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真珠姫の夢

【シロクマ文芸部: 砂浜で】
※小牧幸助様主催のお題に寄せて


砂浜で、少女は流木に腰掛け、
その透き通るように白い素足を
時折そこまで延びてくる波に浸した。


空は日没直後の茜を残し、
夜の青が訪れる前の、
ラベンダー色とオレンジが
優しく混じり合う。


少女の細い銀の長髪が、
そんな空の色を映して
シャボン玉の表面に似た色彩に染まる。


刻々と暮れゆく空を、
少女は無言で見上げた。


静かな浜辺には、波の音だけが
繰り返し、繰り返しリズムを刻む。

薄い闇が世界を紫に染め始め、
簡素な白いワンピースを揺らして
少女はようやく立ち上がった。


あの頃、青年は少女の事を
『真珠姫』と呼んだ。


『僕の真珠姫』


そう呼ぶ青年の、優しくて少し切ない
笑顔を、少女はずっと記憶している。


苦しそうな顔や、悲しそうな顔。
そんな表情は、青年の希望により
記憶から抹消した。

だから、今の少女は青年の
笑顔の記憶だけを、何度も何度も
リピートさせていた。

まるで足元に寄せては返す
穏やかな波のように・・・


波打ち際を歩く少女の、小さな足跡。
それを波は、容赦なく消してゆく。

やがて少女はしゃがみ込むと、
夕闇の中で白く光る、貝殻を手に乗せた。


白い手のひらの上、象牙色の巻き貝の
生きた証が少女を見上げる。

少女はそっと、もう片方の手を
その上から重ね、目を閉じた。


どこからか、小さな音がした。

波の音以外、何も無かった黄昏に、
微かな笛を鳴らすような・・・


ガシャッ!!


突然、硬い物体が粉砕されたような
暴力的な音が響くと、少女はそっと、目を開く。

漆黒の瞳に光が灯り、
チカチカ星空のように点滅した。


少女が手を開く。

そこに、先ほどの巻き貝は無かった。
代わりに真っ白でまん丸な、
スモモほどの球体が乗っている。


また、少女はそれに手を被せ、
目を閉じてジッと動きを止めた。

先より少し大きくなった、
あの笛のような音がうねるように
波の音と重なる。

球体を包んだ手の中からは、
不思議な色彩の光が漏れて出て、
すっかり暗くなった浜辺をぼんやり照らす。

それはまるで、地上に出現した
オーロラのようだった。


それから、どれほどの時間が経過したのか?
身じろぎもしなかった少女は、
ようやく目を開き、唇も開いた。


「プログラム、終了しました」


そっと手を開く。

そこに現れたのは、先刻のスモモ大よりも
僅かに大きくなった真円形の・・・

特大サイズ、ピンク掛かった輝きの
美しい真珠玉。



その青年は、人類最高にして、
最後の天才と呼ばれていた。

その理由は、世界中で最高の頭脳と
閃きを持つ若き科学者であり、
そして、今後彼を上回る才能が現れる
可能性は、果てしなくゼロに近いからだ。


地球の全ての人類はその時代、
もはや未来を望めぬ状態にあった。

いつかどうにかしなければと、
誰もが憂いていた事態。

長い長い年月を掛け、 
どんどん微細に粉砕されながらも
決して分解される事無く、地球全土に
撒き散らされた、ある意味遅効性の毒。

それはかつて、
『マイクロプラスチック』と言う
名で呼ばれていた。

人の手が生み出した、便利で恐ろしい
石油化合物の成れの果てである。


人類はいつも、より良く暮らして行くために
あらゆる手を尽くし、新たな物を生み出した。

そしていつも、その行為が及ぼす
影響の深刻さに気付くのが遅過ぎた。

例えば、あの愚かな戦争により、
失われた広大な都市を取り戻し、
そして維持してゆくために、
日本では山々に、建材となる杉や檜を
延々と植林し続けた。

それがまさか、木々の成熟と共に
『花粉症』などという珍妙で
過酷な国民病を生むなど、
誰も気付き得なかった。


『マイクロプラスチック』

それは殆どの人が知らぬ間に、
海に、川に、空に、大気に
目に見えぬ微細粒となって溶け、
更に細かい粒子へと変化して、
やがて世界の全てを満たし、
あらゆる生きとし生ける者の
身体と精神を汚染してゆく・・・


そうして、いつしか殆どの生物が
緩やかな滅亡を遂げ続ける中で、
人類は最後まで足掻き、解決策を
模索したが果たせないまま、
汚染による障害によってとうとう
子孫を残す能力を失ってしまった。

それが判明した時、長い人類の歴史は
終焉を待つのみとなる。


青年は、その優れた頭脳と能力と、
神掛かった閃きを駆使しながら、
その短い生涯を研究に捧げた。


この地球全土から、
全てのプラスチックを回収し、
二度と散らばらぬ安定した物質へと
変換し、深海の底へ封印する。


その壮大な計画を成し遂げるには、
膨大な時間と労力が必要だったが、
残された人類はあまりにも数少なく、
高齢や脆弱化により、結果を見るのは
到底不可能だった。


よって、彼らはそれを人工知能が制御する
システムに任せるという選択をした。

この世界から人類と、既存の生命体が
消滅した後でも、粛々と、淡々と
延々と、黙々と、ただこの世から
マイクロプラスチックという汚染物質を
集め、取り込み、処理し、封印する。

そんな使命を負ったシステムを、
世界中に設置するのだ。


それが、人類が最後に課せられた
贖罪であり、責任であった。


青年は、遂にそのシステムを完成させ、
世界に残る科学者や技術者の手を借り
設置と稼働を成功させた。

その偉業を讃え、喜ぶ者も
ごく僅かとなっていたが、
青年は満足だった。


ただ、『人類』という〝カタチ〟が
永遠に失われる事が、哀しい。


人類は碌でもなく、愚かで自己中な
異端の生き物だったかも知れないが、
数多くの美しさ、喜び、幸福や愛など
素晴らしい物も生み出していたのだ。


彼は密かに考えて、システムの末端
である、環境監視と分析、解析を
司る端末に、人間の少女の姿を与えた。


それを無駄だと、馬鹿げていると
批判する者はもう、誰もない。


こうして生まれたシステムの端末が、
美しく儚げな少女の姿をした
『真珠姫』である。


彼女は暫く、青年の元で最終調整を行い、
その髪で大気中に含まれる
マイクロプラスチックの量を測定したり、
足の爪先から収集した水のサンプルで
汚染の程度の変化と、生命の再生を
調査する実験を行なった。

青年は彼女を、システム端末ではなく
『真珠姫』と名付けて人のように扱い、
慈しみと愛情を注いで、彼女に未来を託した。


『真珠姫、君は僕の夢だよ』


それが彼から彼女への、
最期の言葉としてメモリーされた。


少女は暗い海に膝まで浸かり、
満ちてきた波に、そっと真珠玉を放した。

真珠玉はゆらゆらと、波に揉まれながら
薄い輝きを放ち、やがて離岸流に乗り
急速に浜辺から離れて行った。


あの真珠玉は、最後のマイクロプラスチックを
その中に永遠に封じ込めている。

真珠とは、貝の身の中に入り込んだ異物を
貝自身が分泌する特殊な体液で包み込み、
『真珠層』と呼ばれる薄い層で
幾重にも覆い、無害化したもの。

人で言うなら、『カサブタ』に
近いのかも知れない。


その性質を利用して、真珠養殖の技術を
研究の末、開発したのが日本の真珠王、
御木本幸吉氏だ。


青年は、彼の伝記を愛読しており、
自分の手で完全なる真珠を、
今度は生物の命を借りず、
科学的技術のみを用いて作り出す。
それが、幼い頃から彼の夢だった。


奇しくもそれが、人類の悲願である
マイクロプラスチック浄化の
手段として果たせるとは、
流石の彼も予想しなかった。

実際の真珠とは、成分が違う強固な物
だが、見た目は真珠と変わらない。


彼が世を去ってから、
もう気の遠くなる程の時が過ぎた。


『真珠姫』と呼ばれた少女は、
青年から託された任務を、今全うした。


世界に充満していたプラスチックは
全て真珠玉の内部に吸着し、
何層もの無毒な真珠層で封印されて、
海流に運ばれ、深海の底で眠りに就く。


少女はやがて、システムを終了させると、
独立した稼働に切り替わり、
世界の海辺を放浪しながら、
永遠に環境の監視と分析を続ける。


それが、
青年から与えられた彼女の使命。

そして、彼女がこの世に存在する
たった一つの理由である。


「浄化プログラム、完了しました。
全システムを停止します。」


桜貝のような唇で、少女はそう報告した。

報告を聞く者は、誰も居ない。

それでも、そうするのが彼女の使命。


少女は、浄化された夜空に煌めく
無数の星々を見上げた。

美しいとか、悲しいとか、
そんな感傷は彼女には無い。

ただ、彼女はまた、メモリーに残る
青年の姿を再生する。
まるで、人が追憶の面影を見るように、
繰り返し、繰り返し、
まるで寄せる波のように。


『おはよう、僕の真珠姫。
君は今日も、最高に綺麗だね』


メモリーの中で、青年はそう言って
彼女の髪を撫で、寂しげに笑った。



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