不本意な人生の選択をした後も新しい人生を歩む1つのコツ
文藝春秋とnoteで「#未来のためにできること」をテーマに「文藝春秋SDGsエッセイ大賞2024」として投稿コンテストを開催しているので、そのために文章を1,000字程度でカルクライムエも投稿してみようと思う。
自分で決めた暮らしなら、今は18歳の男女にも責任が課される時代だ。
頑張り続けた日々で腰を痛めた。プライベートの遊びやデート、運転まで影響した。ある日、耐えられない腰痛で、カッとなって許されないミスをした。一瞬の出来事だった。瞬く間に会社に情報が広まり、影響力の強い人に弁解もできずに退職。入籍直後の恋人と赤子がいるのに…これからどうすれば…
…3年後、諦めず努力し転職は成功したが、家族では貧困を感じて妻子は離れ車も手放した。腰痛も悪化して鬱病になった。
こんな不本意な選択の後の人生を自身で責任背負って生きる人への周囲の援助は、個人的にも社会的にも充分な余裕がない。むしろ、人が次第に離れて「世の中は世知辛いな…」と、孤立した自宅で一人、生活も崩れていく人たちは、世の中少なくない。
背負えない責任を押し付けられた人へ向けたSDGsのメッセージは「もう消えたい」と思う人向けの再起のヒントだ。
まずそもそも、誰しもが社会や環境の影響を受けて、不本意な選択をとっている。
筆者は決して「どんなに孤独でも一人じゃないし、みんなツラいんだ」と言ってるわけではない。自分の人生になんの価値も感じず、メンクリに行くほど追い詰められた結果、隣の芝生が青く見える他人の現実にも、この事実があることに気付いて欲しいのだ。
他人の全ては分からない。表面的なステータスに不本意な選択とその結果が隠れてると想像しよう。大事なのは自分の人生のこれからであって、他人の事実ではない。
実際、他人は満足そうなフリをして無理に笑顔を作ってる。だが本当は社会や環境の影響を受けて不本意な選択をしている。
SDGsの誰一人取り残さない社会とは、一度レールを外れると元に戻れない社会が、何度でも社会的に立ち直りが可能だという風潮になった世界と筆者は思う。
苦しい時期の忘れられない事実を、他人があえて打ち明けないのは、誰も得をしない結果になると理解してるから。もしあなたが話を聞かされた時に助けられなかった無力感を与えないためだ。
人生はとても大変だ。不本意な選択に対して自責他責をするのは罠だ。誰しもが不本意な選択をしている仲間だ。だからこそ過去を封印し現在を生きている。
理不尽に歪められた過去から現在までの苦しかった期間を封印して、それから新しい自分をやってく気持ちになった頃、想像したSDGsが社会に浸透してることを願う。

