬間、どれだけ努めていても主観は入るのかぁって…。
ん~それなら確かに想いに差異が生じるのは必然なのかと思いました。

ただ、私的にはデータや数字では表せない事象、人間の主観フィルターを通して観るからこそ生じる事象があると思っているし、人間が活動するのであれば「想い」の部分を一番大切にすべきだと思っている。

データや数字を主張を締めるための道具・論点を整理して他者にわかりやすく伝えるための手段として活用できるようになりたいと思いつつ、人間の主観にまみれた「想い」が完全に共有された世界線を見てみたいとも思いました。

これに関してはもう少し時間をかけて考えたい…というか、今後もゆっくり消化に努めたいと思っている論点です。

2.自分の変化を許してあげたい

今回のフィールドワークは、自分にとっても昨年度からちょうど1年という節目の活動でした。

西粟倉での生活に対する心境変化はもちろんですが、自分自身のセンサーが大きく変化していることに気が付き、正直驚きました。

「心がときめかない」

去年、初めて西粟倉に来てみて、最初に行った「心が動いたものワーク」をした場所を、今年改めてたどってみたのです。

しかしながら、去年は「え~すごい!!」と思ってたくさん写真を撮ったはずなのに、今年は自分の深層部分のときめきセンサーが全く反応しなかった。
歩いているときは結構ショックで、その理由もわからない!
モヤモヤしちゃいました。

でも、改めて今noteを書きながら思考を整理していると必然的な反応なのかなとも思えてきました。
・そもそも自分は新しいものが好き
・知らないものを発見したい欲求が強い

自分の性格的に、着火するのは好きだけど、その火を保つために観察しながら適宜薪を追加していく作業にはワクワク感を覚えない。

それと同じ現象が起きていたのではないかと思いました。

しかしながら、道自体は知っているとしても、周りの環境や自然の動き、空気の流れや、その時の自分の気分など、必ず変化しているところはあるはずで、新しい発見に溢れているはずだった。

それに気が付けなくなってしまったのは、あまりよくないなと思っています。

現実的なことや社会の動きにのまれそうなのは、そう。
だけれど、純粋に美しいものを美しいと思って、心の中に描き映せる感覚は、どれだけ忙しくても、どれだけ追い込まれていても、忘れたくないし、忘れちゃいけない。

・とにかく手を動かす。
・頭を使って考える。
・行動に移して確かめてみる。
・自分の目で確認する。

何かを進めていくにはどれも大切だけれど、何かにときめくためのセンサーが反応しないほど自分を追い込むのはよくない。

自分の好きなこと・大切にしている感性・素直に感動する気持ち…
立ち止まってもいいから、観える世界にときめくことのできる感覚を常に持っていられるようにしたいなと、これまでの生活を、少し反省しました。

そして、良くも悪くも変化していく自分のありのままの姿を受け容れ、変化することを楽しめるくらいになりたいなと思います。

まとめ

何もまとまっていないのですが、とりあえず眠たくなったので「まとめ」をしたいと思います。

今回、可能な限り冷静に、外から活動を見ました。
授業の内容やチームでの話し合いなどはもちろんですが、小学生の反応を含む、「アクションを受ける側の動き」に対する鮮明度が格段に上がったように思います。

自分が今後、何かを動かす時にも、しっかりと外から見る・見てもらうことは大切で、自分一人でやろうとしない・客観的な意見を素直に受け入れ検討し、消化しようと努めることの大切さを理解しました。

この4日間で思うことはまだまだたくさんありますが、睡眠不足が祟りそうなので、今日はこのくらいで。

日々の生活に対するモヤモヤと満たされなさは今もなお続いていますが、その解決のためのヒントを得られた時間だったのではないかと思います。

最後になりますが、今回もたくさんの方々に助けてもらいました。
自分がこうして学びたいと思うことを学ぶことのできる環境・機会を与えてくださる全ての方に感謝します。

続きはまた今度!
それではおやすみなさい✨

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