見出し画像

AIは80年の感動を生成できるだろうか?

僕が個人的に、とても好きで大切にしているフレーズがある。

綾小路きみまろさんの
「80歳のばあさんを作るのには80年かかる」
という言葉だ。

当たり前じゃないか、と言われればその通り。
でも、僕はこの言葉がたまらなく好きだ。

世の中の流れは日に日に早くなり、結果ばかりを早急に求める風潮がある。そのせいか、多くの物事が雑になっている気がしてならない。
そんな葛藤の中で出会ったのが、この言葉だった。

80歳のおばあちゃんを作るには、何をどう頑張っても、80年という時間が必要だ。
この事実は、人が生きてきた時間そのものが何よりも尊く、代替不可能な価値を持つ証だと、僕は強く思ったんだ。

では、少しだけ表現を変えてみよう。

もし、
「80歳のおばあちゃんが写っている写真」
が欲しいだけだとしたら、どうだろうか?

今は、AIがものの数十秒で、それらしい画像をいとも簡単に用意してくれる。

じゃあ、80年生きてきた人間の価値は、もうなくなってしまったのだろうか?

そんなわけがない。

というか、そんなことがあってたまるか。

AIは、80歳のおばあちゃんが写った「写真」を用意できたわけじゃないんだ。

正確には、「80歳のおばあちゃんのように見える何か」をデータから生成しただけだ。

僕たちが本当に心を動かされるはずだったもの、その人だけの物語は、そこにはない。

僕が見たいのは、単なる画像データじゃない。

僕の知らない時代を懸命に生き、僕の知る時代をどこか別の場所で生きた、一人の人間の存在が記録された、その一枚なんだ。

僕にとっての「リアル」とは、その時代、その場所で生きた証そのものであり、喜び、悲しみ、憎しみ、愛しさのすべてが一瞬一瞬に積み重なってできた、人生そのものだ。
そのとてつもない積み重ねが生み出す感動は、AIには決して作れない。

もちろん、AIの進化はすごい。

人間の可能性を未知の領域へ押し上げる期待感もある。

だからこそ、間違えたくはないんだ。

リアルでしか作れない、代替不可能な美しさが、この世界には確かに存在することを。

ただ、ふと未来への懸念が頭をよぎる。

もし、この80年という歳月の一瞬一瞬の積み重ね、つまり経験そのものすら、AIが完璧にシミュレートできるようになったとしたら…
その時、僕はいったい何を軸にして生きていくのだろうか…
と。

それでも、僕は僕自身の仮説を信じたい。

だからこそ、リアルを大切にして、僕自身の1年1年を丁寧に積み重ねていく。
一つひとつ、自分の手で、心で、積み上げていく。

もし誰かが、サクッと手に入る「それっぽいもの」を求めるなら、それはもう「僕」じゃなくていいということだ。
そういう価値観の人とは、きっといつか、自然と接点がなくなっていくんだと思う。

AIを学び、認め、その力を理解し、共に歩む術を身につける。
そして、その上で、断固としてリアルにこだわり、それを大切にし続ける。

AIと肩を組み、リアルにこだわる。

それが、今の僕の生き方だ。

いいなと思ったら応援しよう!

等身大のT-Pen 読んでいただきありがとうございます。 もしよかったら、チップで応援いただけると励みになります。 御香を炊き、心を整えながらnoteの記事を書いています。 いただいたチップは御香代として、今後の執筆に大切に使わせていただきます。