世の中にあふれる刺激 ー 苦手なものは苦手、回避する勇気を磨く
苦手な刺激
世の中には、刺激が溢れていると感じることが多々ある。
僕は、その一部が本当に苦手。
満員電車、大きな声、激しい電飾、ざわざわした場所、せかせかした空気の行列。
どれも、僕のHPとMPを削っていく。
満員電車
まず、電車に乗るだけで、皆が我先にと前のめりな気がするところが苦手だ。
吊り革などに捕まって、何かに自分を固定できるといい。
でも、どこにも固定できない時は、不安でしょうがない。
自分の息が誰かにかかっていないか? 身体が色々な人と接していて、身動きが取れないストレス。
頭の中では、なんでこんな環境に身を置かないといけないんだろう、と考えている。
周りに女性がいる場合は、両手を顔より上にするように気をつけている。
そういった、他者への配慮が色々の方面で必要になる気がして、すごくしんどい。
降りるときも、降りてすぐに改札に向かう流れに乗らないと邪魔になる。
気が休まるのは、改札を出て、少し人が減ったエリアに行った時。
正直、通勤だけで、どっと疲れ、ここまで来たという達成感すら覚える。
仕事に回すエネルギーは正直たかが知れている。
大きな声
近くで知らない人が、電話に向かって大きな声で話しているのを聞くだけで、ちょっと刺激される。
怒鳴っているとかではなく、ただただ声が大きいだけ。
周りがうるさくて、みんなが大きな声で話している場所は、本当にしんどい。
学生時代、野球部の友達の声が常に大きくて、そいつと話すと僕の思考は止まっていた。
そう考えると、小さい頃、怒鳴っている父親によく向かっていったと思う。
人混みと歩調
都内の駅周辺は人が多い。それだけで疲れる。
休日に家族で行くフードコートも、正直目が回る気がしている。
花火大会なども、人混みの中で見る花火だと、美しさが半減する。
人並みを歩くと、歩調が微妙に自分の歩調と異なる。
周りに歩調を合わせていると、身体と心がなんか疲れる。
逆に合わせない場合も、浮いている感じが心を疲れさせる。
どちらを選んでも、結局疲れる。
昔の僕
昔は、弱いと思っていた。
だから、強くならなきゃと、刺激が強い環境に身を置いて頑張っていた。
どんなに人混みであっても、はやりのスポットに行き、騒がしい場所で一緒に騒ぐ。
クラブなどにも行った。
今思うと、あれは強くなっていったのではなく、麻痺させていった気がする。
結果的に、僕の中のダミーシステムの誕生に繋がったんだと思う。
良かったといえば良かった(のか?)。
今している対処法
基本は、そういった刺激の強い出来事や場所を回避するようにしている。
電車での移動が必要な場合、できる限り時間をずらす。
人混みにいかないといけない場合は、大きな駅のひとつ前などで降りて、歩いたりする。
ただ、回避できないときがある。
その時は、僕の心のセンサーをOFFにするんだ。
正確に言うと、無になり、自分の身体に普段張り巡らせている神経を遮断する。
エヴァンゲリオンのダミーシステム起動みたいなイメージだ。
ただ、ダミーシステムなので、その間は僕の感性は閉じる。
本当に無なんだ。
敏感さのもう一つの側面
苦手な刺激がある一方で、敏感だからこそ感じ取れるものもある。
風や、木の軋む音、枯れ葉の下で動く虫の気配、子供の笑い声、野良猫の気配。
直接会って、表情や、醸し出している空気感で、相手の心の状態がなんとなくわかる。
親しい人なら、なんなら電話で声を聞くだけでなんとなくわかる。
静かな場所だと、地球の地面の下の力強さや、空を突き抜けた宇宙の奥行きの深さを感じることがある。
そんな時、僕が穏やかで元気になる。
今の僕
苦手なものはやっぱり苦手だ。
なんなら、麻痺していた頃より、疲れをより感じるようになった気がする。
苦手の克服も考えたが、やっぱりしんどいし、どうしてもダミーシステムが起動してしまう。
だから、回避できるなら積極的に回避する。
これからも回避する勇気と、実行力をもっともっと磨きたい。
自分がワクワクすることに時間を使うことに一生懸命になったほうが、どう考えてもいいから。
磨き始めたころはうまくできなかったし、今にいたるまで、なんだかんだ2、3年はかかったけどここまできた。
苦手な刺激に敏感な自分も、自分。
むしろ、敏感に感じ取れること自体、すごく楽しい。
この感受性を大切にし、この世界を前を向いて歩いていく。
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