非効率なのに愛おしいこと
実は数年前から、趣味でラップを歌っている。
じわじわと、曲らしきものを作っている段階だ。
40歳からの未経験スタートだ。
最初からうまくいくわけもなく、まだまだ自己満足の領域を超えていないように感じる。
僕のハートに火を灯した数々の曲を生み出したアーティストは本当にすごい。
やればやるほど距離を感じる。
それでも、やめないでいる。
効率からはほど遠い
AIで何でもできる、と言われる世の中から見れば、今さら自分でゼロから始め、地道に牛歩で進めているのは、効率が悪い。
その自覚はある。
でも、友人が作ってくれたビートに、自分で描いたリリックと、自分の声をのせて、編集まで自分でやっている。
誰かの手を借りつつ、輪になっている感じが、すごくいい。
ありがたい。
ちょっと本気の趣味、くらいの温度感だ。
リリックの種は、この note
リリックの種になっているのは、等身大のT-Penで書いてきた記事たちだ。
書いた言葉が、また別の形で喉から出る。
同じことを二回語っているようで、実は違う媒体だから、浮かんでくる言葉も違う。
言葉から音に変換される瞬間を体験する。
そこが面白い。
一瞬の手触り
ヘッドホンでビートが流れた夜、メトロノームみたいに体が勝手に動いて、同じフレーズだけ何度も録り直した。
うまくなった実感より、「まだだな」が積み上がっていく感じのほうが強い。それでも、積み上がり自体が嫌じゃない。
たまにすごくしっくりくるような、最初から決まっていたのではないか、と感じるフレーズが出てくると、不思議と何かに感謝したくなる。
聴いてもらう
いまは、リアルな友人たちに、少しずつ聴いてもらい始めている。
好きでやっているのに、人に聴いてもらうとフィードバックが欲しくなる。同時に、フィードバックが怖い。
笑われたらどうしよう、というより、期待に応えられない自分や、出来栄えの羞恥のほうが先に顔を出す。
それでも聴いてほしくなる。
矛盾している。
心の栄養
効率から程遠い行為が、愛おしい。
すごく自分の心の栄養になる気がしている。スキルがちょっとずつ上がることを信じて、一歩一歩、継続している。
意味があるか、だけで疲れた
意味があるか? だけで自分の行動を決めるのに、疲れた、というのもある。
質よりAIを使って量と速さを求められているような空気感には正直うんざりしている。
そんなことを言ってもしょうがないんだろうけど、我慢とか、耐え忍ぶ感覚が続きすぎるとやはり辛い。
根っこにある感性にあったペースで、意味なんてなくても、やっていて楽しいことをやる。
それだけをして生きていける状態なら最高だけど、実際問題、そうはなっていない。
だから、意味が無くても、明確なゴールが無くても、今は心が喜ぶことに一定量の時間を使う。
それでいい、と今は思っている。
経験がなくても、蓋はしない
経験がない、実績がない、資格がない。
そんな理由で興味のあることに蓋をするのはもったいない。
自己満足レベルであっても、その過程を楽しめるなら、やってみるべきだ。
最近の僕はやってみたいことがちょっとずつ出てきている。
農業もそうだし、大地の再生もそうだし、フットサルもそうだし、料理もそうだ。
その中で、数年前と比べて成長を感じられたのがラップ。
色々経験して、noteにして、ラップにする。
そんな循環ができたら、僕はこれからも笑顔で生きていける。
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