切れ端から生まれた大ヒット!──ベビースターと八ッ橋アイスバーの知られざる誕生秘話 (元教授、定年退職861日目)
ベビースターラーメンはなぜ愛され続けるのか
小さい頃、母親が即席ラーメンを作ってくれると、空き袋に残った麺のかけらを兄弟で奪い合った思い出があります。きっと、ラーメンが出来上がるのを待ちきれなかったのと、ポリポリした食感が美味しかったのでしょう(味はほとんどついていませんでしたが)。そんな子どもたちの願いが通じたのか、しばらくすると駄菓子屋に「ベビーラーメン」が並ぶようになりました。10 円玉を握りしめて買いに走ったことは言うまでもありません。こちらの麺にはチキン味がついていて、さらに美味しかったのです。その後すっかり忘れていましたが、大人になって久しぶりにおつまみとして出され、懐かしく当時を思い出しました。その時の商品は、麺がバラバラではなく、10 本程度がまとまった「ベビースター『ドデカイ』ラーメン」でした。味は当時と同じですが、子どもの頃のように袋を逆さにして食べる必要がありません。「よく考えたな」と感心しながらいただいたことを覚えています。
『せやねん!』で知る、ベビースターの秘密
そんな「ベビースターラーメン」の特集を、MBS『せやねん!』で視聴しました。司会はお笑いコンビ・トミーズの雅さんです。以前 note で紹介した「千寿せんべい」の時と同じく、夫婦お笑いコンビのかつみ♥︎さゆりさんがリポートしていました。お二人は、三重県津市にある製造元「おやつカンパニー」のテーマパーク「おやつタウン」を訪れ、担当者から説明を受けていました。デジタルを融合したアトラクションも多く、周囲では子どもたちが楽しんでいました。(下写真もどうぞ)

フードロスを価値に変える企業の戦略: 副産物が本業を超える時
話を伺うと、同社はもともと即席麺の製麺業で、製造過程で発生する麺のかけらを廃棄するのは「もったいない」という社長の発想がきっかけだったそうです。当初、これを社員向けのおやつとして提供したところ好評で、1959 年に商品化され「ベビーラーメン」が誕生しました。その後、本業だった即席麺事業は停止し、副産物だったベビースターが事業の柱へと成長しました。売り上げは8年連続で増収し、2024 年には過去最高の 259 億円を記録したそうです。雅さんも「商品の一つ一つは廉価なのに、どれだけ売れてんねん」と驚いていました。また、ベビースターラーメンの認知・喫食経験率は 98%(同社調べ)に達し、国民的スナックとしての地位を確立しています。
経営陣によると、この成長は一商品に依存せず、多様な商品を開発し続けた結果だそうです。実際、「ベビースターうどん」「ベビースター焼きそば」、さらに沖縄そば風味や信州限定品など、70 種類にも及ぶご当地・季節限定フレーバーを展開し、顧客を飽きさせない工夫をしています。特に最近の「カリポテ」は、ベビースターの製造技術や不揃いにカットする技術をポテト生地に応用し、販売計画の5倍を達成するヒット商品になったそうです。

ベビースターの舞台裏
その後、かつみ♥︎さゆりさんは、同社の秘密を探るべく工場で製造工程を見せてもらいました。ベビースターは、麺を蒸し、独自の味付けを施し、フライヤーで揚げ、最後にカットして作られます。特に、50m にも及ぶ長い麺を最終工程でカットするのが独自の技術だそうです。また担当者によると、蒸した後の味付けが企業秘密とのことでしたが、さゆりさんの「お色気攻撃」にも負けず、最後まで教えてはくれませんでした。ちなみに、できたての麺は、普段食べるものより長めでした。袋詰めや運搬時に少しずつ割れ、私たちの手元に届く頃にちょうどよい長さになるよう計算されているそうです。
<追記1> 番組では、粉末スープを入れてお湯を注ぎ混ぜる「もんじゃ焼き風」や、ベビースターラーメンで味付けした炊き込みご飯も紹介されていました。
『ウラマヨ!』で知る、京都老舗の物語
ベビースターラーメン成功のきっかけは、製造過程で生じる麺の「かけら」を捨てずに利用したことでした。なるほどと思っていたところ、同じような発想で新商品を開発した老舗が、関西テレビ『ウラマヨ!』で紹介されていました。その会社は、京銘菓「聖護院八ッ橋」です。最近「八ッ橋」と聞くと、三角形の生地にあんこが詰まった生菓子を思い浮かべます。蒸した「生地そのままの生八ッ橋」は古くから存在していますが(私の好物です)、この「餡入り生八ッ橋」が誕生したのは 20 世紀中盤の昭和期という、実は比較的新しいイノベーションなのだそうです。(下写真もどうぞ)

<追記2> 八ッ橋は歴史的には、蒸した米粉生地を薄く伸ばして焼いた「焼き八ッ橋」が原型です。これは近世箏曲の開祖とされる音楽家・八橋検校(1614〜1685)を偲んだものだそうです。「餡入り生八ッ橋」の原点は、昭和 35 年の表千家の茶席に遡ります。この時、生八ッ橋で餡を包んだ「神酒餅」という和菓子が提供され、その成功を受けて1967 年に「聖(ひじり)」が商品化されました。さらに 1970 年の大阪万国博覧会を契機に、それまで堅焼きが中心だった八ッ橋市場で、生八ッ橋の比率が急上昇しました。
「聖護院八ッ橋」全自動工場、そして生八ッ橋の切れ端が絶品アイスに!
お笑いコンビ・ブラックマヨネーズが司会の『ウラマヨ!』では、聖護院八ッ橋総本店の社長が出演し、その製造工程を見せてくれました。生八ッ橋は米粉を使った、もっちりとしたニッキ風味の生地です。驚いたのは、香り付けに使うニッキ(シナモン)がごく少量だったことです(生地 140kg に対して、ニッキはわずか 40cc)。本店の工場では1日に 20 万個もの生八ッ橋を製造しており、全自動で流れていく様子は見応えがありました。私はこういう光景が好きなので、一日中でも見ていられそうな現場でした。ただ、この製造過程ではどうしても切れ端が残ります。社長によると、以前は廃棄していましたが、美味しい部分なので一手間加えて価値ある商品にしようと考えたそうです。そして誕生したのが、京都のフルーツパーラー「クリケット」と共同開発した「8アイスバー(生八ッ橋を使ったアイス)」でした。フードロス削減と商品価値向上を両立させた商品です。(タイトル写真、下写真もどうぞ:注2)


もちもち、シャキシャキ、とろ~り!「八ッ橋アイスバー」の誘惑
番組では、生八ッ橋の切れ端を使ったアイスクリームを皆で試食していました。上写真の白い部分は生八ッ橋を使ったアイスクリーム、ピンクの部分が「クリケット」のリンゴ、その横の少し太めの白い部分が生八ッ橋そのものです。試食した女性ゲストによると、「もちもち」「シャキシャキ」「リンゴのとろみ」という3種類の食感が楽しめ、とても美味しかったそうです。
出演した社長は先代の娘で、幼少期、工場でできたての温かい生八ッ橋を食べるのが大好きだったそうです(うらやましい限りですね)。また、少したった生八ッ橋を美味しく食べるコツとして、ホットプレートなどで軽く焼き、焦げ目をつけるのがお薦めとのことでした。これはぜひ、今度家で試してみようと思います。それでは、また。
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注1:MBS『せやねん!』の特集「ベビースターラーメン」より
注2:関西テレビ『ウラマヨ!』の特集「聖護院八ッ橋のアイスクリーム」より
