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夜味を何度も


ふと気が付くと、右肩をなでる癖がついていた。
パソコンのディスプレイを凝視して資料を読み込んでいる時、電車のつり革につかまって車窓を見ている時、なぜか左手が右肩にあるのだった。感覚を研ぎ澄ますと、右肩にほんの少しの違和感があった。ピリリという静電気のような痺れに似た信号が、右肩から感じられた。

「ああ、多分、誰か死んだんだな」

すとんとその考えは降りてきて、私はスッと納得した。
それからはずっと、誰が死んだのか考えた。私に何か言いたいことがあるのかな?探して見つけて欲しいのかな?不思議と怖くなくて、「何か用?」くらいの気持ちだった。

右肩をなでる癖は、半年ほど続いた。近しい人の死は、当然、何らかの方法で耳に届くはずで、そんなにも情報が入らないということは疎遠になった過去の人なのだ、そう思った。だから放置していた。でも、半年たったら静電気のようなピリピリが、雷のようなビリビリに変わったので、私は観念した。

私の中では誰が信号を発しているのかはだいたい分かっていた。元彼のミヤモトだ。
「……死んでる?」
何もない中空を見上げながら問いかけてみた。返事はない。ただ、右肩はビリビリしていた。
どうやって確認をしたらいいのだろうか。私は、死んだと思われるミヤモトを探すことにした。分かっていたのに半年も放置してきた理由は、ミヤモトの生存確認には「あの人」が不可欠だったからだ。あの人とミヤモトは親友で、きっと今も繋がっているはずである。

あー、はいはいそっち系エッセイね、エモいエモい。
と思った方々へ。大丈夫。全然エモくないので安心してください。


ある日曜日の午後。あらかじめショートメールしていたからか、私がコールするとあの人は3回で出た。あまりにも久しぶりだったので、準備していたセリフを棒読みしてやった。
「えっと、私です。電車の乗り降りの際に扉から入ってくる湿気と音に季節を感じるよね。いかがお過ごしでしょうか」
電話の向こうではブフォっと吹き出す音が聞こえた。
「時候の挨拶棒読みか!……変わってないねえ」
私の声は掠れていたけれど、若い時にヴォーカルうたうたいだったあの人の声は、やっぱりイケボだった。
私は過緊張で、爪の先が真っ白になっていた。今回の電話には気合が必要で、フローチャートまで作っていた。こういう話になったら、こう言おう。この展開になったら、こう言おう。……馬鹿みたいだけど、悶々と想定して16パターンくらい作った。でも、書いたメモを目で追う余裕もないくらい心臓がバクバクしていた。その心の揺れは、あの人に完全に伝わっていてお見通しだったと思う。

あの人の背後は静まり返っていて、誰の気配もなかった。あの人は、今、私のために耳を傾けてくれている。それが分かったら、ふわりと安心が降りてきて私の口はフローチャートにない事柄を話し始めた。
「あのさ、この電話、かけるまでが半端なく長い旅みたいでさあ。走馬灯みたいなやつがぐるぐる回ったよ。もう、君にかけた時点で、この長い旅は終わった」
「なんだよ~。その走馬灯、今、俺の頭で回ってるとこなんだから」


私の頭の中の走馬灯。

私とあの人と、ミヤモトの三人で飲んだ夜。
はじめ二人で飲んでいたら、ミヤモトが急に来たのだった。その夜の話題は「人間は【ワザ、ワザ】生きている人と【ナチュラル】に生きている人の二種類に分けられる」だった。もちろん、太宰治の『人間失格』をベースにした話題である。私は【ワザ、ワザ】側の人間だった。

私は、カルピスソーダを飲みながら言った。
「私はどうしても計算して意図的に動いてしまう。心のまま呼吸するようにナチュラルに生きてみたいよ」
するとあの人は、ストローの入っていたくしゃくしゃの紙袋に水を垂らしつつ言った。
「人間失格では、主人公は計画的な失敗をして皆にウケた後に、一人の友達から【ワザ、ワザ】って囁かれるんだよね」
水が垂らされて、ヘビの様に伸びてゆくストローの袋。
「行動を見透かされているなんて、私なら憤死する」

私は当時、相当な陰キャで、体中から難しそうなオーラを発散していた。あの人はそこを買ってくれていた。多分だけど、あの人は私を気に入っていた。でも私の興味はいつもミヤモトに向けられていた。ミヤモトはつかみどころがなかった。そんな三人だった。

あの人は、ニヤリとして言った。
「でも、俺レベルになると【ワザ、ワザ】を心の奥に取り込んだうえで、もはや自分の自然な行為だったかのように思い込むという二重のつくりこみを日常的にやってるんだ」
「あー!それ!私もやろうとしている。そっちがメンタル的に楽だから」
私はあまりにも激しく同意したので、体が動いてしまって、肩があの人の体にほんの少しだけ触れた。そして、あの人も、私の肩にちょんと指先で触れた。流れ込んでくる体温。盛り上がるあの人と私。

それまでニコニコして私らの話を聞いていたミヤモトは、私を見つめてボソッと言った。
「君を取られそうで、焦る」

このシーンは、私の人生において再生回数がトップクラスのやつである。ビュー数のカウンターはいまだにぐるぐる回り続けている。
何故なら、それまで報われない片思いだったのが、その夜を境に両思いとなったからである。

私の心は、跳ねた。喜びが瞬時に稲妻フラッシュした。
私は目の前の揚げ出汁豆腐に集中して、感情の爆発を漏らさないように平静を装った。ネギともみじおろしの色が綺麗だった。出汁は金色をしていた。口に入れ、どんなに味に集中しようとしても、身体から得体の知れない何かがとめどなく溢れてしまった。甘やかな陶酔にも似た成就の味。と同時に、このままあの人と安全な生活に納まっていたい、というズルい考えがせめぎ合っていた。そして、あの人は敏感に私の気配をすべて察知していた。
その夜その場はいつもの通りだった。
でも多分、私もあの人も思っていたはず、
「取られそう、と言ってしまえるミヤモトは【ナチュラル】側だよ」
って。

その夜を境に、三人で会うことはなくなる。あの人は巧妙にタイミングを外すようになった。私たちのバランスは完全に崩れてしまったのだ。



スマートフォンを耳にあてながら、私は考えあぐねていた。ここ最近ずっと頭の中に占めていることをどう伝えるのか。自作のフローチャートは目が泳いで使えそうもない。私が知りたいのは、「ミヤモトは死んでいるのか否か」だった。電話口のあの人の気配から、何の枕詞もなく率直に聞いたとしてもあの人は許してくれる、という自信が湧いてきた。
だから、そうした。

電話口であの人はほんの少しだけ、驚いたようだった。
「俺に訊くのか、それを」

あの夜以降、私とミヤモトは長く交際した。大学の2年間。卒業後の3年間。別れた後は、完全に連絡を絶っていた。
「君は全てを俺にゆだねているねえ。本当は自分で行って、姿を見て、生きているのか死んでいるのか、ミヤモトの状態を知りたいんだろう? 君は、俺という箱を用意して、ミヤモトという猫をしまいこんでいる」
「シュレーディンガーの猫? 哲学科時代を彷彿とさせるねえ」
あの人は社会人になった今も、思索を止めていないようだった。あの人はきっぱり言った
「これから直ぐに連絡してみるよ。俺とミヤモト界隈とのネットワークは太いから、何かあった時は、必ず伝わってるはずだよ。でも今日、今、この瞬間に、何かが起こってる可能性もあるしな。肩……、ビリビリ?」
「……ビリビリ」
あの人は電話を切って待つように言った。私は、どこか知らない場所でミヤモトのスマートフォンが鳴るところを思い浮かべた。既婚なのか未婚なのか国内在住なのか国外在住なのかも知らないミヤモトの近況を想像してみた。
程なくして、私のスマートフォンが鳴る。私は呼吸を整えて出た。
「あいつ、当然だけど、生きてたよ。俺が急に電話かけてきたことに、めっちゃくちゃ喜んでた。どーしてるかなぁってお前の顔が浮かんだから電話してみた、なんて言ったら、電話の向こうでビールのプルタブ開けてた。そして、飲んでプハーとかやってた」
「ごめん。本当にありがとう。本当に良かった」
私は、ミヤモトが生きていて肩透かし、とは思っていなかった。私の脳内では鮮明に映像が再生された。グニャリと横たわるミヤモトが呼び出し音にびっくりして、相手も確認せず電話にでる様子。相手があの人だと分かってピカリと花開く笑顔。心底嬉しくなる様子。冷蔵庫に歩いてゆき、冷えた缶ビールを取り出す様子。
「私はもはやミヤモトに直接は関与できないけれど、ミヤモトのメンタルかフィジカルがピンチなのではないかと思ってた。私から発されたHow are you? が、何かのきっかけになると良いなあと思う」
「きっと、猫は生きてる。まだ箱に入ってるけど」

あああ、またこの人をだしに使ってしまった。
自分の利益のために利用してしまった。
私は自分を恥じた。

「ねえ、君みたいな人を主人公にしてお話を書きたいんだけど」
「俺を? 永遠のモブキャラだけど?」
「あの夜、君の指先から流し込まれた【ハイパーstoic ワザワザパワー】はずっと私の体内で生きていてさあ。それが、これまでの人生の修羅場のようなものを、乗り越えさせてきたと思う。私は敢えてあざとく動くんだけど、自分の自然な行動なんだと思い込めるようになった」
電話口であの人は笑っていた。
「ハイパー、stoic……、なんて⁈」

電話中ずっと足元に落としていた目線を、すっと、あげる。日曜日のリビングは、午後のクリアな光線に満たされて、穏やかだった。
──あの時、私の肩があの人に触れたのは【ワザ、ワザ】なのか【ナチュラル】なのか、どっちなんだろうか。
リビングにはあの夜が漂っていて、甘いような、苦いような、夜の味がした。


あろうことか、左肩がピリピリし始めていた。














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らん・地中海性気候 ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。