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ブルー・レイン


『青い雨』
それが祖母の、最期の言葉だった。


その言葉が、この場所を指すものだと
僕が知ったのは最近の事だ。

だから、あまり旅向きではない
梅雨の季節にこの宿を訪れた。


お天気アプリに位置を入れたら、
雨の予報が続く日に、ネット予約。

案の定、予約情報は空き部屋ばかり。
宿の経営状態が心配なくらいだ。


ローカル線の駅を出ると、
宿の名前が書かれたマイクロバスが
迎えに来て僕を待っていた。

白髪を角刈りにした運転手が、
笑顔でドアをスライドさせた。


駅から宿までは、そう遠くはない。
濡れてぼやけた車窓の景色は、
田んぼ、田んぼ、小川、橋。
あと見えるのは山ばかり。

田舎だなぁ。何も無いや。


頑張れば10人は乗れそうな
車内に居るのは僕一人。
運転手のおじさんがミラー越しに

「生憎の雨ですねぇ」

と、僕に言った。

「いえ、雨を見に来たので」

「え?!雨を?」

意味分かんないよね?
そりゃそうだ。
僕も最初はわからなかった。

詳しく話す気も無かったが、
話すほどの時間も無かった。

マイクロバスは最後に急坂を登り、
小高い場所に建つ宿に着いた。


建物の外観は、戦国時代には
城下町だったと言う土地に因み、
ちょっとお城を思わせるデザイン。

白い壁にグレーの瓦屋根。

ちょっとレトロな感じだな。
そう思って玄関へ向かう。

エントランスから自動ドアを通ると、
絨毯敷きのロビーとフロントが見えた。

「お疲れ様でした」

フロントの女性も白髪混じりで、
この昭和臭を残す宿にマッチしている。

「生憎の雨ですが、どうぞごゆっくり」

優しい笑顔で鍵を渡される。
良かった、カードキーとかじゃなくて。
普通の鍵が、ここには似合う。
セキュリティ面から見たらアレだけど
宿にはそこに合う『風情』が必要だ。


少しクッション性のある床材の、
赤い階段を上がり2階へ行くと、
ありきたりな感じの茶色いドアが
並ぶ廊下に辿り着く。

鍵に書かれた『201』の部屋前で、
従業員の制服を着た女性が
笑顔で待っていて、頭を下げた。


「雨の中をお疲れ様でした。
お待ち申し上げておりました」

「どうも、お世話になります」

「お部屋はこちらです。どうぞ」


促されて入室すると、
ありきたりな旅館の部屋って感じで、
畳に座敷机に座椅子。
窓側にはフローリングのスペース。
そこには丸いテーブルと椅子がある。


僕が荷物を置いていたら、
従業員の女性が声を掛けて来た。

「あのぅ、失礼ですが、もしかして」

「はい?」

「森宮様、の、お身内の方ですか?
最近お亡くなりになった?」

「あ、はい。それは僕の祖母だと」

「やっぱり!」

宿のスタッフの女性は、
手をパチン!と合わせると、
僕に深々と頭を下げた。


「ご予約表を見た時、そんな気がしました!
苗字も同じだし、時期も同じなので!」

「はぁ」

「毎年この、閑散期の梅雨にも
ご夫婦で連泊して下さって。
とても有り難く思ってました」

「あ、そーだったんですね。
それは知らなかったな」

「毎年チェックアウトの際に、
翌年の予約をされてたのですが、
昨年は確認のお電話で、ご主人様が
お亡くなりになられたので、と、
キャンセルをされました」

「はい。祖父は急でしたからね。
祖母も色々忙しかったでしょうし」

「今年も雨の時期が来て、
お二人を思い出してたら、
同じ苗字のご予約が入ったと聞きまして。
それで、もしかして?って」

「そうなんだ。覚えてて下さって
ありがとうございます」

「自慢のお孫さん、
お会い出来て光栄です」

「自慢だなんてそんな!
小さい頃は世話になったのに、
何の恩も返さないまま、近頃は
会いもできなくて・・・」

「立派な社会人になって、
デザインのお仕事をされてるって
お話して下さいましたよ」

「いやいや、僕なんて全然まだ」

「実は、お渡ししたいものが
あるんです」


彼女はそう言って、小脇に挟んでいた
ものを僕に差し出した。


「スケッチブック?」

女性は頷くと、指を揃えた手で
小さなスケッチブックを指した。

「こちらは、森宮様からずっと
お預かりしていた物です。
お泊りの際、毎回フロントでお渡し
するのがお約束でした」

「へぇ、何でそんな事を・・・」

「どうぞ、中をご覧ください」


促されるままに、表紙をめくった。

水彩画向きのキャンソン紙の、
小さなスケッチブックには、
優しい色合いで季節の花や木や、
野鳥、昆虫などが描かれていた。

決して上手いという程ではない。

それでもそこには温かくて
優しかった祖母の眼差しが感じられた


「季節ごとに、お二人揃って
お泊まり下さる常連様でした」

スタッフの彼女は、懐かしむように
そう言って窓を見上げる。

外は雨が降っていて、
灰色の空と、向かいにある山が
霧で溶け合うような水墨画の世界だ


「青い雨・・・」

「え?」


僕の呟きに、彼女は振り向いた。


「祖母は最期にそう言ったと、
介護の方から聞きました。
祖母は病院で亡くなりましたが、
病室の引き出しにここのパンフレットが入ってて」

「なるほど。それで病院から
こちらへご連絡下さったんですね?
もし予約があれば、キャンセルをって」

「介護の方が、気の利く良い人で」

「はい。お亡くなりになったと
ご連絡頂きました。我々もショックで
朝礼で全員黙祷しました」

「ありがとうございます」

「いえ、とても良いお客様でした。
残念です・・・」


そして、僕がバッグから出したのは
この宿の古びたパンフレットだ。
祖母の病室に有ったもので、
写真は随分古臭く、折り目が白く
すり減っていた。

さっきフロントに置いてあったのは
写真も新しくて綺麗だったな。

祖母が大切に持っていたらしい、
古いパンフレットの表紙には、
震える手で祖母が書いたであろう
『あおいあめ』
の文字が残されている。


「これで祖母の最期の言葉と
この施設が関係あるのかな?って
それで来てみたくなったんです」

「青い雨・・・そうなんですね」

「でも全然青くないですよね?
お寺の襖絵みたいな白黒の景色だ」

「森宮様、そのスケッチブック
最後のページをご覧ください」

「え?」


僕は、言われるままにページを繰った


そこに描かれていたのは、
一面に咲く、真っ青な紫陽花の絵。


「これは、ご夫婦のお手紙ですよ」

「手紙?」

「それぞれ絵の裏に、
絵に合わせた歌が詠まれてます」

「あ・・・ホントだ!」

「奥様が絵を描かれると、
その裏にご主人様が、歌を詠まれて
まるで交換日記みたいに」

「はぁ〜、そりゃまた風流な。
平安時代みたいですね」

「なかなか良いお歌が出来なくて、
延長でお泊りの時もあったり」

「ははは、何やってんだか」


彼女も僕も笑いながら、
彼岸の住人になった二人に思いを馳せた。

「お荷物を置かれて落ち着かれましたら、
どうぞレストランへお越しください。
まだお食事には早いのですが、
お見せしたい物がございます」

「・・・わかりました」


そして、僕は案内されて、
レストランの一番奥の、
窓に面した席に座った。


「うわ・・・」


思わず絶句した。

大きなガラス窓一面が、
斜面に咲く紫陽花の青に染まり
視界を覆い尽くした。

ガラスに付いて流れる水滴が、
一滴一滴、紫陽花を映しており、
まるでその光景は・・・


「青い雨だ・・・」


僕はテーブルの上に、
あのスケッチブックを置いて開くと
最後のページ、紫陽花の絵を眺め、
そして窓の景色を眺めた。


「これか!お祖母ちゃんは、
この景色を見たいと、最後にそう
言ったんだな・・・」


そして、その絵の裏側に
祖父が愛用の万年筆で書いた
歌の文字を目で追った。


『硝子越し 君越しに見ゆ 
紫陽花の 青い雨降る 
てるてるの宿』



僕にはずっと、判らなかった。


無口で頑固で横柄な祖父が、
祖母の事を愛していたのかどうか。

でも今、
二人が愛した『てるてる荘』の
二人が座った席に着き、
二人が眺めた景色を眺めると、
見えて来たものがある。


青い雨降るガラス窓。

紫陽花をスケッチする祖母を
優しく見つめる祖父の視線は、
ガラスに映って祖母にも届く。

祖母が微笑む。
ガラスの中の祖父も微笑む。


きっと二人はそうやって、
二人だけの世界で繋がっていたのだ。

長い時間を共に生きた、
夫婦の幸福な時間がここにある。


もしいつか、
僕にも愛する人が現れたなたら、
一緒にこの景色を眺めよう。

そして、青い雨を二人で見ながら、
ささやかな幸福を分け合おう。


そう、在りし日の
祖父母のように。


山間にひっそりと佇む、
この静かな宿 『てるてる荘』で。


※※※ 了 ※※※



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