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ひとりぼっちの白梅と

【シロクマ文芸部: 祈ること】
※小牧幸助様主催のお題に寄せて


祈ること。

それは私にとって、
何かを叶えてもらおうという
一種打算的な行動ではない。


幼い頃からの経験上、
『祈り』によって何か事態が
好転する事はなかったので、
その行為が何らかの超常的な
チカラをもたらす事は無い、と
そう悟っている。


それでも、私は祈りを捧げる。


それは、住む世界を違えた肉親や、
意思の疎通は出来ないものの、
何かしら、『心』を持っていそうな
ものに対する精神的な対話である。


そして、ごく稀に
そういう『もの』からの
返信的な“気”を感じられる事もある。



子供の頃、田舎に越して来たばかりの
私はぶらぶらと、村所有の里山の裾を
ひとり散策していた。

父が幼い頃くらいには、まだ世の中に
『焚き木拾い』という習慣があり
炊事や風呂などに広く使われる
枯れ枝や薪を収集するための
村民共同使用の山が設けられていて、
住民たちがその周囲や山中を
自由に出入りできるのだった。

現在は薪を使う家も少ないが、
それでも野生の甘い柴栗を拾ったり
『シバハリ』という美味しい茸を
狩りに行ったりと、私も親しんだ
優しい山だ。




その山裾に、かつては恐らく
誰かの畑であったろう
少し平坦な場所を見つけた。

今は荒れ果て、野草しか見えないが、
うっすら畝の後みたいな凹凸が
足裏に感じられる。


その奥の一角に、梅の木があった。


引っ越しがバレンタイン頃なので、
まだ早春の日だったろう。

梅の木には白い花が咲き、
そこだけ冬枯れの里山から浮く感じで
ぼうっと光っているように見えた。


「いらっしゃい」

そう言われた気がした。

忘れられた畑の隅で、
ひっそりと咲いている梅の木が、
話しかけて来たような、
微笑んでいるような、

そんな不思議な感覚だった。


それから私は、何度となくそこを訪れ
季節を問わずに白梅の木と、
心で対話するようになった。

それは「祈り」とは少し違うのだろうが、
私はその行為を「祈り」と認識している。


受験の時も、前日に梅の木を訪ねて
「受験が上手く行くように」と
自らへのエールも兼ねた祈りを捧げ
まだ蕾の並ぶ枝を見上げた。

知った顔の無い試験会場で、
緊張の中、目を閉じて
あの梅の枝越しに見た空を思い出すと
不思議に落ち着き、集中出来た。

そのお陰で私は、その年の入学者全体の
二位という好成績で、希望校へ入学出来た。
(その後の成績は普通)

もちろんその結果も、
ちゃんと梅の木に報告し、共有した。


あの梅が、何か神がかった存在とは
思っていないのだが、
単なる樹木とも思っていない。

あの木は私にとって、どこか特別で
見守られているような親しみを
今も抱いている。


あの木の樹齢が何年か、
どのくらい寿命があるのかは判らないが、
少なくとも私より、ずっと長い時を
あの場所で過ごしているのは確かな事。

幼かった私も、今年の秋に還暦を迎える。

同じ年月を、梅の木も越えてきた。

人の生涯は短い。
最近特にそう思う。

願わくば、白梅の木よ。

いつまでもそこに居て、
私亡き後も、我が故郷の村を
見守っていて欲しい。


私はそんな風に、
今もあの梅の木に向け
『祈り』を捧げ続けている。


#祈ること
#シロクマ文芸部


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