「いつから、他の人の目線が気にならなくなったんだろう…」
最近は、「書くこと」がとても楽しい。
自由に書ける、この感覚が好きです。
以前の私は、「ちゃんとした文章を書かなきゃ!」と、どこかかしこまって書いていた気がします。力が入っていたし、ちょっと背伸びもしていたかも。誰かにどう思われるかを気にして、ブラックな一面は隠して、本音もオブラートに包んで。当たり障りのないように…。
私はずっと、誰かの目線を気にしていた。自分の発信で何か思われることを、怖がっていたんです。
でも、今ならわかります。
「何か思ってもらえる」って、実は喜ぶべきことなんだって。
「相手にどう思われるだろう?」と怖くて発信できなかった。
それは、まさに以前の私の生き方そのものでした。
中高生の頃は、とにかく嫌われないようにと必死だった。
大学に入って、いったん自分を解放できたような気がしたけれど、
社会人になると、また「人が怖い」と感じるようになって、当たり障りなく、嫌われないように、自分をひた隠して生きていました。
本当はおしゃれが大好きだったのに、わざと地味な服で出勤していた。
髪を染めたかった。でも、その望みは心の奥にしまい込んでいた。
ずっと黒髪。本当はネイルだってしたかった。だけど「ルールだから」と諦めていた。
医療系の職場を辞めた後も、なぜかおしゃれができなかった。
髪を染めることも、ネイルをすることも、ずっとどこかで「ダメだ」と思っていた。
もう自由なはずなのに。
なのに、自分にOKが出せない。
「誰かの目線」を恐れていたつもりが、実は、自分が自分を認めてあげられていなかった。「好きなこと、していいんだよ」って、心の底から自分に言ってあげられなかった。
本当は、「自分自身の目線」を気にしていたのかもしれません。
自分で自分を鎖でつないで、不自由にしている――
そのカラクリに気づいてから、少しずつ「本当の自分の声」を聞くようになりました。
本当はおしゃれしたい。可愛い服を着たい。ネイルをしたい。髪を染めたい。そういう自分の望みを、少しずつ叶えてあげるようになりました。
そして、本当にやりたかったこと。
ある日「パソコンを持ってカフェに行く」ことを実行しました。
それは、言葉にできないほどの喜びでした。たった4年前のことです。
そこから、少しずつ少しずつ、自分を解放していきました。
気がつけば、発信することが楽しくなっていた。
「誰かに届く」その感覚が、喜びに変わっていました。
発信に反応をもらえると、素直にうれしかった。
「自分が好きなことを発信する喜び」。
気がつけば、あの頃のような“恐れ”はほとんどなくなっていました。
今はただただ、内側からあふれてくるものを、文章にのせて発信できることが嬉しいのです。
「誰かの目線」
まったく気にならないかといえば嘘になるけれど、
それでも、今はわりと自由に書かせてもらっています。
それがとても心地よい。
そして忘れてはならないのが、「読者がいること」。
読んでくれる人がいることは、本当にありがたい。
けれど、読者の視点を過剰に意識しすぎるのも、きっとよくない。
だって、嘘くさい文章って、やっぱり面白くないから。
結局のところ…
文章を書くときも、まずは「自分と調和すること」。
安心すること。それが何より大切なんだと思います。
そうすることで、本当に伝えたい言葉が出てくる。
これからも、自分の言葉で発信していきたいです。
