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90のおばあちゃんが急性骨髄性白血病になった2

「おばあちゃん、白血病だったって。」

お母さんに言われた。6月22日月曜日。

その時はあまり深く考えていなかった。

ディズニーに2人で行こうと計画していたけれど、ここ最近体調がすぐれず、今日は検査結果を聞きに行くのでそれを見て決めよう、と聞いていた。


白血病かぁ。


10年前、ミュージカル女優としての道を志していた私は、通っていた専門学校で骨髄移植推進ミュージカルに半年間注ぎ込んでいたことを思い出していた。

週1の休みで、長いと朝8時から夜22時まで、始発で出る日もあったなぁとか。

当時は軽く白血病については学んだが結局身近なものではないので、病状や薬、症状まで深く勉強はしていなかったけれど、重い病だということはもちろん知っている。


「それでね、、、あのね、抗がん剤治療、するかもしれないんだって。」

ここまで言われても、ピンとはこない程度の知識量。

2週間前に医療用ウィッグと人工乳房を販売をする仕事に転職した私は、抗がん剤治療を受ける予定の方と沢山お会いし、抗がん剤治療についても学んでいたので、なぜか共通するものが身近に出てきて複雑だった。


少しずつ、母から情報を得るごとに怖さが出てきた。

「…なんの治療もしなければ、残り数ヶ月だって」


私は悲しいことが起こる時、実感するのが遅いタイプ。

月曜日にこれを聞いても、水曜日くらいまでヘラヘラとすごしていた。

深くを知るのが怖かった。

それでも少しずつ調べ、祖父母と同居している母の姉から得る情報も母から聞き、思った以上に深刻だと実感する。


でも、私には、何もできない

祈ることしかできない


水曜日の夜中、せめてどこかにパワーをもらいに行こう、と思い、木曜日は高幡不動尊へ行った。


とんでもない大雨だった。


ここは最近、年始に家族に連れてこられる場所。というイメージしかなかったけれど、なんとなく好きな場所ではあるから、足が出向いた。


初めて1人で来て迷子になりながら、住所と名前をいいながらいろいろな神様を巡っていると、涙が出てきた。

怖い、とにかく、失うのが怖い

治療をしても、爆発的に延命ができるわけではないのなら?

治療が合わなくて中断する可能性もある


数ヶ月の定義は、最低2ヶ月くらいだろう、じゃあ2ヶ月後どうなってるかわからないということ、、?


マイナスな考えばかりが浮かぶ


おばあちゃんがいないなんて、信じられない。でも、少しは覚悟をしないといけない部分があると


80をこえたあたりから、いついなくなってもおかしくないんだからとか、これが最後の〜とか、
おばあちゃんはよくいうようになったけれど私はそれが大嫌いだった。


頭の片隅ではわかっていてもそんな縁起の悪いこと、言霊でも宿ったらどうするんだ。


それやめて。嫌い。言わないで。っていつも言っていた。

でも事実だし〜っておばあちゃんはいつもいう。


そんなの、少しはわかってる、でもあえて聞きたくはないの。


28にもなってこの思考は変えられていない。


神社の綺麗な空気を届けたくて、叔母からおばあちゃんが月曜日の夜から熱を出していることも、声がかすれて出ないことも聞いていたけれど電話をかけた。


咳き込みながらしんどそうだったから私がお喋りしようとしたのに、おばあちゃんはよく喋る。


こんなに喋らせて大丈夫かな

今は安静が一番なのは事実、叔母は体調が悪いことを伝えて電話や面会を控えたいのだとわかっていたから罪悪感が湧いてくる

おばあちゃんと喋ることに罪悪感が湧くなんて。


いつも、遊びに行くたび、もう帰るの?って言われてたのに。


こちらが切り上げないと、しんどくてもずっと喋るんだろうな。

私は、きっと半ば諦め気味なおばあちゃんに、まだ頑張らなきゃって思って欲しくて

そして、絶対元気になる保証なんてどこにもなくても私だけは、絶対大丈夫って言い続けたくて

ディズニーのチケットをとってあること、

まだ私のウェディングドレス姿を見せられていないこと(いまのところ、予定はないけど)

圧をかけたくて、話した。


電話越しでもおばあちゃんを前にすれば大丈夫だと思ったのに、涙声になりかけた。

絶対バレたくないしおばあちゃんの前では絶対泣かない、ぶっ飛んだ笑顔の私でいたい


幸いにも補聴器の調子が悪くバレなかったと思う。

1時間の電話の後、写真を撮って神社をあとにした


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