18歳、洗車しながら僕は「強さ」について考えた
幸せな時間
免許を取り立ての頃、親の知り合いから車を安く譲ってもらい、18歳にしてマイカーをゲットした。
若い頃はなぜ、夜になると仲間と目的もなく海に行くのだろう。
今思えば不思議だが、当時はそれが当たり前だった。
ある日、男女6人くらいで浜辺で花火をすることになった。
1人の女の子がバイトで合流するのが遅れてくる。
そもそも車は僕の1台しかないので、行けるメンツだけ海に置いてきて、当時好意を寄せている女性と2人でバイトが終わる女の子を迎えにいった。
車中はドキドキと、嬉しさで本当に幸せな時間だった。
18歳の僕にとって、好きな人と2人きりでドライブなんて、これ以上ない贅沢だった。
予期せぬ出来事
指定された場所に着き、もう1人の女の子を待つ。
少し離れたところには、族車に乗ったヤンチャな4人のグループがいた。
そして、そのヤンチャグループの方面から女の子が歩いてきた。
どうやら地元が同じで、知り合いのようだ。
そのままこちらに歩いてくる。
なぜか4人も歩いてくる。
嫌な予感がした。
胸の奥で何かが警鐘を鳴らしていた。
でも、期待を裏切ることなくダル絡みが始まった。
恐怖の時間
車の上に乗られたり、運転席に無理やり入ってきたり。
大事にしている車を雑に扱われている怒り。
好意を持っている女の子と、迎えにきた女の子が共に困っている。
僕も当時、ヤンチャな奴らとよく遊んでいて、ダボっとした服装だった。
見た目だけなら、そんなに変わらない。
でも、僕がとった行動は、ひたすら
「いやいやw(苦笑)」
で押し通すことだった。
途中、頭を叩かれたり、車を蹴られたり、車に唾を垂らされたり…。
でも、そいつらは女の子には危害を直接加えなかった。
あくまでも標的は僕と車だった。
時計の針が止まったかのように感じられた。
一秒一秒が永遠のように長く、心臓の鼓動だけが異常に大きく聞こえていた。
顔の筋肉が攣りそうになるほど、作り笑いを続けた。
頭の中では色々なことが駆け巡っていた。
キレて反撃するか?
そんなことして、女の子たちに危害が及んだりしないか?
車がもっと傷つくかもしれないよな。。。
そもそもシンプルにボコボコにされるだけじゃね?
でも、オレはこのまま何もしないでいいのか。。。
脱出の瞬間
そこで、一瞬隙が生まれた。
車を発進させても誰もぶつからなそうな隙間。
脊髄反射で車を発進させた。
そのまま猛スピードで逃げ去った。
女の子たちも元気がない。
「ごめんな。オレあいつらぶちのめせるような男じゃなくて…」
「もう大丈夫っしょ」
僕が振り絞った言葉はこれだった。
情けなさと安堵が入り混じった複雑な気持ちで仲間のもとに車を走らせた。
隠蔽という選択
しばらく車で流したあと、仲間と合流した。
「おせーぞ!何やってたんだ?」っと質問の嵐。
彼らからしたら、僕が好意を向けている女性とドライブしたので、何かハッピーなイベントなかったのか?っというノリでニヤニヤがすごい。
僕は、
「道に迷いまくっちゃって!すんませんー。さぁ花火やろう!」
っと返した。
ダル絡みされた出来事を、これから楽しもうという時にわざわざ言う気にはなれなかった。
一緒に車にいた女の子たちも言わないんだ?っという感じだ。
僕は2人に「さぁ気を取り直して楽しもう!」っと伝え花火が始まった。
でも、心の中では全然楽しめなかった。
花火の音と光が妙に遠くに感じた。
みんなの笑い声も上の空だった。
翌日の洗車
次の日、1人で車を洗車しながら、ボンネットの凹みを見て、唇を噛み締めていた。
当時の僕は、男として守るべき人やモノを力強く守る力が無いことに落胆していた。
いざという時、人ははじめて真価を問われる。
真価を問われた結果、僕は弱かった。
その時はそう思っていた。
洗車も佳境になり、タオルで車を拭きながら、ふと思った。
あの時、完璧な対応はできなかったけれど、女の子たちを守ろうとしていた。
最悪の結果は避けることができた。
これでもいいんじゃないか?っと。
今だから分かること
あれから20年以上が経った今、僕はあの夜の体験を改めて振り返っている。
当時は「力強く守れなかった」ことを恥じていた。
でも今思えば、完璧な対応なんてできなくても、その場から逃げずに向き合ったこと自体に価値があったのかもしれないと思える。
本当の強さって、勝つという結果ではなく、逃げずに向かっていくというプロセスを持つことなんじゃないだろうか。
あの夜、18歳の僕は確かに怖かった。
でも逃げなかった。
完璧じゃなかったけれど、自分なりに最善を尽くした。
そして、大切な人たちを守るという意思が確かに存在していた。
理想的なヒーローにはなれなかったけれど、現実的に可能な範囲で責任を果たした。
それで十分だったんだ。
受け入れることの強さ
理想的な対応への期待を手放し、現実的に可能な最善の選択をする。
完璧でない自分を受け入れながらも、その時できる最善を尽くす。
当時は無意識に選択していたけど、結果的にナイスな選択だった。
18歳のあの夜、僕は「強さ」の本当の意味を直感で判断出来たのかもしれない。
それは、映画のヒーローのような完璧な強さではなく、現実と向き合い続ける、等身大の強さだった。
今回改めて振り返っていく中で、あの時の自分に「うん、よくやったよ」と心の中でそっと呟いた。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでいただきありがとうございます。
もしよかったら、チップで応援いただけると励みになります。
御香を炊き、心を整えながらnoteの記事を書いています。
いただいたチップは御香代として、今後の執筆に大切に使わせていただきます。