アントニオ・ストラディバリと音の設計 ── 「最高のヴァイオリン」はどこから生まれたのか
「クレモナのアントニオ・ストラディバリ、1716年に製作。」── 1716年製ヴァイオリン「メシア」のラベルより
1. 記録の少ない巨匠 ── 伝説の手前にある史料
アントニオ・ストラディバリは、17世紀から18世紀にかけて北イタリアのクレモナで活動した弦楽器製作者です。その名は名器の代名詞となりましたが、生年や修業歴には不明な点が残っています。伝統的には1644年ごろの生まれとされ、1737年12月にクレモナで没しました。
現存する初期のヴァイオリンには、1666年のラベルを持つものがあります。そこには「ニコロ・アマティの門弟」を意味するラテン語が記されています。アマティ家はクレモナのヴァイオリン製作を代表する一族であり、ストラディバリの初期作品にも、丸みを帯びた輪郭や高めのアーチなど、その影響が見られます。
ただし、ストラディバリが実際にニコロ・アマティの工房で徒弟生活を送ったことを直接示す契約書や住民記録は確認されていません。若き日の経歴は、楽器の形状と一枚のラベルから慎重に推測されています。
1667年にはフランチェスカ・フェラボスキと結婚し、1680年にはクレモナのサン・ドメニコ広場に面した家を購入しました。そこは住居であると同時に工房となり、木材、型、工具、製作途中の楽器が集まる仕事場になりました。妻の死後にはアントニア・マリア・ザンベッリと再婚し、二度の結婚で多くの子をもうけています。息子のフランチェスコとオモボノは父の工房に加わりました。
ストラディバリが残したのは理論書ではありません。彼の思考は、型板に引かれた線、木材を削った跡、そして楽器内部の短いラベルに刻まれています。
2. クレモナという音の都市 ── 工房文化と競争
ストラディバリの仕事は、孤立した天才の営みではありませんでした。クレモナには16世紀以来、アマティ家を中心とする弦楽器製作の蓄積があり、木工職人、金属加工職人、画家、商人が活動していました。アルプスからは表板に適したトウヒ材が運ばれ、バルカン方面からは裏板や側板に用いるカエデ材が流通しました。
ヴァイオリンは宮廷音楽、教会、劇場、貴族の私的な合奏で必要とされていました。ストラディバリの顧客には、イタリア諸国や国外の宮廷につながる有力者も含まれていました。1690年には、トスカーナ大公家のフェルディナンド・デ・メディチのために、複数の弦楽器からなる一組が届けられています。
工房ではヴァイオリンだけでなく、ヴィオラ、チェロ、ギター、ハープ、ヴィオラ・ダモーレなども製作されました。とりわけ装飾楽器には、象牙、黒檀、彩色文様などが用いられています。今日の「ストラディバリウス」という語から想像される簡素なヴァイオリンだけが、彼の仕事の全体ではありません。
製作には内型が使われ、その周囲に側板を組み、表板と裏板を接着して胴体を形づくりました。型には記号や文字が記され、同じ設計を再利用しながら細部を調整できるようになっていました。工房に残された型、テンプレート、工具、図面の一部は、現在もクレモナのヴァイオリン博物館に保存されています。
そこから見えるのは、ひらめきだけに頼る製作者ではありません。寸法を比較し、旧作を修正し、再現可能な工程へ落とし込む設計者としての姿です。
3. 「黄金期」までの試行錯誤 ── ロング・パターンからB型へ
1680年代までの作品には、アマティ様式の優美な輪郭が色濃く残っています。しかしストラディバリは、やがて胴体の幅、アーチの高さ、縁の処理、コーナーの伸び、f字孔の位置を変化させていきました。
1690年代には、通常より細長い「ロング・パターン」と呼ばれるヴァイオリンを試みています。胴長を伸ばしながら幅との均衡を探った形式ですが、彼はこの設計に固定されませんでした。1700年ごろには胴体の比率を再調整し、より力強い輪郭と低めのアーチを備えた形式へ移っていきます。
おおむね1700年から1720年ごろは、後世に「黄金期」と呼ばれました。1709年製「ヴィオッティ」、1715年製「アラード」、1716年製「メシア」、1721年製「レディ・ブラント」など、著名な楽器がこの時期に集中しています。ただし「黄金期」という呼称は後世の評価であり、ストラディバリ自身がそのように区分していたわけではありません。
チェロの設計でも重要な変化がありました。従来の大型チェロに比べ、演奏しやすい寸法へ整理された「B型」と呼ばれる内型は、その後のチェロ製作に大きな影響を与えています。1707年製「カウンテス・オブ・スタンライン=パガニーニ」や1711年製「デュポール」などは、その発展を示す代表的な楽器です。なお、「パガニーニ=ラーデンブルク」は1736年製の別のチェロです。
もっとも、現在演奏されているストラディバリの多くは、製作時の状態をそのまま保っているわけではありません。後世の演奏様式と音量への要求に合わせ、ネックの角度や長さ、指板、駒、魂柱、バスバーなどが交換・改造されました。現代の聴衆が耳にする音は、18世紀の製作と、その後数世紀にわたる調整が重なった音です。
名器は、ひとつの秘密ではなく、無数の寸法が結んだ均衡でした。
4. 「秘密」はニスの中にあるのか ── 科学が示す複合要因
ストラディバリの名声が高まるにつれ、その音には失われた秘密があるという物語が生まれました。特別なニス、寒冷期に育った木材、薬品による防虫処理、鉱物質の下地など、さまざまな説が唱えられています。
科学調査では、年輪年代学、X線撮影、CTスキャン、顕微鏡観察、化学分析などが用いられてきました。その結果、表面には油性のニスや着色層、木地を整える下地処理が認められています。しかし、名器の性能を単独で説明できる「魔法の成分」は見つかっていません。
木材も同様です。寒冷な気候が年輪の密なトウヒを生んだという仮説は知られていますが、木材の産地、乾燥、切り出し方、板厚、アーチ、ニス、経年変化を切り離して評価することは困難です。さらに、演奏者が感じる反応、ホールでの放射特性、楽器ごとの保存状態にも差があります。
ストラディバリは生涯に千点を超える楽器を製作したと推定され、そのうち約六百点前後が現存するとされています。ただし、正確な数字には数え方による幅があります。19世紀以降にはラベルの複製や偽作も大量に生まれたため、内部に「Stradivarius」とあっても、それだけでは真作の証明になりません。専門家は輪郭、型、f字孔、スクロール、工具痕、ニス、来歴などを総合して鑑定します。
彼の卓越性をひとつの秘法に還元すると、長年にわたる設計変更や工房の蓄積が見えなくなります。現存する型と楽器が示しているのは、完成した公式ではなく、反復され続けた試行錯誤です。
5. ガラスケースの中の1716年 ── 「メシア」が残した基準
オックスフォードのアシュモレアン博物館には、1716年製ヴァイオリン「メシア」が収蔵されています。鮮やかな赤褐色のニス、鋭い縁取り、整ったf字孔、カエデの裏板に走る杢目が、ガラス越しに見えます。演奏による摩耗がきわめて少なく、ストラディバリの黄金期の外観を伝える楽器として知られています。
この名称は、19世紀の収集家ルイジ・タリシオが楽器の素晴らしさを語りながら、なかなか人前に出さなかったことに由来すると伝えられています。ヴァイオリニストのデルファン・アラールが「まるで救世主のように、いつも待たれているのに現れない」と評したため、「メシア」と呼ばれるようになりました。その後、製作者ジャン=バティスト・ヴィヨームやヒル商会の手を経て、1939年に博物館へ寄贈されました。
「メシア」は、名器でありながら、華やかな演奏歴によって名声を得た楽器ではありません。ほとんど弾かれなかったため、ニスの摩耗がきわめて少なく、彫りやスクロールの縁飾りも例外的に良好な状態で残っています。ただし、完全な未改造品ではありません。ネックは後世に延長され、ペグ、駒、テールピースは19世紀のものです。数世紀にわたり演奏され、修理と調整を重ねた他の作品とは異なる時間が、その胴体に封じ込められています。
f字孔の奥には、小さな紙片があります。そこに記された言葉は、音響理論でも自賛でもありません。
「Antonius Stradivarius Cremonensis Faciebat Anno 1716」。
クレモナのアントニオ・ストラディバリが、1716年に作ったという一行です。ガラスケースの中には、その簡潔な署名と、署名を裏づける木の仕事が残っています。
参考文献
W. Henry Hill, Arthur F. Hill, Alfred E. Hill『Antonio Stradivari: His Life and Work (1644–1737)』William E. Hill & Sons・1902年
Simone F. Sacconi『I “segreti” di Stradivari』Libreria del Convegno・1972年
Toby Faber『Stradivarius: Five Violins, One Cello and Three Centuries of Enduring Perfection』Macmillan・2004年
Stewart Pollens『Stradivari』Cambridge University Press・2010年
Ashmolean Museum, “Messiah Violin, by Stradivari.”
Tarisio / Cozio Archive, “Countess of Stanlein, Paganini” cello (1707), ID 40127.
Tarisio / Cozio Archive, “Paganini, Ladenburg” cello (1736), ID 40050.
