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岡田准一の映画をすべて観たら、どれぐらい岡田准一に近づけるだろうか。④『天地明察』から『図書館戦争 THE LAST MISSION』まで


⑯『天地明察』(2012年)

監督:滝田洋二郎 共演:宮崎あおい、中井貴一、笹野高史、岸部一徳

世の常識をひっくり返そうと企む人々は、なんてカッコいいんだろうと思う。いや、どうやら筆者の中にも母性本能的なものがわずかばかりあるようで、本心では「なんてかわいいんだろう」と思っている。

主人公である江戸時代の天文暦学者・安井算哲(師範)はもとより、北極出地(日本全国の北極星の位置の計測)の上役である建部伝内(笹野高史)と伊藤重孝(岸部一徳)が、あまりにもかわいい。冲方丁の原作小説には、2人のことがこう書かれている。

しわくちゃの顔をしただけで実はまったく歳を取っていない二人の少年が目の前にいるかのように錯覚され、春海は、なぜかぶるっと身が震えた。

映画では算哲の晩年は描かれないが、きっとこの2人のようなかわいい老人になったのだろう。キラキラした顔で絵馬の設問を解いていた頃のように、おそらく死ぬまで好奇心に突き動かされて生きたのだろう。

映画では算哲の妻となるえん(宮崎あおい)は、一度他家に嫁いだが離縁され、後に算哲と結ばれる。離縁の理由は明かされていない。算哲にとっては、えんが最初の妻として描かれている。だが原作では、お互いに意識し合いながらも、お互いに家の事情で他の相手と結婚する。そしてお互いに相手を愛し、良い夫婦となるのだが、お互いに相手を病気で失う。

再会した2人が晴れて(やっと)結婚する際に算哲からえんに、そして、算哲が自らが唱える”大和暦”に基づく日蝕の予報が外れた場合は腹を切ると言った際にはえんから算哲に、「私より先に死なないでほしい」と伝える。

この言葉は、原作通り共に愛する人と死別した経験を経てからの方が、より重く切実な言葉として響いたと思う。映画には「尺」というものがあるため、長尺の原作のエピソードをすべて詰め込むことは難しい。本作がせめて3時間あれば。ちなみに本作には関係ないが、話題の『国宝』は6時間は欲しかった。

⑰『図書館戦争』(2013年)

監督:佐藤信介 共演:榮倉奈々、橋本じゅん、石坂浩二、田中圭

いつの時代も、一部の偉い人たちにとって都合の悪い主義や思想は、排斥される。そんな時、真っ先に取り上げられるものは、「本」だ。本を焼く国は、いずれ人を焼く。

放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』がめっぽう面白い。今(7月12日現在)、蔦屋重三郎(横浜流星)は吉原から日本橋に進出し、本屋として上り調子だ。だが、もうすぐ良き理解者でもあった老中・田沼意次(渡辺謙)は失脚し、松平定信(井上裕貴)の時代が来る。清濁併せ吞むタイプの意次とは違い、定信は頭カチカチの正論モラハラ・タイプだ。寛政の改革を断行し、言論統制、出版統制を始める。蔦重ももちろん大ダメージを被るし、みんな大好きなあの戯作者に、悲劇が訪れる。

本作『図書館戦争』の舞台は、公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律「メディア良化法」が施工されている、架空の日本である。『べらぼう』の時代から何百年経ってもなお、日本の偉い人たちは、庶民の自由な思想を抑えつけているようだ。武力による強引な検閲を行う良化特務機関から本の自由を守るために戦う、図書特殊部隊(ライブラリー・タスクフォース)の活躍を描く。

筆者にとって、師範の主演作でもっとも好きな作品のひとつだ。本を守るということは、思想や表現だけではなく、人間の尊厳を守るということだ。そして、図書隊はいつでも「守るために戦う」。先制攻撃は許されていない。良化隊の攻撃を受けて初めて、反撃を許される。命がけの戦いにおいて、常に不利を承知で専守防衛に徹する。

本作は、有川浩(現・有川ひろ)による原作小説が素晴らしく面白い。そして「全員アテ書きか!?」と思うほどに、主要キャストがあまりにも小説のイメージ通りなのである。ヒロイン・笠原郁を演じる榮倉奈々も、郁の同期・手塚を演じる福士蒼汰も、郁の親友・柴崎を演じる栗山千明も、先輩・小牧を演じる田中圭も、隊長・玄田を演じる橋本じゅんも。そして、主人公・堂上篤は、師範以外に考えられない。ヒロインとの身長差もちょうどいい(ヒロインの方が長身)。この作品の撮影時期に、師範と榮倉奈々が、ちょうど役柄にピッタリの年齢であったことに感謝する。

本作のアクションは、堂上が柔道の有段者設定のため、柔道技が多い。技の解説に入る前に、まずは師範の柔道着姿に注目したい。柔道でも空手でもそうなのだが、道着というものは、着慣れていないとまったく似合わない。素人が初めて道着を着てウソの黒帯を締めても、見る人が見れば一発でわかる。師範は、「子供の頃から柔道をやっていて現在四段」ぐらいの、ゴリゴリの柔道家に見える。そして、背の高い郁は奥襟を取る大外刈りが、背の低い堂上は相手の懐に入り込む背負いが得意だという点も、ポイントが高い。

クライマックスの過激派たちとの立ち回りも、大変見ごたえがある。相手が一回転するようなキレキレの支え釣り込み足から、立ち上がったところにオーバーヘッドキック。実戦で自らも転倒するような蹴り技は危険だが、もし外して転倒しても、その際は寝技に引き込めばいいという自信があるのだろう。別作品だが、『SP』シリーズでも寝技で極める展開が多かった。

また、倒れている敵の上に別の敵を大腰で投げ落とすという攻撃には、目から鱗が落ちた。本編序盤で、堂上が郁に「いつまでもスポーツ気分なら辞めちまえ!」と𠮟責する場面がある。複数人を相手取っている時に、敵の体自体を武器にするなんて発想は、それこそスポーツ気分では絶対に出てこない。

久しぶりに観たが、面白すぎてちょっと泣いた。

⑱『永遠の0』(2013年)

監督:山崎貴 共演:井上真央、染谷将太、田中泯、三浦春馬、夏八木勲

2001年、ニューヨークのワールドトレードセンタービルに飛行機が突っ込んだ。その年、筆者はある空手の大会に出場していた。その大会は、来賓席にカタギではなさそうな方々が多く座っておられることで有名だった。開会式において、その中でも一番の”偉いさん”による来賓挨拶が始まった。

「世界に冠たる日本武道の名誉を」とか、「君たちこそ現代に蘇ったサムライである」とか、仰々しいお話を聞きながら、とりあえず早くアップがしたいなと思っていた。偉いさんは、先日の同時多発テロについてのお話を始めた。てっきり「あんなことを許してはならない!」とでも、言われるのかと思っていた。やがて偉いさんは、ひときわ大きな声で、「君たちもあのような特攻精神をもって戦ってもらいたい!!」と言って、挨拶の締めとした。

心の中がざわざわして、胸の内がもやもやして、なにか言い知れない感情になったことを覚えている。ただその時は、その感情をうまく言語化できず、よくわからない不快感を抱いたまま、試合に臨んだ。

それから10年以上経ち、劇場で本作を観た。特攻隊で死んだ祖父のことを調べている青年・健太郎(三浦春馬)は、友人の間違った見解について、怒りを露わにする。特攻隊と同時多発テロを同一視されて。特攻隊を、「洗脳された狂信的愛国者によるテロリスト」呼ばわりされて。

そのシーンを観て、自分の中の10年越しのもやもやの意味がわかった。筆者が感じた不快感は、”怒り”の感情だったことに気づいた。普段「憂国の士」を気取っているような人が、特攻隊とテロリストを同一視したことに腹が立ったのだと、理解した。

特攻などという作戦とも言えない作戦を最初に考えた人も、それに賛同した人たちも、地獄の業火で8000年焼かれればいい。「自分も後から行く」とか言って結局行かなかった上官は、閻魔さまに舌を抜かれればいい。ただ、自らの犠牲が、愛する人や家族を救うのだと信じて死んでいった特攻隊を、テロリスト呼ばわりすることは許せない。

健太郎の祖父・宮部久蔵(師範)は、太平洋戦争時、超一流の戦闘機乗りでありながら、誰よりも命を大事にする男だった。お国のために華々しく死ぬことが、名誉とされた時代にも関わらずだ。宮部は、妻・松乃(井上真央)に約束していた。「必ず生きて帰ってきます。たとえ腕が無くなっても、足が無くなっても……たとえ死んでも、それでも僕は戻ってきます。生まれ変わってでも、必ず君の元に戻ってきます」と。

それなのに、宮部は特攻で死ぬ。だが、宮部によって生かされた男たちが、宮部の”生まれ変わり”となって、松乃とその娘・清子を守る。松乃と再婚することとなる大石賢一郎を演じる染谷将太が、素晴らしい。この人が演じるひたむきな人物は、なんでこんなにいいんだろうか。

大戦時、宮部を一方的にライバル視し、戦後ヤクザとなった景浦介山(田中泯)。「俺は宮部を憎んでいた」と言いながらも、長い話が終わったあと、健太郎を抱きしめる。「俺は若い男が好きでな」と言いながら。死んだ時の宮部と健太郎は、同じ26歳だ。景浦の目には、健太郎が宮部に見えたのだろう。筆者はこのシーンが好き過ぎて、このシーンだけでも全人類に観てほしい。そして田中泯は、なんてカッコいい爺さんなんだろうか。

でも、これを言ってはこの物語自体が生まれないが、宮部久蔵にはなんとしてでも生きていてほしかった。

⑲『蜩ノ記』(2014年)

監督:小泉堯史 共演:役所広司、堀北真希、原田美枝子、青木崇高

本作の監督・小泉堯史は、晩年の黒澤明の助監督を務めていた人物だ。監督としてのデビュー作は、師・黒澤明の遺稿を映画化した『雨あがる』(2000年)である。「まるで黒澤明が撮ったみたいだ!」との声もあったようだ。発言者は褒めたつもりだろうが、1人の独立した映画監督に対して、それは褒め言葉ではない。この『雨あがる』を観た時、筆者は「黒澤明の呪縛」のようなものを感じた。55歳にして本編デビューをした、この決して若くない映画監督は、師の呪縛から逃れられないのではないかという怖さを感じた。

小泉監督の時代劇作品2作目となる『蜩ノ記』を観た時、そんな心配は余計なお世話だったことを思い知る。自身が脚本も書いた本作は、原作者・葉室麟の描く「日本人の美しさ」に溢れている。と同時に、これはまぎれもない「小泉堯史の映画」だ。

とは言え、「黒澤明のエッセンス」も残っている。黒澤明の作品には、しばしば「頭固くてクソ真面目で融通の利かない若者が、”人生の達人”的な先達に出会い、本人も人間的に成長していく」という物語が描かれる。名作『椿三十郎』(1962年)や『赤ひげ』(1965年)がそれに当たる。これらの作品における三船敏郎(先達)と加山雄三(若者)の関係性が、本作『蜩ノ記』における役所広司と師範の関係性によく似ている。

若侍・檀野正三郎(師範)は、僻村に幽閉されている元郡奉行・戸田秋谷(役所広司)の監視を命じられる。秋谷は、藩主の側室との不義密通の罪で失脚し、10年かけて家譜を編纂した後、切腹することとなっている。庄三郎は、誠実な秋谷とその家族に接するうちに、秋谷に敬愛の念を抱くようになる。庄三郎は秋谷の無実を証明するため、かつての事件を調べるようになる。

庄三郎が秋谷の下に遣わされた時、約束の切腹まではあと3年。秋谷の10歳の息子・郁太郎(吉田晴登)は、その時初めて父の3年後の切腹を知る。郁太郎のやり場のない怒りと悲しみを、庄三郎は相撲という形で受け止める。この相撲が、非力な者とのスパーリングとしては理想的である。

成人男子が女性や子供や成人でも非力な者とスパーリングする際、腕力で戦ってしまっては勝負にならないし、双方どちらにとってもいい練習にならない。だから腕力で勝る方は、極力腕力は使わず「技術のみ」で戦う。

庄三郎は何度も郁太郎を投げるが、その投げはすべて力づくではなく、体さばきで転がしている。やがて、郁太郎が体落としで庄三郎を綺麗に投げる。これは決して、わざと投げられてあげたわけではない。郁太郎の内股をすかされてからの体落としのタイミングが、素晴らしかったからだ。体格差を考えれば、踏ん張って耐えることはできただろう。だが、このスパーリングは「技術のみ」で戦っている。技術でしてやられたなら、そこは投げられるところだ。

また、庄三郎が山に入って剣の素振りをするシーンがある。その際に「エイッ!」と気合いを入れるのだが、その気合いの発声が実に美しい。実は、現実に武道を嗜んでいる人間の中にも、気合いの美しさにこだわる人間とこだわらない人間がいる。こだわる人間は、腹式呼吸を意識して、よく通る発声を心掛ける。その際の腹式呼吸も、鍛錬の一環と捉えている。

一方こだわらない人間は、「デカい声出しゃいいんでしょ」的な蛮声になる。単純に聞き苦しいし、美しくない。一応筆者も、美しい気合いを心掛けてはいる。どう聞こえているかはわからないが。空手を始めた10代の頃から、筆者が憧れた強い先達は、みな気合いが美しかった。今は師範もそのひとりだ。(※)

※例外として、薩摩示現流のように”猿叫”と呼ばれる絶叫のような気合いを発することで、殺し合いの際のリミッターを外すような流儀もある。『ゴールデンカムイ』の鯉登少尉が「キエエエエエエエッ!!」と叫んでいるあれである。

⑳『図書館戦争 THE LAST MISSION』(2015年)

監督:佐藤信介 共演:榮倉奈々、松坂桃李、石坂浩二、橋本じゅん

歪んだ正義ほど、醜悪なものはない。自らを完璧な正義だと思っている人間は、「悪」と断定した相手にはどこまでも残酷になれる。本作で描かれるメディア良化法を振りかざす人間、そしてその法に基づき、武力で「悪」を叩く良化特務機関が、その歪んだ正義の象徴だ。図書館への攻撃も、「正義の鉄槌」ぐらいに思っているのだろう。

本作は、良化特務機関を戦前戦中の特高警察のように、徹底的に醜悪に描いている。原作者の有川ひろも、こう書いている。

良化委員会側の言い分が書かれていないことを指摘するご意見を今までにいくつか頂きましたが、これは敢えて書いていません。その理由もここでは述べません。

図書館戦争シリーズ④『図書館革命』単行本版あとがきより

良化隊側に一切の人間らしさを与えず、一切の感情移入を許さない、「風紀取り締まりロボット」のように描いている。そのことにより、図書隊側のヒロイックさが際立っている。筆者自身も、物心ついた頃から本を読み続け、本に救われ続けてきた人間だ。その本が焼かれる様は正視に耐えないし、命がけで本を守る図書隊の姿には、涙が出る。

図書隊を志す人間も、もちろん本が好きなのだろう。何気ないシーンだが、師範演じる堂上教官の本の扱いが、ものすごく丁寧だ。本棚に戻す時、ページをめくる時、本を閉じる時。宝物かのように優しく扱う。常に眉間にしわを寄せた武闘派教官が、本に対してはこれだけ細やかであることのギャップが、なんかもうずるい。

敵の銃撃を受け、動けなくなった堂上に郁はキスをする。そして、「生きててください! 戻ったら好きって言いますから!」と言い置き、任務遂行に走る。いつまでも素直になれない2人が、初めてキスをするこのシーンが、あまりにも美しい。『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年)のラストシーンに加えてほしいぐらいに美しい。

映画では、2人がやっと初めてデートをすることを匂わせて終わる。このもどかしさもいいのだが、原作ではそれ以降の2人についてもキッチリ描かれている。本作が好きなら、ぜひ読んでほしい全6巻。


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