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「良かれと思って」の行動は、だいたい良くない方向に行く(気がする)話

昔から、割と周りをよく見ている方だとは思う。

困っている人、立ち止まっている人、自分の想像できないものに立ち向かわないといけなくなった人。

そういった人を見ると、良かれと思って手を差し伸べたり、頼まれてもいないのに伴走したりしたことがある。

でも、思い返しても、その行動が本当の意味で良い方向にいった気がしない。

今回は、僕の「良かれと思って」から始まった数え切れないエピソードの中から、割とわかりやすそうなエピソードを4つ紹介し、そこから学んだことを書きたいと思う。

その1

5、6人で会話をしている時、あまり自分から発言をするタイプではない人がいたとする。
そんな時、僕は「良かれと思って」その人にフォーカスを当てる。
話しやすい空気にしたほうが良いと思ったからだ。

しかし……人にはそれぞれ場の楽しみ方がある。
その人は、その距離感が心地よかったのだ。
逆に、僕がフォーカスしたことで居心地が悪くなってしまった。

大きなお世話をしてしまった瞬間だった。

その2

仕事で新人が困っているので、「良かれと思って」手を差し伸べ、仕事をササッと終わらせた。
困っているので助けようと思ったからだ。

しかし……僕はその新人の成長の機会を無情にも奪い取ってしまった。
僕がいない時、同じことで困ってしまった新人は、別の人に怒られてしまう。

その瞬間のことしか考えず、未来に向けた補助というバランスを取ることができなかった。

その3

チームで活動する際、みながやりたがらないことを「良かれと思って」率先して行った。
チームを動かすために誰かがやらないといけないならやろうっと思ったからだ。

しかし……結果的に、チーム感が失われ、そのチームはチームとして機能しなくなった。
皆でチームを動かしている感を得る機会を僕が潰した。
なぜか、僕がやるからいいっと、皆の意識が下がっていってしまったんだ。

その4

仕事で、僕がマネージャーをやっている時、マネージャーとして頼りになるようガムシャラに働いた。
部下を早く帰してあげたくて、「良かれと思って」誰よりも遅くまで働いた。

しかし……僕が率先して遅くまで働いていたことがスタンダードっぽい空気になり、部下たちも遅くまで残業するのが普通になってしまった。
メリハリがなくなってしまった。
更に、僕は身体を壊してしまった。

学んだこと

これらの失敗から僕は学んだ。

  • 良かれと思った時、立ち止まるようになった。

  • そして、未来につながる行動を考えるようになった。

  • 何かが巡り巡って循環する未来はどんな未来かを想像するようになった。

その思考を経て、バランスを見ながら行動に移すようになった。

おかげで、最近は「良かれと思って」をきっかけに動いても、良い方向に向かっていくことが多い。
良かれと思って行動に移すことが良くないのではない。
起こす行動への考えが足りなかっただけだった。

そこに気づいて、改善するのにけっこう時間を使ってしまったが、今の僕の中に間違いなくその気づきと学びは生きている。

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