岡田准一の映画をすべて観たら、どれぐらい岡田准一に近づけるだろうか。⑥『来る』から『ヘルドッグス』まで
㉖『来る』(2018年)
監督:中島哲也 共演:松たか子、小松菜奈、妻夫木聡、黒木華、青木崇高
師範主演の悪霊退治の映画と聞いて、めちゃくちゃ強い陰陽師に扮した師範が、ガンガン悪霊をなぎ倒していく話だと思っていた。だが残念ながら、本作の師範は弱かった。ビジュアルは『ヘルドッグス』の時のように悪そうにやさぐれているが、職業はフリーライターである。ケンカは強そうだが、悪霊に勝てるわけではない。腸腰筋も弱そうだ。
強いのは松たか子である。超一流の霊媒師であり、警視庁のお偉方からもVIP待遇である。フィジカルも普通に強く、悪霊に怯える師範を一撃で殴り倒す。その際の彼女のハンドスピードと、漫画のように吹っ飛ぶ師範の倒れ方が素晴らしい。
彼女の一声で日本中の霊媒師が集結するクライマックスの展開も、大変に熱い。仏教、神道、修験道など、宗派を超越した勢ぞろいぶりに、彼女の人脈の強さを見せつけられる。純粋に怖いホラーを想像していたので、ここまで心が燃え上がるとは思っていなかった。
ちなみに、澤村伊智による原作小説『ぼぎわんが、来る』における野崎は、こんな感じだ。
野崎は小ぎれいな格好をした、線の細い男だった。年齢は三十二歳だそうだが、服装と丁寧に整えた黒い髪、そして瑞々しい肌のせいか、ずっと若く見えた。
他の登場人物は比較的原作に近いキャラなのだが、野崎だけ真逆である。師範に寄せたか。
㉗『ザ・ファブル』(2019年)
監督:江口カン 共演:木村文乃、山本美月、柳楽優弥、佐藤浩市、安田顕
いよいよ、師範の戦闘力全開のこのシリーズまでたどり着いた。
都市伝説になるぐらいの伝説の殺し屋「ファブル」が、組織から、1年間誰も殺さずに普通の人間として生活することを厳命される。
とは言え、ボス(佐藤浩市)がファブル改め佐藤明(仮名、師範)を預けたのは、ゴリゴリの武闘派暴力団である。この時点で、明に普通の生活をさせる気があるのか疑わしい。このいつでもトラブルに巻き込まれそうなシチュエーションでなお、人を殺さずに切り抜けられるか。ボスは、明を試しているのかもしれない。
序盤、「プロの殺し屋」から「プロの普通」になった明は、チンピラ2人組に絡まれる。明は一目見ただけで、2人の戦闘力を見極め、初弾の攻撃を予測する。最初に攻撃してきた相手は、おそらくキックボクサー。こちらを舐めているので、いきなりハイキックを飛ばしてくる。そのハイをスリッピングアウェイ(※)で威力を逃がしながらも、喰らったふりをする。
次の相手は、おそらく素人。大振りのパンチを振ってくる。それを見切って、額で受ける。頭蓋骨は硬くぶ厚い。まともに殴ると、殴った方がケガをする。素人は拳の握りが甘いので、彼は小指と薬指を骨折。
筆者も、同じパターンで骨折したことがある。一応筆者は素人ではないので、ちゃんと握っていたし、拳も手首も鍛えていた。だが、鍛えた拳と手首に挟まれて逃げ場を失った衝撃で、手の甲の骨が折れた。ちなみに人生で一番痛かった。
クライマックスの大立ち回りは、『ジョン・ウィック』並みのアクションのつるべ打ちだ。ただ、倫理観がマヒするぐらいに殺しまくるジョン・ウィックと違い、こちらは殺してはいけない。そのために、無駄にピンチに陥ったりもする。ひとつ残念なのは、明はずっと目出し帽を被って戦っているので、師範の顔が見えないことだ。正体を隠す必要があるので仕方ないのだが、そこはご都合主義でも良かったのではないか。
また、トラブルの元凶となる凶悪ヤクザを演じた柳楽優弥が強く印象に残る。関西弁の役なのだが、その口調、チョケ方、笑い声から笑顔に至るまで、イヤ~な感じの関西人を実に上手く演じている。筆者は生まれも育ちも関西だが、このタイプの関西人が非常に苦手だ。別の地域で「関西人嫌い」と言われてしまうのも、悔しいが納得してしまう。一瞬、「柳楽優弥って関西出身やったっけ?」と錯覚してしまった(東京出身)。
もしかしたら大阪出身の師範が、アクションだけではなく、「イヤな感じの関西人指導」も行ったのかもしれない。
※打撃の進行方向に顔をそむけて受け流すことで、衝撃を逃がす高等技術。ボクシング元WBC世界スーパーフライ級王者・川嶋郭志が得意とした。天才の所業。
㉘『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』(2021年)
監督:江口カン 共演:堤真一、平手友梨奈、木村文乃、安藤政信
いよいよ『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』である。筆者がライターになるキッカケとなった作品である。序盤における立体駐車場でのカーチェイスや、マンションの工事用足場を崩しながらのバトルなど、アクションの派手さは前作以上だ。しかし、足場バトルではどんどん刺客が落ちていくが、何人かは死んでそうである。明は殺しを禁じられているはずだが、これは大丈夫なのか?
このマンション・バトルでは、世界的な柔術家・橋本知之も俳優として出演し、師範と戦っている。この橋本選手は、師範の柔術の師匠でもある。普通の俳優なら、悪者は「悪者です!」という顔を作りがちだが、この橋本選手は俳優ではない。無表情の自然体で殺しにくる怖さは、職業俳優には出せない味である。師範との戦いも、デラヒーバからベリンボロ、そのままバックキープと、まんま実力者同士の柔術の試合のようである。
個人的には、マンション・バトルの最中に寝たきり老人の布団をかけ直してあげたり、たんぽぽの花を踏まないよう注意しながら着地するシーンが好きだ。無感動に命を奪い続けてきた殺し屋が、「困っている人は助ける。小さな命も大切にする。これが普通」という感覚に変化していく様を観るのが、本シリーズの楽しみでもある。
早く3作目を……!!
㉙『燃えよ剣』(2021年)
監督:原田眞人 共演:柴咲コウ、鈴木亮平、山田涼介、伊藤英明、金田哲
『関ヶ原』(2017年)に引き続き、司馬遼太郎の名作に、原田眞人監督と師範が挑む。司馬遼太郎はありとあらゆる歴史上の人物を描いているが、特に面白いのは歴史上の敗者を描いたときだ。石田三成(師範)にしても土方歳三(師範)にしても、変わっていく時勢に背を向け、あくまで自らの信じる「義」や「美」のために戦った。
石田三成は関ヶ原の合戦前、「これは正義と不義の戦い。負けるわけにはいかん」と言った。土方歳三は、「男の一生は美しさをつくるためのものだ」と言った。そして本作のキャッチコピーは、「時代を追うな。夢を追え。」だ。時代の流れに迎合せず、自らの信ずる「夢」に向かって最期まで戦ったなら、負けて死んでも美しさは残る。師範は、そんな男たちの役が、よく似合う。
本作序盤の土方は、背を丸めて小股でチョコチョコ歩く。盟友・近藤勇(鈴木亮平)にも、「田舎臭ぇからやめろ」と忠告を受けている。一見カッコ悪い歩き方なのだが、会津藩の侍には「猫のような足運びに工夫が見られます」と見抜かれている。
土方のあの歩き方は、足払いを警戒しているのではないか。土方が修行した天然理心流は、剣術だけに収まらず、柔術、居合術、棒術なども含む総合武術だ。若き土方が道場破りを敢行した時の立ち合いでは、鍔迫り合いの合間に前蹴りや足払いを使っている。背筋を伸ばして大股で歩を詰める相手には、足払いを仕掛けやすい。本人が得意だからこそ、逆に掛かりにくい歩方や姿勢を、自然と取っているのではないか。
司馬遼太郎が幕末を描いたもう一つの名作に、『竜馬がゆく』がある。驚くべきことに、この『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』は、まったく同時期に連載されている。佐幕派と倒幕派、完全に敵同士の双方の英雄の生涯を、同時に描いていたことになる。両作品において、土方歳三と坂本竜馬は、(おそらく意図的に)相手側の作品にはほぼ登場しない。だが、この映画において、さすがに土方と竜馬は対面しないが、代わりに土方と岡田以蔵(村上虹郎)を対決させている。
この土佐藩の”人斬り”以蔵も、『竜馬がゆく』においては活躍するが、『燃えよ剣』には一切出てこない。これは原田監督のサービスだと思う。史実上で土方と以蔵が対決したかはわからないが、これは、幕末ファンや司馬遼太郎ファンにはたまらない展開である。
元々烏合の衆だった新選組は、やたらと仲間割れをする。その度に鬼の副長となった土方は、冷酷に処断を下す。それは、新選組結成以前の試衛館時代の仲間でも例外ではない。
だが、脱走した山南敬助(安井順平)の追手には、沖田総司(山田涼介)を指名している。映画では詳しく描かれていないが、原作では、沖田が山南を兄のように慕っている描写がある。だからこそ、沖田は「逃がすかもしれませんよ」と答えている。土方も、沖田がわざと逃がしたのならそれでもいいと思ったのではないか。
新選組を抜け、対抗勢力・御陵衛士に加わった藤堂平助(金田哲)と土方の戦いでは、藤堂の肘を立ち関節で折った土方は、トドメを刺さずに背を向けて立ち去ろうとする。それでも藤堂が向かってきたから斬り捨てたが、本当はそのまま逃げてほしかったのではないか。だから背を向けたのだ。
新選組結成前、道場破り絡みの遺恨で土方を襲った刺客たちに対し、土方をかばって戦ったのは、沖田と藤堂だった。伊東甲子太郎(吉原光夫)に洗脳されたように土方らの敵になってしまった藤堂だが、元はまぎれもなく仲間だったのだ。
劇場用パンフによると原田監督は、次は司馬遼太郎原作の忍者ものを、師範主演で取る予定らしい。司馬遼太郎の忍者もの……あれだろうか。それとも別のあれだろうか。忍者ものなら、またもや師範のアクション全開だろう。楽しみである。
㉚『ヘルドッグス』(2022年)
監督:原田眞人 共演:坂口健太郎、MIYAVI、北村一輝、金田哲、吉原光夫
ブロマンスものが大好きだ。特に本作は、ブロマンスが三角関係どころか四角、五画関係ぐらいに複雑に絡み合っている。
まずは本命である兼高昭吾(師範)と室岡秀喜(坂口健太郎)の関係だ。この後、人を殺すというときに、まるでじゃれ合うかのように寝技の練習に励む。その様が実に楽しそうで、恋人同士にも見える。
兼高が潜入捜査官であることに気づいた後、兼高の恋人的な女性で同じく潜入捜査官だった恵美裏(松岡茉優)を人質に取った室岡は叫ぶ。「俺とこの女とどっちが大事なんだよ!」
室岡にも、杏南(木竜麻生)という恋人的な相手がいる。従って、兼高も室岡もれっきとした異性愛者なのだが、強すぎるブロマンスの感情は、恋愛すら超越してしまう。怒られるかもしれないが、女性の存在自体邪魔だと感じてしまう。
ラストに、2人の出会いのシーンを見せられるのも悲しい。兼高が室岡にケンカを売ったわけで、本来なら最悪の出会いだ。だが、首を絞めながら「楽しい?」と聞いた兼高に、室岡は首を絞められながら「楽しい!」と答える。兼高は潜入捜査のきっかけとして近づいたわけだが、室岡にとっては一目惚れだったのかもしれない。
この出会いのシーンをラストに持ってくる演出は、ブロマンス的なノワール作品ではよく見られる手法だ。原作者の深町秋生は韓国ノワール『新しき世界』(2013年)を、監督の原田眞人も『ゴッドファーザー PARTⅡ』(1974年)を参考にしたと語っている。特に『新しき世界』のラストは泣ける。
この2人のブロマンス関係に割り込んでくるのが三神(金田哲)だ。もともと室岡は、三神の弟分的な立場だった。だが兼高が入ってきてから、室岡は兼高とべったりになってしまう。そして、兼高と三神の仲が悪いため、室岡も三神と険悪になっていく。
三神が先に兼高の正体に気づくのだが、それを信じたくない室岡は、三神を殺してしまう。殺される直前の三神の言葉、「兼高が入るまで、俺たち上手くやってたじゃねーかよ!」が、大変悲しく響く。ブロマンスがこじれると、かくもややこしい話になってしまう。そんな三神に室岡は”死の接吻”(イタリア・マフィアの殺す前の儀式。ディープキス)を施し、らせん階段から突き落とす。
こう見てくると、兼高と潜入先暴力団トップ・十朱(MIYAVI)の関係が、一番こじれやねじれのない、真っ直ぐなブロマンスだったようにも思う。ある理由から兼高に強いシンパシーを抱いている十朱だが、やはり最後は兼高と殺し合う。お互い真っ正面から弾がなくなるまで銃で打ち合うが、お互いに防弾チョッキを着た胴体しか狙わない。お互いに避ける気がないので、頭を狙えば確実に殺せるが、どちらも頭は撃たない。そんな殺し方はしたくないのだろう。最後は、兼高がスピニング・チョークで首を折って殺す。この技は極まったときにお互いの顔が密着するぐらい近づくので、キスをしているようにも見えた。
この十朱は、興奮して洋酒の瓶を蹴り割った後も、自分で片付けをする。子分にやらせればいいのに。その姿が実にかわいい。部下が死んだときは涙を流す。その部下の死は自分のせいでもあるので、別の部下に命じて自らに鉄拳制裁を加えさせる。見た目もヤクザらしくなくスマートでインテリで、魅力的なトップである。
はっきり言って酒向芳ら警察側よりも、室岡、三神、そして十朱らヤクザ側の方がはるかに魅力的である。兼高、このまま警察裏切ってヤクザ側になっちゃえよ。あの人物のように。そんなことも思いながら観ていた。
本作は、もちろん師範のアクションも素晴らしい。そのことについては、以前仕事で書いた。本作のもうひとつの重要な要素である、ブロマンスについても触れてみたかったのだ。
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