子どもとの接し方 ー 僕の子供時代の傷を活かす
林間学校で思い出した、熱い大人たち
最近、中学2年の林間学校の思い出を記事にした。
消灯後に女子の部屋に忍び込んで先生に怒られた、あの話である。
あの記事を書きながら、僕は生徒や子供のことを考えて、行動に移していた大人たちを思い出した。
まだ勢いやノリで、道を大きくはずれないように声を上げ、身体を動かしてくれる大人。
そんな大人たちのことを、改めて思い出した一方で、高校の時に出会った、ある先生のことを思い出す。
最初に断っておくと、記憶は断片的で、いつもより記憶内容に自信がない。ただ、はっきり覚えている出来事を軸に書いていく。
高校の現代社会の授業
高校の授業の内容なんて正直、ほとんど覚えていない。
高校の頃は、席で寝てるか、眉毛整えているか、窓から雲見てるか、仮病で保健室のベッドで熟睡してるかしかない。
そんな僕だけど、なぜか今でも覚えている授業がある。
現代社会の、少子高齢化の話だった。
この先生は、いわゆる体育会系で、野球部の顧問だか、監督だかをやっていたと思う。
先生は少子高齢化について説明し始めた。
事実を淡々と。
その内容には、特に希望はなく、「一番良い時代が終わった」と言われている気がした。
僕らの未来は暗いというような印象を植え付けていった。
クラスのみんなもざわざわしていて、ちょっと騒がしかった。
「かんけーねーよ」と言っているやつ。
「まじかよ」って気持ちが落ちているやつ。
めずらしく授業を聞いていた僕は、自分たちの未来の可能性を否定されたような気がして、純粋な気持ちでこう言った。
「じゃあ高齢な人が全員いなくなれば問題解決じゃん!」
ざわざわしていたクラスが急にシ〜ンっと静まり返る。
先生の表情が一気に変わり、
「T-Pen!自分が何を言ったのかわかってるのか!!」
っと、めちゃくちゃ怒られた。
多分、倫理的にサイコパスな発言だからだと思う。
今、振り返っても、なかなかひどい発言だったなとは思う。
でも、倫理を学ぶ授業ではなく、現代社会を学ぶ授業だ。
しかも、自分の未来を否定された気持ちにちょっと反抗心みたいなものも芽生えていたので、そんな未来にしてんじゃねーよ!っという感情もあった。
若さゆえと言えば、そうだが、後先考えず、視野の狭い言葉を発してしまった。
先生は「全国の高齢者に向けて今ここで謝れ!!」と怒鳴りちらしている。
僕は席を立ち、皆が見ている中で「今まで頑張ってきてくれた高齢者の皆さん、とんでもないことを口にして申し訳ありませんでした」っといった内容を謝ったと思う。
その後、「おまえらもT-Penのようなふざけたこと言うんじゃねーぞ」みたいなことを追加で言われ、その場はズルズルと続き、そのまま授業の終了時間になった。
僕は、反省し、素直にすぐに謝った。しかし、僕は納得いかなかった。
何が納得いかなかったのか
僕の非人道的な発言に対して、取り消すような意味で謝る。
そこは納得している。
あの発言は謝るべきだったと思った。
僕は自分のじいちゃんが大好きだ。
だから、じいちゃんに対して、同じことを言えるのか?っと考えて、とんでもない発言だなっと反省した。
だから、素直に心から謝ることが出来た。
すぐに謝るきっかけを生んでくれたことに対しては、正直感謝している。
しかし、その後の叱責が続いたことと、授業の終わり方には納得がいかなかった。
まずは叱責が続いたことについて。
あれは本当に必要だったのだろうか。
記憶の中で授業の半分くらい、その場での叱責が続いたように感じている。もちろん、怒られていた本人だから、体感時間が長く、記憶と実際の時間は異なるかもしれない。
僕が納得いかないのは、みんなの前で素直に謝ったあとも、しばらくクラス全員の前で叱られることだった。
クラスのみんなも、十分理解していたと思う。
しかし、先生はそこからさらに続けた。
このことが、本当に必要だったのか?っと、今考えても納得がいっていない。
あとは、少子高齢化の授業の終わり方だ。
僕らの未来が真っ暗というような状態で、授業が終わったのだ。これって、何の授業だったのか?
ただただ、僕らのテンションを下げるだけが目的だったのか?それとも、少子高齢化という事実を受け止め、その現実を受け取り、未来に向けてできることを考える時間だったのか?
当時のカリキュラムや教科書の影響だった部分もあるかもしれない。
ただ、少なくとも僕には、後者のような前向きな未来に向けたメッセージはなかった。その先に、子供たちが前を向くための何かはなかっただろうか。
教師批判ではない
教師というエピソードを軸に、僕が子供にどう接するかを今回考えている。
林間学校の先生は、子供に無関心ではなかった。後日、ちゃんと謝ってくれた。その対比として、高校の現代社会の先生が浮かんだ。
先生には先生の立場や意図があったかもしれない。
他の生徒への戒めとして続けたのかもしれない。
体育会系の先生なら、そのやり方も自然だったかもしれない。
今となっては確認のしようがない。
少なくとも、僕は必要以上に傷ついた思い出が今も残っているのは事実だ。
僕が子供に接するときに大切にしたいこと
少子高齢化に限らない。何か難しいこと、暗いことを子供に伝える時。
事実を伝えるだけで終わらせない。
変に楽観的にしたり、根拠無く大丈夫とは言わない。
でも、置き去りにはしない。
今、一緒に生きていて、共に頑張ろうと、未来に向かう仲間であることを伝えようと思う。
現実を受け止め、前を見る。
僕の生き様でもあるこの言葉を、子供に接するときも大切にしたい。
事実を受け止めた上で、未来に向けてできることを一緒に考える。
前を向けるようなメッセージを届ける。
暗い話で終わらせない。
子供に接する僕は、過去を生きてきた大人ではある。
と同時に、子どもと今を生きる大人でもあるのだ。
あの時の僕は、傷ついた。
この傷も、林間学校の先生のように向き合ってくれた大人たちの存在も、今の僕を作っている。
だから、その経験を今に活かし、子供に接するときは、本人に伝わることに集中したい。
そして、必要以上に傷つけることがないように相手の立場に立って気持ちを汲み取り、冗長にならず、本質だけを届けるようにしよう。
子供の頃に出会った大人との思い出から学び、今僕は、手探りで大人として生きている。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでいただきありがとうございます。
もしよかったら、チップで応援いただけると励みになります。
御香を炊き、心を整えながらnoteの記事を書いています。
いただいたチップは御香代として、今後の執筆に大切に使わせていただきます。