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棒を一閃

  『棒を一閃』     かねつぐ司


 朝からひりひりした空気が一之江伊代耶の全身を包み、汗が滴った。三千人の自陣側の隊員と昨夜皆で気付酒を酌み交わして、その盃を空へ向かって放り投げた記憶が切ない。お山の寛永寺を拠点として下の敵の全容を望むと、その彼らの威容へ皆動揺した。
 「勝麟太郎先生のお言葉通りに凄まじい」
 一之江は周りの顔色を見てみた。空いばりの者もいるが、素直に恐怖している者も多い。いや、むしろそちらの方が圧倒的に多かった。
 そのうち旧式銃を構え直す隊員たちがいて、そのガチャ、ガチャという音に雀が群れで木々から飛び立った。
 とうとう我慢をしきれなくなったか、一人隊員が銃を発射した。
 「あ、っ」と一之江はそれへ目をやったが、一寸のときを待たずに男の頭は血煙を撒いて吹き飛んだ。
 俗に上野の山というが、彰義隊の展開していた地点と下で相対していた新政府軍との高低差は二、三十メートル程度でしかない。
 一之江は勝麟太郎の末席に座する若い門弟であった。先生の勝に言われて彰義隊へ最後の説得に訪れていた。「とても、いくさにならないので、皆武装を解け」と。江戸市中、また徳川幕府の菩提寺である寛永寺からの大騒動をさけるよう、隊のものたちへ最後の嘆願に来ていた。結果、誰も言うことを聞かなかった。丸腰なら、なんでも、手で持てるものを持て、そしてすぐにそれを取って敵の方を向けと。彰義隊の幹部は頑迷にそう返してきた。一之江はこのまま抗うと、先に自分のほうで殺られかねないような、そういう窮地に追い込まれてしまった。     

 上野の山に三千人というこの数の圧力は確かに「もしかしたら、…まんまんが一、」とも思わされるものでもあった。
 ただ、夜明けに向こう側を確認したら敵のそれは七千人もの大軍団だった。
 相手指揮官の胆力か、敵は塊として微動だにしない。先の撃ち合いはアクシデント的なものだったが、彰義隊の方の心はいっぺんに戦慄してぐらついた。旗本子弟より元浪人、或いは幕府軍に教練を受けた民兵の方の士気のほうが高かったが、先ほどの撃ち合いからの恐れと、明らかに自軍との人的差を思い知らされ、まず旗本子弟、元浪人たちの方に怖気が働いた。彰義隊の後退のタイミングを認めたか、逆に相手の陣はぐぐっと動いた。もう彰義隊は隊として足腰がぶれていた。そこへ相手の砲が火を噴く。アームストロング砲であった。扇子の輪のように寛永寺を取り巻く敵陣形から発射されるそれら膨大な火力は凄まじく、寛永寺はたちまち破壊され、そして火に包まれた。 
 「か、寛永寺が…」と一之江は苦く思った。一之江は火のまわる寺内に飛び込んで右往左往したが、もう駄目だった。六尺棒がひとつ目についたので、でそれを掴んで落ちてくる火に包まれた屋根瓦や、設えの木材などをその樫の棒で一之江は、はじき飛ばす。そして転がるように寺の門前へと出た。一之江が見たのは飛び交う無数の弾跡と、それを取り巻く白煙だった。硝煙臭がきつい。仲間は? と見回す一之江の目に入ってくる光景は、撃たれてのたうち回る面々たちだった。

 新政府軍は、一気にミニエー銃を山へ向けて総出で乱射した。バタバタと倒れていく彰義隊員。それでも、「気を張れー」と喚きながら走りまわる部隊長とかもおり、一之江は、死骸の兵から鉄兜を奪い、地面に散らばる旧式銃をも両腕に抱えた。勝先生は「無駄死にほど馬鹿らしいものはない」と言っていた。一之江は下からの銃撃、砲撃を相手にせず、身を隠せるところを探した。「官軍と自称して、おごり気を憚らない者たちを相手に死にいくさをするは、下らない」そして、もう自分らは旧政府「徳川幕府」そのものに見放されているようなものだ。と、寛永寺が崩れ落ちていくのを一之江は見た。
 ドカン、ドカンと炸裂するアームストロング砲の激烈。一之江は「南無三」と、抱えた銃をほうり捨て、山を折りくだる行動へと、己の行動を切り替えた。下から上へと新政府軍の一党も駆け上がって来たが、幸い誰とも鉢合わせもせず、敵の気配を覚えれば一之江も地に伏せ、そして息を殺した。ザクっと一人、敵兵は足を留めた。
 「おい、貴様生きちょっとか」と声をかけてきた。しかし一之江は黙っていた。
 「こんガキが、生きちょっとかち聞いちょろうが」といって、銃剣で二度、三度突いてきた。やにわ、一之江に怒りが芽生え、うるせえ、と六尺棒を突き上げた。相手の眉間を突き上げて、伸びるその棒。急所に当たったか敵兵は昏倒した。生きるか死ぬかの瀬戸際の差が一之江に味方した。そのまま相手は気絶してしまったので、銃と、刀を一之江はまた、奪った。
 何じゃの、ああじゃの、と周りから新政府軍の兵たちの声がした。一之江は「ウオリヤーー」と大声を上げた。一之江の周りを囲む敵兵。その囲んだがため、むやみな銃撃も出来ずに固まっている一同。しかし、じり、じりとそれぞれ歩を縮めてきた。もう一之江に迷いはなかった。納めた棒術の型通りに、囲む相手らの部位を突き、叩き、脚の間に差し込んでは関節を崩して、奮闘した。これは敵兵にも意外で、相当名が手傷を負っていた。斜め旋回を棒にさせて一之江は一番の手練れに見えた兵の首の付け根へ一閃させた棒を下げ撃った。そしてそれに確実な手応えを認めた。一之江は棒を手放し、奪った刀を下からすかさず逆袈裟に斬り上げた。後方から相手応援軍がやってくる。一之江の耳にもそれは届いていた。闘いを終えて一之江は坂下方向へ振り返り、刀を投げ捨てて、降参の手を上げた。
 応援軍が一之江を捕虜にしたか、はたまたその命を奪ったか、定かではない。

 たくさんのカラスが上野の山の上空を舞っていた。
 夏の日差しの強さが痛ましい。上野の周りには、弁当持参の見物人すら出ていた


 棒を一閃 了

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