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感情:怒

私が生まれ育った家庭は、お世辞にも円満だったとは言えない。

お酒を飲むとすぐに怒鳴り始める父。
それをなだめようとするのではなく、むしろ強く言い返す母。

気が付いたときには誰かがイライラしてる。

自分にイライラの矛先が向かないように…
ただそれだけを考えて毎日過ごしていた。

私が小学生だった時、すぐに怒鳴る先生ばかりだった。

優しく…とまでは言わないけど、叱る理由と根拠を冷静に伝えてくれれば良かったのに。

めちゃくちゃ頑張った日に、感情に任せて「お前の成長は無い」と言われたとき、
悲しかったな。

私が高校生だった時、部活動の顧問に個室で怒鳴り散らかされた。

「お前は人間じゃない。卑怯者!!!」って。

私は裏で大切な部員の悪口を言ってくる先生のことが許せなかっただけなのに。
私が悪かったのかな、

ーーー
私はきっと、他の人よりもたくさん怒鳴られながら生きてきた。
そして今も。

だから、怒鳴られ慣れているのか?
→答えはNO

これまでの「怒鳴り」が山積みになって、いつもどんな時でも私の心の隅っこには「恐怖」が棲みついている。

矛先は自分じゃなくても、
誰かが誰かに怒鳴っているのを見ると、体が動かなくなってしまう。
そして、人間として生きている感覚がなくなってしまう。
ただただ助けて…って。

急に誰かが大きな声を出したり、
トゲトゲした言葉が聞こえてきたり…

たったそれだけでも辛くて辛くて、
心のなかは悲しい涙で埋め尽くされる。

大げさだって言われるかもしれないけれど、
私がいつも笑顔でいるのは、自分の恐怖を隠すためかもなって思うことがある。

私の心の隅っこにいる黒くてどれだけ頑張っても消せない影を隠すため…。

私の笑顔はどれが本物なんだろう。
わかんないや。

ーーー
人はなぜ、感情に任せて怒鳴り散らかすのか。

私は「怒」という感情が悪だと言いたいわけではない。

人間が人間らしく生きていくためには無くてはならない感情であるし、時には「怒」という感情のおかげで、正しい方向に導かれることだってある。

でも「怒鳴る」必要ってあんまりないんじゃないかなって。

私だって怒るし、イライラする時だってある。
だけれど怒鳴り散らかそうっていう思いになったことがないし、もちろん行動に移したこともない。


「怒」が「鳴る」

心の中に「怒」がいっぱい溜まっている人は、一生懸命「鳴」らして誰かに気づいてもらわないと、心が満たされないのかな。

たくさんの「怒鳴り」によって、いつの間にか私の心には「怒」を溜める機能が無くなっちゃったんだろうな。

ある意味幸せか、
もう怒鳴れないもんね。


お願いだからこれ以上私に矛先を向けて怒鳴らないでほしい。

私の心の影がもっともっと大きく黒くなってしまったら、
息ができなくなってしまう。

そして大好きだった人のことも、たった一瞬の「怒鳴り」で「恐怖」の対象になってしまう。

誰かに対して「怒」の感情が生まれたときは、怒鳴り散らかすのではなく、自分の言葉に責任をもって、紡いでほしい。

冷静になれ…とまでは言わないから、言葉に鋭角をつくらないでほしい。

私はあたたかくて丸くてほわほわした言葉が好き。

誰か人間から「怒鳴る」機能を奪いとってくれないかな笑

そろそろ私が必死に隠してる心の影が誰かにバレちゃうよ、、

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