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感謝を伝えたくなる瞬間では素直に感謝する

最近僕は意識的に立ち寄る場所がある。
地元にある神社だ。

週に1、2度よっている。

いつからだろうか。

始まりは自然への感謝だった

今この瞬間に何だかありがとうを言いたくなった。

まぁ自然に対してありがとうとふと、手を合わせて伝えたくなったんだ。

なぜそんな気持ちになったのか、今、僕が生きているって、僕だけでは成り立たないような気がしたからだと思う。

でも、細かい理由を探すより、その気持ちに素直に従ってみようと思った。

月を見上げて手を合わせる。
太陽の光を浴びながら感謝を伝える。
木々の間を歩きながら、ありがとうと心の中でつぶやく。

もし道で手を合わせている人がいきなりいたらちょっと気味悪いかもしれない。そんなことを思ったが、まぁそこを気にしてやらないのはもったいないみたいな感覚になった。

そんなことを繰り返していると、自然と神社という場所が頭に浮かんだ。
感謝を伝える場所として、これ以上ふさわしい場所はないだろう。

神社での時間

そんな中、神社を見て当然のように感謝を伝える。

小銭は毎回バラバラ。
その時に持っている小銭の中からお賽銭に入れる。
金額に意味はないと思っている。
大切なのは、その瞬間の気持ちだ。

鳥居をくぐる前に深呼吸。
空を見上げる。
心が落ち着いていく。

鳥居をくぐる前に一礼して「お邪魔します」を伝える。
鳥居をくぐると身体から何かが剥がされるような感覚になる。
日常の雑念や余計な思考、身体にまとわりついている余計なものが、そっと取り除かれていくような感じだ。

お賽銭を入れて手を合わせる。

「ありがとうございます。」を伝える。

その瞬間、僕は何も求めない。
ただ、今日という日があることへの感謝。
健康でいられることへの感謝。
家族がいることへの感謝。

そんな当たり前のことが、実は当たり前ではないということを、静かに受け止める。

こんなことを定期的に行っている。

科学的根拠なんて知らない

科学的な根拠なんて無いし知らない。
そもそも無いとも思っている。

でも、やりたいと思うからやる。

この感覚を誰かに説明しろと言われても、うまく言葉にできない。
効果があるのかと聞かれても、数値で示すことはできない。
でも、確実に言えることがある。

1日がいつもより素敵になるような気がする。

それだけで十分だ。

僕にとって、それ以上の理由は必要ない。

内なる声に従うということ

振り返ってみると、この神社参拝の習慣は、僕の中にある「内なる声に従う」という価値観の表れなのかもしれない。

世の中には、効率性や合理性を重視する風潮がある。
何をするにも理由や根拠を求められる。
でも、人間の心はそんなに単純ではない。
理屈では説明できないけれど、確かに感じる何かがある。

僕は、その「何か」を大切にしたいと思う。

行動に起こすと、ちょっと変な人に思われるかもしれないが、そんな瞬間の印象を気にするのはやめよう。

感謝の気持ちが湧いてきたら、素直にそれを表現する。
神聖な場所に足を向けたくなったら、迷わずそこに向かう。
心が求めることに、正直に応える。

それが、僕らしい生き方なのだと思う。

さいごに

神社での時間は、僕にとって生活の一部と言える時間になった。
そこは、日常の喧騒から離れ、自分の心と向き合える場所。
感謝の気持ちを素直に表現できる場所。

もしかしたら、読者の皆さんにも、そんな特別な場所があるかもしれない。それは必ずしも神社である必要はないと思う。
公園でも、海でも、山でも、自分の部屋でも。

大切なのは、その場所で自分の心に正直になれること。
感謝の気持ちを素直に表現できること。

それを繰り返すことで、神社以外の場所でも、相手が人で合っても、動物であっても、自分の心に正直に、そして感謝の気持ちを表現出来るようになる。

次に、何か感じることがあるまで、ゆる~くではあるが続けていこうと思っている。

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