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危機を防ぐ理論は、俺を救わなかった――MMTとマーティン、二つの信用貨幣論を天秤にかける

※前回記事(ナローバンキングという劇薬

俺が転がり落ちた坂道の話

今回は、理論の前に、俺自身の話をさせてほしい。だいぶ前のことで、記憶が曖昧なところもある。だが、この連載を書いている根っこの部分だ。

俺は一時期、サイディングボードの職人をやっていた。知人の紹介で始めた仕事だ。人から命令されるのが嫌いで、自分の意志で仕事をしたかった。当時、肉体労働は3K——汚い、キツイ、危険——と呼ばれて見下されていた。確かにその通りではあった。だが、つらいと思ったことはない。会社勤めには会社勤めの3K——つらい、つまらない、ついていけない——があるんじゃないか。実際、現場には元大手サラリーマンの職人もいた。夫婦でコーキングをやっていたその人は、「人間関係に煩わされなくなってスッキリした」と笑っていた。

職人の世界はシンプルだ。学歴も職歴も関係ない。仕事ができれば評価され、評価されれば仕事が回ってくる。腕次第でサラリーマンより稼げる。

ただし、この仕組みにはひとつだけ穴がある。景気は、評価と関係がない。

どれだけ腕を上げても、需要が落ち込めば仕事は来ない。仕事はいつも来るとは限らない。安定しているとは限らない。

家族がいたから、生活の安定のために借金をしようとした。だが、銀行は貸してくれなかった。職人という仕事の返済能力に、疑念を持たれたのだろう。だから消費者金融から、いくばくかの借金をした。生活のために、仕方なくしたものだった。

そして1997年、消費税が3%から5%に上がった。

増税前は駆け込み需要で忙しかった。ところが、5%になった途端、請負がいきなり減った。俺の腕が落ちたわけではない。評価が下がったわけでもない。ただ、需要が消えた。

借金の返済が難しくなった。当初は借金で借金を返していた。だがそれで元本は余計に膨らみ、やがて返済不能になった。裁判所に減額返済を申請して受理されたが、それでも払いきれなかった。最終的には、時効を迎えたのに合わせて時効の援用をして、返済を終わらせた。それ以来、俺は借金をしないと決めて、今に至っている。

長いあいだ、俺はこの経験を「自分の失敗」として抱えてきた。だが、貨幣論をここまで学んできた今、問い直したいことがある。

あのとき俺に必要だったのは、「借金できない安全な制度」だったのか。それとも「仕事がなくならない景気」だったのか。

前回、ナローバンキングに感じた引っかかりは、抽象論ではない。この問いそのものだ。この問いに答えるために、今回はMMTとマーティンという二つの理論を、俺の坂道の上で天秤にかける。

俺の坂道:駆け込み需要→増税→注文減→返済不能の流れ図

本の主張:同じ出発点、正反対の処方箋

1. 驚くほど一致している土台

まず押さえておきたいのは、MMT(現代貨幣理論)とマーティンが、出発点ではほとんど一致していることだ。

  • お金は「モノ」ではなく「約束の記録」である(信用貨幣論)

  • 銀行は預金を仲介しているのではなく、貸出の瞬間に預金を創造している

  • 「物々交換から貨幣が生まれた」という教科書の物語に、歴史的根拠はない

  • 主流派のDSGEモデルは、銀行が存在しない世界を仮定しており、現実を説明できない

この連載でここまで解剖してきた土台を、両者は完全に共有している。
なのに、ここから先の処方箋が正反対になる。

2. MMTの楽観――「政府がアクセルとブレーキを握れ」

MMTの核心はこうだ。自国通貨を発行できる政府は、支出に「財源」を必要としない。本当の制約は財源ではなく、インフレと実物資源である。

銀行の信用創造については、認める。エンジンは残す。ただし政府が財政政策で管理する。不況が来たら政府支出を拡大して需要を支え、経済が過熱したら増税で購買力を吸い上げる。金融危機が起きれば、政府が「最後の貸し手」として支える。理想として掲げるのは、雇用保証プログラムを通じた完全雇用社会だ。

MMTの世界観は、根本のところで楽観的だ。「通貨発行権を持つ政府が適切に行動すれば、問題は解決できる」という信頼が土台にある。

3. マーティンの懐疑――「エンジンそのものが欠陥品だ」

マーティンは同じ信用貨幣論に立ちながら、逆を向く。彼の問いはこうだ。

信用創造の権限を民間銀行に委ねたまま、政府の管理だけで安定を維持できるのか?

答えはNoだ。銀行はレバレッジで利益を追うインセンティブを構造的に持っており、ミンスキーが示した通り、安定はやがて必然的に不安定を生む。政府の管理では追いつかない。それどころか、「最後の貸し手」がいるという安心感そのものが、銀行のリスクテイクを加速させるモラルハザードになる。

だから、管理ではなく剥奪。信用創造の特権を銀行から構造的に取り上げる——それが前回見たナローバンキングだった。

MMT vs マーティン:同じ土台・正反対の処方箋の対比図

俺の理解:これをどう噛み砕いたか

二人の医者は、違う病気を診ている

MMTとマーティン、どちらが正しいのか——第1弾の頃からずっと、俺はこの問いの立て方をしていた。だが今は、問いの立て方自体が間違っていたと思っている。

二つの理論は、診ている病気が違う。
マーティンは「金融システムはなぜ壊れるのか」を診る医者だ。急性疾患の外科医。バブルという腫瘍がどう育ち、どう破裂するか、その構造への解像度は圧倒的に高い。

MMTは「需要が死んだとき、誰が立て直すのか」を診る医者だ。慢性疾患の内科医。不況という長患いの中で、家計に借金をさせて景気を保つ社会設計の危うさを突く。

2008年の危機のあと、エリザベス女王が、居並ぶ主流派経済学の権威者たちに問うた有名な質問がある。「どうして誰も、危機が来ることが分からなかったのでしょう?」。主流派は答えに窮した。だが信用貨幣論の側——ミンスキーの系譜——なら、こう答えられたはずだ。「日時は分かりません。だが、危険な方向へ進んでいることは見えていました」。彼らはGDPではなく、民間債務と銀行貸出の膨張そのものを見ていたからだ。

危機の日付は当てられない。だが危険度は測れる。これが信用貨幣論の共有財産であり、その上でマーティンは「壊れない構造」を、MMTは「死なない需要」を設計しようとしている。

俺の坂道に、二つの理論を当てはめる

ここで導入の問いに戻る。あの坂道の上で、二つの理論はそれぞれ俺に何をしてくれたか。

マーティンの世界(ナローバンキング)では、俺はそもそも消費者金融から借りられなかったかもしれない。 借金で借金を返す地獄も、時効援用も、なかったかもしれない。それは確かに「安全」だ。だが、思い出してほしい。俺が借りたのは生活のためだ。借金ができない世界で需要が消えたら、俺は借金地獄の代わりに、もっと早く生活そのものが立ち行かなくなっていただけではないか。マーティンの金庫は安全だが、あの坂道の途中で俺を受け止める仕組みは、どこにもない

MMTの世界なら、話が変わる。 MMTは俺のケースをこう診断するはずだ——生活費を借金で埋めないと回らない時点で、社会設計がすでに失敗している。俺を救い得たのは、借金の窓口ではなく、建築需要を維持する財政であり、あの増税を見送る判断であり、所得を支える政策だった。順序を間違えてはいけない。仕事が減ったから借りたのであって、借りたから需要が消えたのではない。

そしてもうひとつ、前々回のNote記事で書いた「信用のメートル法」が、ここで牙を剥く。銀行は俺という職人の「距離」を遠いと測った。だから俺に提示された金利は、銀行の金利ではなく消費者金融の金利だった。信用の距離を測られ、遠いと判定された人間ほど高い通行料を払わされ、そこに政策不況が直撃する。 坂道は、いちばん距離を遠く測られた人間から順に転がり落ちるようにできている。

だから、答えは「組み合わせ」になる

俺を潰したのは金融危機ではない。需要の消滅だ。だからあの坂道に限れば、天秤はMMT側に傾く。

だが、それはMMTが万能だという意味ではない。バブルの診断はミンスキーが強く、制度の批判はマーティンが強く、不況の処方はMMTが強く、シャドーバンキングや消費者金融の実務はそれらと別の金融規制論が受け持つ。単品ではどれも片肺飛行だ。

4つの理論の役割分担図

ここがまだ引っかかる

引っかかり①:政治は、単品しか選ばない

「組み合わせが正解」——書いていて、自分でも綺麗事の匂いを感じる。現実の政治は、増税のような劇薬を単品で断行することはできるのに、複数の理論を組み合わせた繊細な処方箋を実行した試しがあるだろうか。正しい処方箋があることと、それが飲まれることは、別の問題だ。ナローバンキングが90年間飲まれなかったのと同じ構造が、ここにもある。

引っかかり②:「政府が適切に行動すれば」という前提

MMTの土台には「政府が適切に行動すれば」という条件がある。だが、俺の坂道を作ったのは、まさにその政府の増税判断だった。インフレが走ったとき、政治的に不人気な増税や歳出削減を断行できるのか。MMT論者自身もこの弱点を認めている。第1弾の頃MMTに傾倒していた俺が距離を置いた変節点はここだったし、その変節は今も撤回しない。

引っかかり③:失敗した社会設計の中で、個人はどう生きるのか

家計に借金させて景気を作る社会設計そのものが失敗だ——MMTのこの視点は正しいと思う。だが、社会設計が正される日を待たずに、俺たちは明日もこの設計の中で生きる。俺は「借金をしない」という自衛を選んだ。それは正解だったのか、ただの傷の記憶なのか。システムの話を、個人の生存戦略の話に翻訳する作業が、まだ残っている。


いま言えること

現時点での俺の整理はこうだ。

  • 俺を突き落としたのは「借金できる制度」ではなく「需要を殺した政策」だった。この結論は理論ではなく、俺の体で確認済みだ

  • ただしそれはMMT万能を意味しない。危機の診断はミンスキー、制度の批判はマーティン、不況の処方はMMT。役割の違う理論を、役割の違うまま持っておく

  • 信用の距離を遠く測られた人間ほど高い通行料を払い、政策不況の直撃を最初に受ける。坂道には転がり落ちる順番がある

  • 変節の現在地:MMT傾倒(第1弾)→ マーティン懐疑(第2弾前半)→ 補完関係の理解(いまここ)

これは「確定した結論」ではなく、あくまで現時点での整理だ。


次回への問い

書き終えて、気づいたことがある。
俺個人の坂道——増税で需要が消え、支えがなく、転がり落ちた——は、実は日本全体でこの30年間起きてきたことの縮図ではなかったか。
需要を殺す政策を続けながら、「財政危機だ」「国の借金が大変だ」と言い続けた30年。俺の坂道を作った力と、日本の停滞を作った力は、同じものではないのか。
次回は、ここまでの全理論を持って、「失われた30年」の真犯人を追いかける。


この先を体系的に読みたい方へ

この連載では、『21世紀の貨幣論』を一章ずつ読み解きながら、貨幣・信用・国家・銀行の関係を整理しています。 断片的な記事ではなく、一本の思考の流れとして読みたい方は、シリーズをフォローしていただければ、新しい記事が公開されるたびにお届けします。
また、連載の内容を体系的に再整理したKindle本も準備中です。 「Note連載で考えたこと」を「一冊の地図」として手元に持ちたい方は、そちらもお楽しみに。

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