時代を逆走するヒト科ヒト属
モラルや倫理、デリカシーが声高々と叫ばれるこの御時世に、ウェイビハインドな記事を見た。
こどもたちが夏休みに描いた絵を審査して
入賞者を決めたという、絵画コンクールの記事。まあ風物詩的なもので、なにも珍しいものじゃない。
その記事に添えられていた一枚の写真。審査の様子がなかなかショッキングで、ギョッとしたとも言えるし、滑稽(コッケイ)だったとも言える。 なんか違和感。なんか変だった。
それはこんな具合。
公民館のようなテカテカした合板の床の上に、
こどもたちの描いた動物の絵が4枚1列で置かれている。
その絵の列がいくつかあってひと一人分の隙間が開けられている。
その床の絵のまわりを隙間を縫いながらぐるぐる歩き回っているであろう、靴下を履いたスラックス姿のおじさんたちが複数人。
立って絵を見下ろしている。
足を肩幅ほど開いて、絵と靴下との距離は5センチくらいだろうか。
紙と足が触れることも安易に想像できる。
写真のキャプションに
「作品をじっくりと眺め、講評する審査員ら」
と添えてあった。
絵を眺めて優劣を決める大人たちに
こどもたちの絵の魅力が
わかるようにはみえなかった
というのが私の率直な感想だ。
絵をジャッジする大人たちに
こどもたちの絵以上、または同等の絵が
かけるようにはみえなかった
というのも私の率直な感想だ。
審査会である。
作品を床に直置き、せめて壁や長机などを使う発想はなかったのか。
こどもたちの作品への
愛と敬意があるようにはみえなかった
も感想に加えておく。
間引かれたあとの作品ですら、
この無下な扱いである。
間引きのプロセスを想像すると胸が痛む。
審査ではなく
こどもたちが描いた絵を
「処理」しているように見えた。
こんな写真を載せて記事としてしまう新聞記者も恐ろしい。
登場人物みんな気の毒だ。
できればもうこれ以上「距離を詰めたくない世界」がぎゅっと詰められていた、ほんの1枚と1文言。
こんな記事を凝視しちゃいけない。
自分に言い聞かせる。
noteのネタにすることで消化したこととする。
が、書いてるうちに腹が立ってきた。
子どもの絵画コンクール
人が人の産み出したアートの優劣を付ける
極めて曖昧な世界。
これがおとなの作品だったとしても同じプロセスを辿ったのだろうか。
ほんのもう少しだけでも
愛と敬意を示しませんか。
いつか彼らが思い出せますように。
まだよくかなわない幼い手で
やっと描き終えた夏休みの絵の宿題のこと。
応募するときにわかっていたことだが、
ほかのコンクールと同様、絵の返却はない。
世界で一枚の娘の絵は
そのうち参加賞のエンピツ(仮)に変わるのか。
応募したことが悔やまれるなあ。
もったいないことをした。
