月の実を穫りに
【シロクマ文芸部: 月の味】
※小牧幸助様主催のお題に寄せて
『月の味がしそうだ』
6才の私がそう思ったのは、
池のほとりに立つ、古い杏の木の実。
『アンズ』という名前を知ったのは、
メーテルリンクの『青い鳥』を
読んだ時の事だった。
その中で、アンズをジャムにしたり
パイを焼いたりと言った描写が
頭に残っていたのだ。
春には白い、桜に似た花を咲かせ、
池に花びらを降らせる様は
何時間でも見ていられる
夢のような美しさだった。
やがて花は実を結び、
少しずつ大きくなった。
そして、果実は秋の満月のような
オレンジ掛かった柔らかな黄色に
色付き、甘酸っぱい芳香で
静かな池のほとりを包んだ。
『食べてみたい!!』
強くそう思ったが、
それは6才の女子にはとても難しい。
元々は誰かが植えたのだろうが、
今は誰のものでもない木は
実を穫っても咎められはしない。
しかし、木は枝を何故か
池の上へと伸ばしていた。
他の木に邪魔されず
伸びる事が出来たからか?
黄色い実はその姿を水面に映し、
泳ぐフナや鯉がそれをかき混ぜた。
何としても、あの月色の実を
食べてみたくなった私は、
実を取る方法を模索した。
木に登って取るのは危険過ぎる。
折れて池に転落しては
生命に関わりそうだ。
幸い、池は農業用の小さなもので
さほど深くはなかった。
それでも落ちればどうなるか
分からない。
それはやはり、避けるべきだろう。
幼い私は、その頭の中で
稚拙な知識をフル稼働して
アンズの実を獲る方策を案じた。
と、一陣の風が吹き渡り、
水面を波立たせ、アンズの枝を揺する。
ポチャン・・・
軽い水音を立てて、熟れた実が
ひとつ水面に身を投じた。
「あっ!」
揺れて落ちる実は完熟の証。
手でもぎるよりも、確実に
良く熟れた実が手に入る。
これだ!
私は家に走り、
愛用の柄が伸縮する虫取り網を
掴んでまた池に戻った。
問題は、どう枝を揺らすか。
風を待ったのでは埒が明かないし、
揺らしてから落ちるまでの時間は
ぽぽ同時と言って良い。
私は考えて、得意の雲梯テクと
身の軽さを利用する事にした。
岸に近い枝を選び、ぶら下がって
少しずつ、先へと進む。
程良い所で止まり、
利き手で短パンのゴムに刺していた
虫取り網を取り、差し伸べた。
口の広い網なので、熟れた綺麗な
アンズの実が、2〜3個寄り添って
成っているのを狙うと、その真下に
セットした。
そして、片手でぶら下がったまま
足を振り、枝を揺する。
ザザザ
枝は大きく揺れて、
月の色に染まった実がふたつ、
枝を離れて網に入った。
「やった!!」
網に気を取られた分、
支えの手から注意が逸れた。
「わわっ?!」
手が滑った。
そのまま池へと落下するが、
岸に近いので深さは無い。
情けない音がして、水草の生い茂る
池の浅瀬に尻もちをついた。
「うわ〜、やっちゃったぁ」
泥と水草にまみれながら、
何だか可笑しくてケラケラと笑った。
自分は落ちても、網は掲げたままで
中の果実も守りきった。
岸に上がり、泥だらけの手を
水路の綺麗な水で洗い、
靴や短パンも軽く洗った。
家へ戻ると、祖母が目を丸くして
びしょ濡れの私を叱った。
「そんな格好で帰るのは、
やんちゃ坊主のやる事じゃ!」
そう怒りながら、井戸のホースで
ザーザー水を掛けられる。
井戸水は温度が低い。
私は鳥肌を立てながら、
またケラケラと笑った。
さて、着替えた私の学習机の上には、
お気に入りの皿に乗せた、
月色の実がふたつ。
私はニマニマ笑いながら、
その美しい色を眺めた。
祖母が梅干しを漬ける時と
似たような香りが部屋を満たす。
当時はスマホなど無かったので
写真を残せなかったのが、
今となっては口惜しい。
『よーし!食べよっと!』
ふくよかな実を持ち上げて、
思い切り齧った。
念願の瞬間!
その時、私は反射的に叫んだ。
「酸っぱーーーーーい!!」
月の実は、予想外の酸っぱさだった。
美しい色、柔らかな手触り。
間違いなく完熟しているようだが、
とてつもなく酸っぱかったのだ。
まだ、聞けば答えてくれる装置も
有りはしない世の中で、
6才児は身をもって体験することで
世界の謎を解くしかなかった。
よくよく考えれば、
チルチルとミチルが食べたのは
アンズのジャムと、アンズのパイ。
アンズそのままを食べる描写はない。
友人が美味しいと言ったのは、
アンズを干したドライフルーツ。
生のアンズでは無かった。
あのアンズが特に酸っぱいのか、
それともアンズは酸っぱいものなのか?
今ならAIが答えてくれようが、
私の中では
『生のアンズは酸っぱい』
それが答えで構わないと
半世紀後の今でも、そう思っている。
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