小学生の僕が触れた、本当の強さ
小学3、4年生の時のケンカの話。
この体験は、僕が 本当の強さ について考えるきっかけになった。
悔しさと怒りに埋め尽くされた日
放課後、小学6年生の子も含めてサッカーをよくしていた。
ある日、今となっては具体的な内容は覚えていないが、何かすごく悔しいことがあった。
泣きながら敵意を持った相手を追いかけて、グラウンドを走り回っていた記憶がある。
複数人から悪口を言われ、叩いたり蹴ったりされた。
それに腹を立てて追い回したが、ボロボロに負けた。
家に帰っても親には言えなかった。
部屋の隅っこを見つめながら、悔しさと怒りの感情に埋め尽くされていた。
その時の部屋の様子などは今でも鮮明に覚えている。
父親への相談と疑問
夜、父親が帰ってきた。
僕の中で父親は1番強い人だった。
あいつらをぶちのめすことしか頭にないくらい怒りの衝動から、勇気を出して父親に質問を投げた。
「ケンカに強くなりたい」
「強くなるにはどうしたらいいの?」と。
父親はタバコを吹かしながら、明らかにめんどくさそうな態度でこう言った。
「急所を狙え」
「目、鼻、股間を狙え」
。。。。。。。「えっ?」っと心の中で僕はつぶやいた。
同時に僕の中で怒りが急激に引いていき、冷静になった。
強いと認識していた父親からのアドバイスの内容は、子供の僕からしてもダサい戦法だった。
そんなことはしたくない。
よくわからないが、直感的に、そんなことしてもスッキリ出来ない気がした。
子供なりにフェアじゃないと感じたんだと思う。
何より、とにかくダサく感じた。
父親は本当に強いのか?
父親への相談で僕が手に入れたのは、この疑問だけだった。
自分なりに立ち向かう
数日後の放課後、またヤツらがいた。
関わりたくないので、こちらからは距離をとった。
でも、やつらは僕にちょっかいを出してきた。
脳裏には父親のアドバイスが浮かぶ。
でも、やっぱりやりたくない。
僕は僕なりに口で「もうやだ」と伝えた。
やつらが調子ついてくるので、僕は泣きながら思いっきりその中の1人に体当たりした。
1人が倒れた後、他の奴らに向かっても泣きながら体当たりしまくった。
ただ、ただ体当たりするだけ。
僕自身、もう何が何だかわからず、無我夢中で体当たりしてた。
しばらくそんな混乱が続いた後、お互い疲れたのか、変な間が生まれた。
誰かが「もうやめよう」と言い出し、その場が治った。
自分なりに精一杯立ち向かった。
でも、それが流れを変えた。
みんな擦り傷はあったが、絆創膏で済むくらいのケガですんだし、何より後味は悪くなかった。
思い出して振り返った帰り道
帰り道、1日を思い出していた。
同時にあることを想像してみた。
もし、父親のアドバイスを実行していたら。。。
想像しても、やっぱりやらなくてよかったと心から思ったんだ。
父親は普段から何かと怒鳴り、物に当たり、母親を泣かす日々が僕を落胆させ、僕は尊敬はしていなかった。
そんな父親にアドバイスをもらいにいくというのは、僕の中で悪魔と契約するような感覚だったのかもしれない。
厄介な人=強い人
そんな認識だったのかもしれない。
僕の「体当たりだけ」という方法は、確かに効果的ではなく、不格好だったかもしれない。
でも、僕が余計なことを考えずに正面から立ち向かう方法としては一番良かったと思う。
本当の強さって何だろう
あの体験から学んだのは、本当の強さって技術や力じゃないんじゃないか?ということだ。
勝つという結果ではなく、逃げずに向かっていくというプロセスを持つものが本当の意味で強い者なんじゃないかって思う。
父親のアドバイスは確かに「効果的」だったかもしれない。
でも、それは僕が求めていた強さじゃなかった。
大人になっても、専門家や権威者の意見を鵜呑みにしてしまうことがある。
でも、このブログを書いていく中で、最終的には自分の価値観で判断することが大切だと改めて認識し直せた。
小学生の僕が体当たりだけで戦ったように、不器用でも自分らしい方法で問題に向き合う。
そんな選択をこの先の人生でも意識的にしていこうと誓った。
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