思い出せるのは、後味の悪さだけ
初めて人を殴ったときの話を書く。
小学校の4年か5年の時、体育の時間に僕は初めて人を殴った。
今、どんなに思い出そうとしても、なぜ殴ったのかは思い出せない。
殴ったのは顔。
しかも鼻。
体育座りをしていて、後ろにいた相手に振り返って殴ったことと、殴った時の拳の痛みは思い出せる。
でも、なぜ殴ったのかは思い出せない。
殴ったあと、相手は相当痛かったのか、泣いていた。
先生が来て、僕は怒られた。
その場で謝った記憶は残っていない。
この日以降、僕は人の顔を殴っていない。
中学生になって、殴った相手とも普通に集団で登下校はしていた。
その時に、殴った相手にこのときの思い出話をして、謝ったことは思い出せた。
ただ、謝るといっても、「あの時はごめんな」くらいライトだった記憶だ。
もっとちゃんと謝ればよかったと思う。
卒業するまでも、卒業してからも、話さないわけではないが、仲が良いという感じではなかった。
今でも思い出すと、僕にまとわりついている後味の悪さについても考えてみた。
やってやったとか、泣かすことができたとか、何かを達成した感じはない。
殴ったが、その後どうしていいかわからなかった。
自分の中で、何も物事が進んでいないことへの違和感があった。
あれは、本当に殴るくらい僕は怒っていたのだろうか。
そもそも、なぜ殴るという選択をしたのだろうか。
人を殴ってみたいという、実験的な思考があったのだろうか。
思い出せるのは、やっぱりこの後味の悪さだけだ。
僕の中でとても重要な思い出のような気がして、いつものように消化しようと思い出しているが、情報がなさすぎて消化しきれていない。
むしろ風化してきていて、完全に思い出せなくなる前に、今覚えていることだけでも記録しておこうと思い、今回書いた。
この後味の悪さの根っこは、今後も探し続けていこうと思う。
他の思い出を思い出す中で、似たような感覚に出会えたら、その時にこの殴った記憶の後味の悪さが言語化できて、自分が理解できる気がするから。
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